矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

稲妻お雪 参の参

「おーい、御坊達。そのようよな小童を相手にせず、これを見てくれ」
 三太夫は大声で叫びながら、砂金を見せるように袋を振った。
「チェ。余計なオヤジが余計な所に現れやがった。これから面白くなろうって矢先によ」
 お雪は又一人、荒法師を血祭りに上げながら舌打ちをした。
「待て待て、下の方で何か呼ばわっておるぞ。手にはキラキラ光る物を持っておるわい。どうやら砂金と見た。ここはいったん矛を収め、あいつの話を聞いてやれ」
 頭分と思われる一人が手を上げて、皆を制した。そのうち三太夫が、高くて急な石段を汗をかきかき砂金を担いで登って来た。げに恐ろしきは人の物欲である。
「各々方。暫し我らのいう事を聞いて下さらぬか」
「ちっ、余計な所へでしゃばりやがって」 
 お雪は舌打ちをしていった。善介は幾分ほっとした。少なくともこれ以上命のやり取りはしなくてすむ、そう思ったのだ。
「御坊達にはあい済まぬ成り行きになってしもうた。ひらに許されい」
 三太夫は低調に頭を下げ、荒法師の様子を窺った。
「貴様等は何者だ。胡散臭いぞ」
 頭分らしいのがおうへいな態度でいった。
 お雪にはそれが許せない。血刀をまだ鞘に納めず、もの凄い形相で睨んでいる。
「吾等は越後の上杉謙信公の下僕で、これから三河に使いの途中でござる」
 三太夫はあまりにもあっけらかんと、こちらの正体をばらしてしまったので、お雪と善助はあっけにとられた。それは法師頭巾も同じ思いと見え、しばし沈黙の呈であったが、やがて頭分と思われるのが、重い口をひらいた。

稲妻お雪 参の弐

「物事おまえさんの思う通りに行けば目出度いがな」
 善介は溜息をついて、それでも脇差をひきぬいた。
「目出度いのはおまえ達じゃ。この人数にたった二人で歯向かうとな。さいわい此処は寺じゃ。僧もおるし墓も腐るほどあるぞ。安心して冥土へ行きくされ」   
 荒法師が憎まれ口を聞いた。
「まだ冥土に行くつもりはないよ。オボコだもんね」
 お雪はそう叫ぶと手裏剣を構えた。シュッという風を切る音がして、荒法師が喉笛を押さえて地面に転がった。
 それを見た荒法師達は烈火のごとく怒り狂い、もはやお雪と善介は戦って窮地を逃れるよりほか方法がなくなった。
「おい、変な因縁でこうなったが、多勢に無勢、越後の乱波の強い所を存分に見せて、閻魔の所へ道行きと洒落ようぜ」  
「馬鹿言え。おまえと道行きなんて嫌なこった。あたいは絶対逃げ延びてやるかんね」
 お雪はそう叫んで、腰の赤鞘を引き抜いて、疾風のように大の男に向かって斬り込んだ。
 意外に強かった。横にはらった一太刀で、槍を持った大入道を血祭りにあげ、もう次の敵に向かっている。これを見た善介は、負けてはならじと近くの一人に相対した。
 その時石崖の下から三太夫のダミ声が聞こえた。 
「おうい、お前ら何をとち狂って暴れとるんじゃい。わしの言付けを忘れおって」
 乱波の仕事を逸脱している、やっぱりお雪は威勢のいいだけのジャリで、相手との駆け引きを知らぬと三太夫は、上の騒ぎを見て臍を噛んだ。乱波は相手を殺す暗殺者ではない。 いわば下っ端の外交官と思った方がいいだろう。相手を知って、如何に潤滑に交渉の席に引き出すか、その根回しをするのが本分だ。

稲妻お雪 参の壱

 お雪を見て荒法師どもは怒るまいことか、善介の襟首を締め上げ、今にも縊り殺す勢いである。
「まだ子供ではないか。かような者に吾等の一物を突っ込んだら、一辺に破れて使い物にならなくなる。だいたいかような山寺に女衒が来るのが怪しい。さてはどこぞの大名に雇われた乱波と見た。それもあまり出来の良くないな。そうと分かれば遠慮はせんぞ」
 そういうと一人が長刀を振り上げた。
 お雪の体がふわっと宙を舞った。キラッと何かが光った。荒法師の一人が頭巾を朱に染めて倒れた。善介の首を絞めていた方は、何が起こったか分らぬまま、わっと悲鳴を上げて門の奥へ逃げ込んだ。
「ざまあ見やがれ。稲津お雪をおもちゃにしようんなんて、ふてえ了見をおこすから閻魔さんの所へ送ってやった」
 お雪はひらっと山門の上から飛び降り、手にした手裏剣の残りを弄びながら、そこへ転がっている法師頭巾をさも愉快げに見た。
「後先を考えてやらんと困るな。これで今迄の俺の芝居が台無しだ」
 善介が不機嫌そうにいった。
「だってさ。何時までも縛られたまんまじゃあ窮屈でいけないよ。それに一向に埒が明かないから踏ん切りをつける為にやったまでさあね」
 お雪は平然と胸を張っていらえた。
 門の奥から先程の荒法師が、仲間を連れて手に手に得物を引っ提げ、ばらばらっと二人を取り囲んだ。
「困ったな。ここで血を見たくないのだが」
 善介は恨めしそうにお雪を睨んだ。だがお雪は平気な顔でいった。
「何を今更。こうなったら二人でこの城を落として、あたい達の物にしちまおうよ。駿河の国に上杉の出城が出来れば、謙信公も天下を望むよたうになるかもね」 
 暢気な事をいいながら、それでもお雪は油断なく身構えた。

稲妻お雪 弐の六

 かなり急な石段を喘ぎながら登って行くと、堅牢な山門が見えてきた。二人の法師頭巾が手持無沙汰の様子で、薙刀を担いでこっちを睨んでいる。
「何者じゃ」
 片方の弁慶を思わせる巨漢が誰何した。
「へい、越後から来た商人でごぜえやす。今日は娘の出物が有りましたんでね」
 善介は頭をペコペコ下げながらいった。
「何をふざけた事を申す。ここは寺じゃぞ。女に用は無いわい。それとも貴様、我らに女犯の罪を犯させて地獄へ落とす気か」
「とんでもない。坊様でも、こんな山寺に籠て何年も女っ気無しじゃあ身体に毒ですぜ。たまにゃああく抜きをなすった方が宜しいと思いますがね」
 善介はいかにも女衒らしく言葉巧みに、この弁慶もどきを誘惑した。
「さすがに女衒。うまい事誘うわい。実は我らはかように法師の格好をしておるが、元は武士」
 そういう法師頭巾の言葉を聞いて、善介はしめたと思った。今川の残党が坊主に化けて、寺に立て籠もっているのだ。女っ気なしではとても辛抱できまい。それが証拠に近在の百姓の娘といわず女房といわず、三十路までのものは股ぐらを狙われ夜も眠れないという。ならば徳川家が兵を出して、掃討すればよかろうと思うのだが、そうもいかぬ事情があるというのだから世の中面倒だ。 
 家康の正室が今川の出である事は周知の事実ではある。その正室を家来に命じて殺したのも。だかその訳には諸説あって、どれが信なのか、家康本人に聞かぬと分るまい。しかし、この寺には今川方が立てた、その正室の墓があった。したがって家康もうっかりこの寺に手が出せないのだ。家康が迷信深い人というのは当たっていない。
 祟りなど恐れる男ではない。しかし古い家臣の中には、亡霊や妖怪の存在を信じる者もいる。奥方の墓のある寺を焼き打ちするのはもっての外というのが、彼らの主張である。尾張の信長ならば、一笑にふすであろうが家康にはそれが出来ない。家臣団の団結を重んじるからである。たとえ古い家臣であっても、それらの者には子もあれば孫もいる。徳川家の新しい力になると思っている。だからこそここを力攻めにしない。
 というわけで越後の乱波の出番となったわけであるが、さて。

稲妻お雪 弐の伍

 三太夫は郎党二人を見送りながら、幾許かの寂寥感におそわれていた。若いという事は無鉄砲ながら羨ましくもある。歳をとるといろいろ余計な策を弄して、けっく無駄骨におわる。
 ゆっくりと立ち上がって二人の向かった森へ入る。途端に木陰のひんやりとした空気と降るような蝉時雨が満身を包んだ。夏である。越後を出たのが春の終りであったから、この時代でも随分ゆっくりした旅であった。乱波の足なら越後から駿河まで五日もかかれば充分であった。それを時をかけたのは直江家老の指令があったからである。
 織田徳川がはっきり手を結ぶのをたしかめ、それが確実としれてから近づけとのことであった。
 
  なるほどお雪の目の前に有るのは、寺ではない城であった。堅牢な石垣の上に無骨な建物がのっている。
「うへえっ、こりゃ凄いや。ここに楠木正成みたいな軍師が立て籠もったら、なかなか落ちないだろうね。さて、ここが思案のしどころだよ」
 お雪は腕組みをして考え込んだ。三太夫にああは虚勢をはってみたものの、小娘の悲しさ、別にこれといった策があるわけではない。
 そこへ善介が息せき切って駆けつけて来た。
「どうせ旦那にあて付けての啖呵だろうとは思ったが、これからどうする気だ」
 善介は汗を手の甲で拭いながら聞いた。
「うるさいねえ。今その思案の最中だよ」
 お雪はあくまでも強気を崩さない。
「お前の性分には呆れたよ。親の顔が見たいとはお前の事だ。俺に一つ考えが有るんだがやって見るか」
 善介はお雪を焦らすように言った。
 お雪はいかにも悔しそうに唇を噛んで聞いた。
「どんな策か知らねえが、やるしかないだろう」
 お雪は不本意という顔でいった。
「まずお前が旦那から巻き上げた砂金を俺に渡せ」
 善介は強面にいって、お雪に手を差し出した。
「騙して持ち逃げするんじゃあなかろうね」
 お雪は疑わしげな表情で、それでも懐から砂金の袋を取り出した。
「ようし、それでいい。これから俺は越後の人買いに化けるからお前も調子を合わせろ」
「化けなくても人買いそのものに見えるぞ」
 お雪は善介に向かって減らず口をたたいた。
「憎まれ口ばかりきいてると、後が怖いぜ。ところで人買いに見えなきゃあいけねえ。悪いが縛らせて貰うぜ」
 善介はそういうなりお雪をぐるぐる巻きに縛り上げた。
「いてててっ、芝居だろう。そんなにきつくしなくても」
 お雪は悲鳴を上げた。
「本物に見えないと策略はうまくいかないもんだ。すこしの間だから辛抱しろ」
 善介はお雪を引っ担いで、寺の石段を上っていった。
 

稲妻お雪 弐の四

「まいないじゃよ。これだけ山吹色を見れば、いかな今川に忠誠心のあつい輩でも、転ばぬ筈はなかろう」
 三太夫は自信満々でいった。
「まあ金に転ばない人間は少ないだろうがね。それじゃやって見るか」
 お雪はそういうと砂金の袋を一つ担げて脱兎のように走り出した。
 三太夫は舌打ちをしながらその後を追った。
「あほう、行き先も聞かず跳びだしおって」
 善介も荷物をまとめてそれに従った。
 三人は草いきれのする道を歩いて行く。この頃の東海道であった。今の感覚でいえば田んぼのあぜ道を少し広くしたようなもので、馬がすれ違えるかも怪しい。  
「あれがそうじゃあないの」
 お雪が指差した方に樹木に囲まれ、こんもりとした丘が見える。
「おお、あれじゃ。さてどうやって繋ぎを付けるかのう」
 三太夫は立ち止り、腕を組んで思案している。
「今から考えていてどうするのさ。あたってくだけろさ」
 お雪は鼻を擦り上げていった。
「おいおい、くだけてしまっては困る。まだ直江様から言い付けられた仕事の半分も果たしてはおらんのだぞ」
 三太夫は怒っていった。
「何力んでるのさ。張り詰めた弓の弦は切れやすいってね。まず、あたいが様子を探って来るよ。その砂金の袋を貸しとくれ」
 お雪はけろっとした表情でいった。
「馬鹿も休み休みに申せ。そこまでお前を信用して居ると思うてか。砂金を持ち逃げせんという保障がいずれにある」
「けつの穴の小さい親方だねえ。そんな事じゃあ大物にはなれないよ。あたいに仕事を任せてごらん。十人分働いて見せるから」  
 お雪は砂金の袋を一つ担げて、さっさと陸のように見える森の中へ入ってゆく。
「おい、どうしよう」
 三太夫はうろたえて善介の顔色をうかがった。
「旦那、こうなっつたら仕方がねえ。お雪のアマに任すんだねえ。大体あのアマッ子を買って来たのは旦那ですよ。相談する相手が違うだろう」
 そういいながらも善介はお雪の後を追った。

稲妻お雪 弐の参

「なんだ。ていの良い盗賊退治を言いつけられてやがら。それで本当にやる気かい」
 お雪は弁当をすませ、ふくべの水で口を漱ぎながら聞いた。
「やらざるをえんだろ。我らは上杉家の家臣、長尾様のいいつけとあらば」
「たとえ火の中水の中ってんだろ。ああ主持ちはつらいね。でもたった三人でやけっぱちの盗賊まがいの浪人達を料理出来るの」
 お雪の危惧は当然である。乱波は後世の者が思う程、強いわけではない。敵の国に忍び込んで、様子を探ったり撹乱するのが仕事だから、武芸より演技力を重視する。何にでも化ける必要があるからだ。 
「どうでござろう。あれを使っては」
 善介がぽつりといった。
 三太夫が手を打った。
「成程あの手があったな」
 善介が背中に背負っている黒い箱を見てニヤッと笑った。
お雪は首を傾げた。
「越後を出る時から後生大事に、重そうに背負って来たけど、中身は一体何なのさ」
 お雪の好奇心はいやが上にも高まった。
「使い方次第ではこれ以上心強い味方は無い」
 三太夫は思わせ振りにいうと、箱を開いた。
 お雪が中を覗くと、赤子の頭ほどの錦の袋が三つ見えた。
「分かったよ。砂金だろ。佐渡の金山この世の地獄ってね。罪人をこき使って掘り出した血の塊さあね」
 お雪の悪口は留まる事を知らない。
「いかにもその通りじゃが、これ程つよい味方はおるまいて。一袋ばら撒いたら、こっちの手を汚さずに城を落とす事も出来るからな」
 三太夫はにやりとほくそ笑んでいった。 「そううまく行くかね。城攻めには少なくても敵の三倍の人数が要ると聞いたよ。それだけの砂金で頭数が揃うかね」
 お雪はいかにも訳知り顔でいった。
「馬鹿な。誰がそこらをうろついている痩せ浪人を雇うか。そんな事をすればこっちも血を見る事になる。乱波にとつて尤も下手なやり方じゃ」
 三太夫は大袈裟に手を振って打ち消した。
「じゃあどうするんだよ」
 お雪は頬を膨らませる癖を出して問うた。