矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

癌の寺 後編(55枚)

 オバサンは檀家の寄り合いで大見栄を切った以上放ってもおけず。普段より早起きして法正寺に上った。寺はH村落の北側に在る小高い山の中腹にあった。平安時代からの古刹と聞いて居るが、何度も焼失して今の建物は、江戸末期のものを改築してもたせているらしい。
 折からの夏の日を受け、オバサンは白い日傘をくるくる回して、襟足の汗をハンケチで拭いながら、石段を一歩一歩上っていった。山門を潜って境内に入ると、やかましいほどの蝉時雨であった。
「今日は。和尚さんはいらっしゃいませんか」
 オバサンは庫裏の玄関に立って奥へ声を掛けた。
 しかし答える者もなく森閑と静まり返っている。
「まだお盆は一か月も先だというのに、和尚さん何処へ行ったんだろう」
 オバサンは独り言を言いながら裏のほうへ回ってみた。そこには小堀遠州が造ったとは言いにくいがかなり古い庭があり、濁った池には数匹の錦鯉も泳いでいた。
「誰か居ませんか」
 無駄だとは思いつつも、オバサンはそう言った。
「助けて頂戴」
 寺の庭で聞くにはあまりふさわしくない、女の救いを求める声が返ってきた。
 オバサンはとっさに日傘を放り出すと、庭の奥の方にあるかなり大きな右の影に向かって突進した。そこにはこのまえ訪ねてきた、大黒もどきの明美という女が倒れていた。
「どうしたんです」と、言いながらオバサンは明美を抱き起こした。『白兎』に勤務している以上、応急手当の方法を心得ていたので、明美の怪我の状態を素早く判断した。どうやら頭を殴られたらしいが、ほかに目立った外傷はない。
「歩いて庫裏に戻れますか。それとも私がお医者様に連絡しましょうか」と、オバサンは聞いた。明美は薄目を開いて、
「歩けます。こんなとこに放っておかれて、彼奴らがまた戻ってきたら大変ですから……」と、答えた。
 オバサンは明美に肩を貸して、やっとのことに庫裏に戻った。
 そして、医者と警察に連絡を取った。
 十分もするとH村落に開業している村西医師という、初老の女医が軽自動車で駆け付けてきた。
 明美の頭の傷を診てけげんそうに尋ねた。
「一体どう言う分けなんです。私の専門は内科だからあんまり偉そうなことは言えませんけど、こんな珍しい傷を見たのは初めてです」
 村西医師が言うのも無理はない。オバサンも機業がら老人の傷の手当をすることがあるので分かるのだが、明美の頭、正確には後頭部に横一文字の十センチほどの裂傷が付いており、その周りの髪の毛も抜け落ちていた。だが不思議なのは、その傷口が炭化しており出血が全く見られないのだ。
「まあ傷が浅くて良かった。骨まで届いていたらお気の毒ですけど貴方は今頃仏様ですよ」
 普段無口な村西医師が下手な冗談を言った。
 その時庫裏の外で田村さんのだみ声が響いた。
「おおい、寺に強盗が入っただげなあ。ここの坊主はよけい溜めとるげなけえ狙われただらあぜ。取られたのは現生かいや。それとも金の延べ棒かいや」
 全く田舎は、警察より大工のほうが初動捜査が早いらしい。
 オバサンは庫裏から慌てて飛び出した。そこには麦藁帽子とランニングシャツ姿の田村さんと、この辺の村落を管轄している巡査が立っていた。
「坊主憎けりゃ袈裟までと言いますけどね。明美さんは怪我をしているんですよ。少しは遠慮したらどうなんです」
 オバサンの剣幕に少したじろいだ田村さんではあったが、すぐに態勢を立て直して言った。
「わしゃあ彼の女にゃあ、別に遺恨は持っとらんけどよう。よう考えてみりゃあわしらの金で養なっとるだけえ、同じこっちゃあねえか。金好坊主も一緒にやられただかいや」
 田村さんは駐在の巡査の先回りをして聞いた。
「それが分からないんですよ。私がここへ釆て声を掛けても返事がないから、裏へ回ってみると明美さんが庭石の影に倒れていたんで、和尚さんの姿は全然みていないんですよ」と、オバサンはかいつまんで事情を説明した。
「おかしいなあ。ガレージにゃあ金好坊主ご自慢のベンツは止まっとたぜえ。するとパチンコにも出掛けとらんはずだが、おい駐在。そこらを探してみいや」
 田村さんはまるで古参の刑事のように、若い駐在を顎で指図した。
「でも探してもこの人数じゃあたかが知れてます。それよりここの奥さんに事情を聞くのが調査のイロハです」
 さすがに駐在はプロだから、そう言捨てると庫裏へ入っていった。
 田村さんは舌打ちをして、それを見送りながらオバサンに耳打ちをした。
「あの巡査。頼りになるだかならんだか……。実は今朝がた妙なもんを見てなあ。それが気になって仕方がねえだわいや。ちょっと付いて来てくれんかいや」
 田村さんはそういうと、山門を出てさらに山道を上っていく。オバサンは服装を気にしながらも、好奇心負けて付いていった。
 さらに急な山道を十五分程上ると、山の真ん中から突き出したコプのような出っ張りの上に出た。この辺りの者は小山と呼んでいる。
「ここだがなあ。今朝なんだあ胸騒ぎがして、四時半頃小便に起きたら、便所の窓と小山の上が鼻の先のように見えてなあ。まだ薄暗かったのに大きな蛍みてえな青白い光りが三つ、この辺りに降りたのは確かだぜ。気の早い仏さんが戻ってきたのかも知れんなあ」
 そういいながら田村さんは、両手を前へ突き出しぶらぶら振って見せた。
「よして下さいよ。こうみえても私は気が弱くて、お盆の怪談映画には行けなかったんだから……。今頃人魂の話をしたって、子供に笑われるのが落ちですよ。まだUFOの方が説得力がありますよ」と、オバサンは小娘のように、顔をしかめて手を振った。
「そげえなもんかいや。わしらあの子供の時分にゃあ、夏になると寺の墓場で、肝だめしをようやったもんだけどなあ。それにしてもあの光りは何だっただらあなあ」と、田村さんは腕組みをして考え込んだ。
 その時足下の雑木の葉ががたがたと鳴った。
「キャーツ」
 オバサンが悲鳴を上げて、田村さんの汗まみれの体に抱付いた。
「ええ役どころだけど、わしゃあ田中真紀子より、宮沢りえの方が好みだけどなあ。まあこの際贅沢いっとれんか。こらそこにおるのは誰だあ」
 田村さんは怖いのをごまかすため、冗談を言いながら落ちていた枯れ技を拾って構えた。
 葉っぱのなかから這い出してきたのは、真っ黒の固まりであった。それが人間の火傷をしたのと気が付くまでに、オバサンと田村さんは三十秒程かかった。原爆投下で真っ黒になった、広島の地獄絵を思い出してもらえれば丁度よい。
「あれえっ。金好坊主じゃあねえか」
 田村さんはそういいながら恐るおそる近付き、枯れ技の先でその黒い固まりを突いてみた。その人間には毛がなかった。まあ火傷を負っているのだから当然といえば当然であろうが、まとっている炭化した衣にも、袈裟についている輪が見えた。
「確かに和尚さんですよ。何だってこんな浅ましい姿に……」
 オバサンはそう叫ぶと逃げ出そうとした。それを引き止めたのは、炭化した金好坊主の口から出た一言であった。
「サンレイの所にまだ人が居る」
 それだけ言うと金好は、がくっと体を落した。田村さんはさすがに男である。金好の側に近付いて、鼻に手をやり息を確かめた。
「どこまでしつこい坊主だらあなあ。まだ生きとるわいや。わしも南方に送られて、火炎放射器でやられたのを見たことがあるけど、まあそれほどの火傷じゃあねえ。ところでさっき『山霊』ちゅうとったなあ。あそこでやられたとなると尋常なことじゃあねえぞ。あんたは好かんかもしれんけどこりゃあ本当の怪談話だぜ」
 田村さんがそういってる所へ、さっきの巡査が息せき切って駆け登ってきた。ほかに三人H村落の消防団の法被を着た若い衆が、柄の長い鳶口を手に手に付いてきた。映画でもテレビドラマでも余り良い役者のやらない役である。
「本官が明美という女を事情調査したところ、今朝方法正寺に客があり、和尚と内緒話をしていたらしいが、ちょっと小山に上ってくると言って二人で出ていったと言う。あの頭の怪我は、暇を持て余して池の鯉に廷でもやろうと裏庭に回ったところ、強烈な光りが差してそのまま気を失ってしまったそうだ。妙な話だが村西先生の見立てだと、精神に錯乱している様子は見られないから、まんざらでたらめでもないようだ。そこで和尚を捜索に、村落の消防団の暇な連中に声をかけて上がってみれば案の定これか」
 巡査はそこまで一気に言うと、帽子を脱いで汗を拭いながら、地面に転がっている金好を冷淡な目付きで睨んだ。どうも日頃から馬が合わなかったらしい。
「あのこの下の『山霊』の石碑の所に、誰かまだ居るらしいですよ」と、オバサンは、雑木が青々と茂っている山の斜面を指差して言った。
「『山霊』の石碑だって。あそこまで降りるにはだいぶん距離があるぞ。何だってあんな所に行ったんだろう。やれやれもう一人居ると聞いちゃあ放っても置けん。田村さん。裏から降りたほうが早いか。それとも下を周ったほうがいいかね」
 巡査はうんざりした様子で問いた。
「そりゃあ距離からいやあここから降りたほうが近いけど、何せこの茂りようが物凄いけえ、下から見当付けて上ったほうが楽だらあぜ。それにこの時期はクチアメ(まむし)に気を付けにゃあ、命がなんぼあっても足らんけえなあ」
 田村さんは脅かすように言うとにやりと笑った。
 下のほうからパトカーと救急車のサイレンの音が、けたたましく近付いてくる。
 H村落はその日は厄日であった。上空には新聞社のヘリコプターが何回も飛来し、狭い村落の道には、大型バス並みのテレビの中継車が三台もかちあった。大きなパラボラアンテナを上空の通信衛星に向けているので、よけいに仰々しく見える。リポーターと称する恥も外聞も忘れた人種が、村人を捕まえてはくだらない質問を浴びせている。H村落に一つある保育園は、そのあおりをくらって休みになってしまった。
 なぜそんな騒ぎに発展したかというと、例の『山霊』の石碑が原因であった。警察官と消防団員が小山の下から、生い茂った雑木を鉈や鎌で切り払いながら、ようやく石碑の所までたどりついて仰天した。
 石碑は高さ一・五メートル、巾四十センチ、厚さ三十センチほどの自然石の表に、力強い楷書で山霊と深く刻んであり、裏には永禄四年酉とあった。その石碑はどういう物なのかH村落の誰も分からない。一度誰かが町役場に調べてみろと言ったことがあるが、御多分に洩れずお役所仕事の好加減さで、三十年余りも放置されたままになっていた。
 その石碑が今はひっくりかえって、その下に人間が一人押し潰されていた。石碑の周り十メートルほどは、下草や雑木がまるで火炎放射器で焼き払ったように黒々と焦げ、人肉の焼けた独特の嫌な匂が立ちこめている。
「やあっ、あの金好坊主ここから生きて上まで這上がってきただらあ、なんちゅうしぶといやつだらあなあ」
 石碑の場所を案内するため、警官や消防団の先頭に立って上ってきた田村さんが、その光景をみて言った。
 とにかく下敷きになった人間を引っ張り出そうというので、屈強な男が三人がかりで石碑を起こし、残りの者がその黒焦げの骸を引きずり出した。
「一体何者でしょうなあ」
 警官の一人が口にハンカチを当てて、その骸を覗き込みながら言った。
 着ているものは焦げて形を成していない。それどころか着ていた人間まで炭のようになって、顔形は判別できなかった。だが体の骨格から男であることは間違いない。
「あれっ、こんな物を持っていますよ」と、覗き込んでいた警官が何か見付けたらしく、その骸の胸の辺りから金属製とおぼしい物体をつまみあげた。
「拳銃じゃあないか」と、もう一人の警官がそれを覗き込んで言った。焼け焦げてはいるが確かにオートマチック拳銃だということは分かる。
「ハジキを持っているということは気質じゃあないな。金好坊主やくざと付き合いがあったのか」
 呆れたように田村さんは言った。だが田村さんは驚かなかった。金好ならうなずける。あの寺に引っ張り込んだ明美という女だって、大阪の暴力団の女が相場だろうと思っていたのだ。金使いが荒すぎた。
 所が話は飛んでもない方向に発展して行く。というのはその骸を十人がかりで山から下ろし、村西先生が開業している医院へ運び込み仮安置した。
 そして県警の鑑識課が飛んできて、検視を行なったり歯形を照合して身元確認を急いだ。勿論拳銃の製造番号や、腔線の前が無いか確認を忘れなかった。
 そして一時間後、県警本部長に警察庁長官から直接電話があった。その内容を聞いて本部長は一メートルほど飛び上がった。あの骸の主はそこらの指定暴力団の親分どころではなかったのだ。警察庁長官はくれぐれもそのことが表に出ないようにと、厳重な緘口令をしいた。勿論丁県の警察本部長も、表沙汰になれば廃藩置県以来の大事件であるから、厳重緘口令を敷こうと思い、K知事の耳にも入れずに、腹心の部下三人と覆面パトカーで、H村落に馳せ奉じたのであった。
 しかしノーパンシヤプシヤブをやっては居ないが、それに近いことはやって居る部下を連れてきたのが悪かった。その部下の誰か分からないが、日頃鼻薬を嗅がされて居るローカル局のデスクに、ご注進に及んだ奴があった。そうなれば蟻の一穴である。禿鷹のようにマスコミが我先にと駆け付けてきた。
「おい、緘口令はどうした。これじゃあオウムの上九式村とおんなじ様な騒ぎじゃあないか。この中なかの誰かがあのハイエナ連中に流したんだろうが、後で調べて鳥も通わぬ所へ流してやるから覚えておれ」
 本部長は上空を飛ぶヘリコププターや、中継車のパラボラアンテナをいまいましそうに睨んで言った。そして例の骸が安置してある村西医院へ向かった。
 さすがに村西医院の周りは、警官隊で十重二十重に囲み、関係者以外は寄せつけないようにしていたが、それも徒労であろうと本部長は舌打ちをしながら村西医院の中へ入った。中には村西医師とオバサン、それに駐在巡査に田村さん、残りは看護婦が一人居るだけであった。
 村西医師は、千振と熊胆をカクテルにして飲んだような顔で言った。
「困りますねえ。あのマスコミ連中を何とかしてもらわないと、私の医院の営業妨害どころか、K町全体が大騒ぎで仕事にならないと、町長やJAの所長が、文句の電話を掛けてくるんで困ってるんですよ」
 本部長はそれには答えず、駐在巡査を物陰に呼んで聞いた。
「あの女医さんのほかに居る、中年のご婦人とご老人は、事情を御存じなのかね」
 駐在巡査は本部長の前に出るの初めてらしく、緊張して棒のように突っ立って敬礼しながら答えた。
「はっ、あのご婦人は今度の事件の第一発見者であります。またご老人のほうは捜索に色々ご助力頂きました」
 不味いと本部長は内心臍をかんだ。顔を合せなかったらともかく、こうして目があった以上、あの骸の身元を話さない訳にもいかない。こちらが話さなくても、女医さんが職業柄聞いてくるに違いない。
「ここにいる人間だけの秘密にしてもらえれば事情をお話します。非常に微妙な問題が含まれていますので、知事も知らないような訳でして……」
 本部長は帽子を取って、薄くなった頭を撫でながら言った。
「そりゃあ面白え。知事さんも知らんやあなことを、坊主と喧嘩するのが生きがいの叩き大工が知っとるとはなあ。であの黒焦げになったまぬけは何処の何奴だいや。あげえ新聞社やテレビが突っ込んでくるところを見ると、よっぽどの有名人だと思うがなあ」
 益々いけないと本部長はがっかりした。この田村さんと呼ばれる老大工は油断のならぬ人間だ。年頃から判断すると、このまえの戦争で弾の下を潜った猛者であろう。こういう年寄りは度胸が据わって勘も良いから、好加減な作り話をしてもごまかされない。やっぱり本当のことを話さなければ納まらないと本部長は腹を括った。
「ちょっとテレビを付けてみたまえ」
 本部長は駐在巡査に言い付けた。
「どのチャンネルでありますか」
 駐在巡査は、待合室の隅においてある形の古い中型テレビに、リモコンを向けながら聞いた。
「NHKでなければ何処でも良いだろう。こういうセンセーショナルな事件は、ワイドショーの格好なネタだからね」
 本部長がそう言ったとたんにテレビの画面が映り、法正寺のある山をバックに、派手な色のスーツを着た年令不詳のリポーターが、得々としゃべっていた。
「日頃静かなこのK町に大変なことが起りました。ここから見える法正寺の、住職札積金好氏がUFOに襲われ大火傷を負い、県立中央病院に搬送され治療を受けております。しかも札積氏に同行していた身元不明の人物が、山中にあった石碑の下敷きになり死亡いたしました。そればかりではありません。その石碑の載っていた台右を発掘して見たところ、飛んでもない物が表われたのです……」
 本部長は、さすがにテレビ局は黒焦げになった人物の身元まではまだつかんでいない。と胸を撫で下ろしたが、それも時間の問題であろう。
「あの『山霊』の石碑の下からあげえなもんが出てくるとは、わしらあもびっくりこいたが、金好坊主初めっから有るちゅうことに気が付いとっただな。わしらあ老人会のもんが、この辺りの歴史しを調べて見みてえけえ小山に上がらしてごせえって言ったら、反対したがその反対が尋常でなかったからなあ。顔色を変えて、しめえにゃあ宗男ばりに怒鳴りつけたけえなあ」
 田村さんは、テレビの画面と本部長の顔を見比べながら言った。
「でも石碑の下から出てきた物はなんでしょう。私も学生時代に歴史は嫌いなほうじゃあなかったけど、あんな妙な物は、教科書にも先生の授業でも、教わったことはありません」
 オバサンは、首をかしげながら言った。
 村西医師は、掘り出された物より奥の診察室に安置した骸を、何とかしてもらいたい。そういう表情で本部長を睨みつけた。
「私は実物を見ていないし、歴史の素養がないから何とも言えん。それより石碑の下になって死亡した人物のことだが、警察庁に問い合わせたところ長官自ら電話に出られて飛んでもないことを言われた。これから話すことは、総理大臣も御存じない重大な事実だということを、良くお含みいただきたい。あの人物は皇室の一員なのだ」
 本部長はそこまで言うと、言葉を切って皆の様子を窺った。
 皇室という言葉を聞いて皆はぽかんと口を開け、一分ほど無言であったが、オバサンが学生に戻って、教諭に質問するときのように手を上げて聞いた。
「皇室の一員と言うと、皇族、つまり平たく言えば宮様のお一人と言うことでしょうか。どの宮様ですか」
 本部長はオバサンの質問が単刀直入だったので、ぐっと言葉に詰まったが、ここまで来てごまかしは利かない。血を吐く思いで一気に言った。
「皇太子殿下の弟に当たられるお方だ。もっとも表には出ていないがね」
 また鉛のような空気が拡がった。田村さんは、戦前の皇国史観の世代なので、それを問いて思わず漏らしてしまった。
「あのう皇太子殿下の弟君は一人の筈ですがな」
 田村さんは益々恐ろしそうに身をすくめ、それでも聞かずににはおれないという、陰にこもった調子で本部長に迫った。
 聞かれる本部長も田村さん以上に怖いのだ。皇宮警察の別動隊であるS部隊が、何とかこのスキャンダルを揉み消そうと動いていると、長官が言っていた。彼らは通常の警察と違い超法規的な行動を取る。何時何処でスナッバーの銃口が狙っているか分からない。
「それがそうではないから困るのだ」
 本部長は重たいロが益々重たくなったよう感じた。
「お局制度は明治天皇で廃止になったと聞きましたけど、あれは嘘なんですか。隠し子が居るなんて嫌らしい」
 オバサンは、父親が浮気をして、外に子供をつくったことが分かった少女のように、むきになって言った。
「まあ天皇だって人間宣言したんだから、隠し子の一人や二人居たところで驚くには当たらないだろう。問題はその人物の性格だよ」
 本部長は、オバサンの純粋な質問にふんぎりが付いたように言った。
「というと、そこで炭になっている皇太子の弟とやらは、何か性格的に問題があったのですか」
 村西医師は、思想的に左翼がかっているので、よけい腹だたしそうに聞いた。
「そこまでは長官も言わなかったが、とにかく表沙汰になれば皇室の大スキャンダルだというので、当時の外務大臣が秘に英国王室に渡りを付け、生れて三か月の日陰の身を、あの国に送ってしまったらしいな」
 本部長はそこまで言うと、急に疲労感を覚えたらしく、待合室のソファアに腰を降ろしてしまった。
「そうすると英国育ちの親王殿下が、なぜこんな田舎の寺の敷地内にある石碑の、下敷きになったんでしょう。皇宮警察とは連絡が取れないんですか」
 オバサンがまた素朴な質問をした。
「飛んでもない。そんなことをこちらから皇宮警察に問い合わせてみなさい。今の内閣が吹っ飛ぶどころの騒ぎじゃあない。下手をするとクーデターが起りますよ。何しろS部隊の隊長は、自衛隊の東部方面軍を指一本で動かす力を持っているんだから……。それにもう一つ不味いことには、東京都知事はあのとおりの国粋主義者で、今の内閣をぼろくそに扱き下ろしているんだから、自衛隊が動くとなれば喜んで協力して、それこそ東京は昔の帝都に逆戻りするでしょうよ」
 本部長は体をソファアに預けて、とうとうと巻くしたてた。
 村西医師は話にならないと言った様子で、両手を大きく広げて言った。
「馬鹿ばかしい。今の平和憲法下でそんな下手な、アニメの筋書きみたいなことが起るはずはないでしょう。曲りなりにもシビリアンコントロールが働くでしょうから……」
 それを問いた本部長は、眠狂四郎か机竜之介みたような、ニヒルな笑いを浮かべて言った。
「あのねえ女医さん。今の日本はあんたが思っているほど、憲法が順守されていないんですよ。それが証拠に、自衛隊という名前の軍隊が歴然として存在しているじゃあありませんか。それが最大の憲法違反でなくてなんです。皇室というものの存在を認めているのも、国民の側からいやあ権力側の背信行為と言うべきでしょう。おっと、かくいう私も権力側の一翼を担っていたんでした。あんた方が平和憲法と言っているものもまやかしですよ。なぜかといえば、第一章の天皇条項を読めば分かりますよ。国民の総意に基ずき天皇を象徴にすると言うふうな文言が書いてありますね。総意というのは国民全部がそれを認めたということではないですか。そんな馬鹿なと、あんたの科白をそっくりお返ししますよ。日本にゃあ超右翼から無政府主義者まで色んな人間が居るんです。それの総意なんてことは現実にあり得ますかねえ。とにかく日本という国は、弥次郎兵衛みたいなもんで、ちょっと右にバランスを崩しゃあ、戦前の天皇制復活となるわけです。国会の開会式を見て御覧なさい。特に参議院の式次第は戦前と殆ど変わちゃあいませんよ」
 この本部長も、国家公務員試験の一級を通ったのであろうが、学生時代にはマルクスエンゲルスにかぶれた口だった。今はT県の警察本部長という、キャリアとしては不本意な地位に甘んじているのであろう。それがこういう妙な事件に遭遇して、ストレスが倍増し思わず日頃の鬱憤を口に出したのだ。
「ところで、あの骸をどうしてくださるんですか。何時までもここに置かれては診療ができなくて困るんですがねえ」
 村西医師は同じ不満をむし返した。とその時であった。電話のベルがけたたましく鳴ったので、側に居た看護婦が受話器を取った。
「はい、こちら村西医院ですがどなたでしょうか」
 そう看護婦が応対した。電話の向こうから、大分年配の男の声が高圧的に響いた。
「そこにT県警察本部長が居るはずだ。呼んでくれたまえ」
 看護婦は大分頭にきたらしく、頼っペた膨らまし黙って受話器を本部長に突き出した。
「もしもし、電話をかわりました。どなたでしょうか」
「私だよ。警察庁長官だ。マスコミ対策はどうなっているのかね。東京の民放五社の内、三社までが生中継をやっとるぞ。かくいう私もそれを見て驚いて掛けたんだが、まさかあの人物の身元がバレるような事態にはならんだろうな」
 電話の向こうから聞こえる長官の声は、かなり狼狽しているように聞こえた。
「はっ、申し訳ございません。こちらの不手際でマスコミに漏れてしまって……。あの人物の身元だけは何としてもバレないように努力します」
 本部長は受話器を耳に当てたまま、ペニペこと最敬礼を繰り返した。
「そう願いたい。もしバレたら皇宮警察のXが、S部隊を動かしてそこの村落を、丸ごと消してしまう暴挙に出るかもしれぬ。そういう不穏な動きがあると、公安調査庁から連絡があった。ところでテレビのリポーターが言っていた、石碑の下から出てきた物とはどんな物だね」
 長官もその点になると、ミーハー根性丸出しで聞いた。しかしよく考えてみれば、警察本部長がその実物をまだ見ていないのだから、職務怠慢と言われても仕方がない。
「はっ、これから現場に行き実物を確認してすぐお知らせします。それから長官。例の人物の遺体をどういたしましょう。ここの医者が営業に差し支えるから何とかしろと矢の催促でして……」
 本部長は、だらだら流れる冷や汗を拭うのに忙しい様子で、それでも長官に食下がった。
「うむ、それが頭痛の種なんだ。下手に動かせばマスコミの勘の良いのに気どられる恐れがあるからな。まあこの先二十四時間は、その医者に泣いてもらおう。こっちもXの動きを逐一把握してみなければ安心できん。じゃあよろしく頼む」
 それだけ言うと、長官は電話を切ってしまった。東京の方でも永田町や霞ヶ関が、相当騒々しくなっているらしい。と本部長は推察して受話器を置いた。そして駐在巡査を呼びつけて言った。
「これから私もその石碑のところへ行ってみたい。案内を頼む」
 ところが駐在巡査を押し退けて、田村さんと呼ばれた老人がしゃしゃり出てきて言った。
「本部長さんもお役目だけえ仕方がねえだらあけど、出来ることならあそこへは近付かんほうが身のためだと思うけどなあ。あれを見たら三年いや五年は寿命が縮まるぜ」
 本部長は、嫌なことを言う爺さんだ。そんなことを言われたら二の足を踏んでしまうと舌打ちをした。
「けっ、そんなに恐ろしいものが出てきたのかね」
「格好はそげえおとろしいちゅうもんでもねえけど、何だああれを見るとあの世が近くに思えるけえ不思議だがなあ」と、言うと田村さんは、気味悪い笑いを浮かべた。
「おい君。それのポラロイド写真を撮っているだろう。見せたまえ」
 本部長は、巡査に八つ当りするように大声で言いつけた。
「鑑識課の連中が本格的に撮っていました。そちらを御覧になったほうが確実だと思います」
 巡査は不満そうに言うと、ポケットから五六枚の、ポラロイド写真をとりだし本部長にしぶしぶ渡した。本部長は受け取った写真を窓際にもって行き、太陽光線でしげしげと眺めた。
「君。ここに写っている物はどれくらいな大きさかね。対象物が写っておらんから分らんじゃあないか」
 本部長は写真を見比べながら、巡査を責めるように聞いた。
「ええと、あれは高さが二尺いやもっとあったな」
 田村さんが、思い出すように首をかしげながら言った。
「ええ、ゆうに一メートルはありました。何しろ消防周と警官が六人がかりで、掘り出すのに二時間は掛かりましたからね」
 オバサンも横から口を挟んだ。
「相当大きな物だな。しかしこんな妙な物は私も生れて初めてだ。一体何者が造りそしてそこに埋めたのだろう」
 本部長は唸るばかりであった。その写真こに写っている物体は黄金色に見える。もし中まで本当に無垢だったら、潰しにしても億単位の値が付くであろう。形はピラミットを想像してもらえれば一番近い。だがその四面に記号が彫り込んであった。その記号がまた奇妙な取合わせである。一つは十字架、いま一つはユダヤ教のシンボルであるペンタグラフ、そして三日月。
「とくれば、もう一面に刻むのは、仏教のシンボルと思うのが一番分かり易いが、これで見ると違うな。この記号は何を表わしているのだろう」
 本部長は、まるでパズルでも解くように、写真をぐるぐる回しながら言った。
 確かに記号は奇妙な物であった。古代中国の甲骨文字を思わせる形で、四つ足の動物を簡略化したように見えた。だが耳が垂れて尻尾が異常に長い。もし子供が素直な目で見ればスヌーピーかアイボと即座に答えるであろう。
「何れにしても、動物をかたどったものだということは分かる。不思議なのは、三つの記号は旧約聖書を基にしたそれぞれの宗教のシンボルだ。しかもいな世界の紛争の原因の、半分以上はこの宗教の争いが元になっていると言ってもよかろう。なるほどご老人の寿命が縮まると言われた気持が分かるような気がする。或る意味では死神のシンボルとも言えるからな」
 本部長は、さすがにキャリアだけあって広く浅い学識をのたまった。

 そのころ三匹のアイボは、飛んでもないところにテレポートして下界を眺めていた。そこは極楽であった。宇宙の外だから科学的に言えば四次元の世界ということになろう。隣に網代笠に墨染の衣をまとい、錫杖を突いた弘法大師が、にこにこ笑いながらアイボ達を見ておられた。
「愚僧の肖像画には犬は付き物だが一匹多いな。それに金属で出来たものがよく動くのう」
 弘法大師はそう言われて、クロを持ち上げまじまじと御覧になった。
「おいおい。弘法さん俺はタラバ蟹じゃあないぜ。持ち上げてひっくり返しちゃあ目が回るよ」
 クロは口をパクパクさせて、足をばたつかせながら抗議した。
「分かった分かった。じゃあ下に降ろしてやる。ところで弘法さんは止めてもらえないかな。それは贈り名で死んでから呼ぶものじゃよ。愚僧には空海という立派な法名があるのだから、そっちで呼んでくれ」
 弘法大師は、クロを極楽の地面に下ろしながら言われた。地面というのもおかしな表現だが、とにかく足がつくのだからそういうよりほかにない。
「ちょっと待って下さいよ。ここは極楽なんだから、生物学的には生きているものはいない筈なんですがねえ。なぜ贈り名で呼ばれるのが嫌なんです」
 クロが理論的にはもっともな疑問をぶつけた。
「愚僧は死んでは居らん。ダイダラボッチに姿を変えて、日本全図を経巡っておるのじゃ。それが証拠に高野山奥の院には、一年に一遍衣を新しいものに取り替える風習が残って居るであろう。三度の食事も運んでくれるわい」
 弘法大師はそういわれると、極楽の紫の霞が掛かった中を、錫杖を突いてゆっくりと歩んで行かれた。そのあとを三匹のアイボがちょこちょこ付いて行く。
「なあケツにクウカイ。坊主は嘘をつくのが商売だけど、弘法さんの嘘は見え透いていて感心できないなあ。もし生きているなら、何で法正寺の金好みたいな、檀家を苦しめる守銭奴坊主を、それこそダイダラボッチに変化して、捻り潰さないのかねえ」
 クロはわざと、前を行く弘法大師に聞こえるように言った。
「これこれ、するとあのH村落の騒ぎはお前達の仕業か。大変なことをしでかしたもんだわい。誰がそんな超能力を組み込んだのかな」
 広法大師は何を言われても怒らないだけの修業は積んでおられるので、莞爾と笑いながら言われた。アイボ達はしてやられたと、一斉に頭を振って照れ笑いをした。
「それはソニーの企業秘密です」
 クロが代表して苦しい言い訳をした。
「うむ、お前達あのような力を組み込むとは、ソニーも兵器産業になる積もりかな。どんな悪人でも殺したり苦しめたりするのは罪悪じゃぞ」
 弘法大師がそういわれると、一番血の気の多いケツが食って掛かった。
「おお、なに言ってやんでえこの腐れ坊主。悪いことをしたらそれなりの報いを受なきゃあ、帳じりが合わなくてこの世は真っ暗闇よ。こちとら任侠道に生きる者にゃあ、弱きを助け強きをくじくという、有難い教えがあるんでえ。だからオバサンやあの村落の檀家連中を、助けてやろうとやったことに文句を言われたんじゃあ立つ瀬がねえや。おい、落しまえをどう付けてくれるんだい」
「ほほう随分そっちのは威勢が良いのう。しかしな。中国が本場の任侠道も、元をたどって行けば孔子の教えや、釈尊の仏法に行き着くのだよ。確かに世の中を全部自由勝手にすれば、弱い者が損をするのが理の当然じゃな。ではどうすれば良いか。これから教えを受けに連れていってやろうというのじゃ。有難く思いなさい」
 弘法大師は笑いながらゆっくりと、蓮池の周りの白砂を敷いた道を歩んで行かれた。その時向こうからてかてかと歩いてくる破れ衣の僧がいた。
「これは日連殿。慌てて何処へ行かれる」
 弘法大師は、このちょっとエキセントリックな後輩に声を掛けられた。日連は不味いところで会ったと言う表情を隠さなかったが、それでも大先輩に問われて、答えないわけに行かないので如何にも辛そうに言った。
「いや、面目しだいもございません。下界の甲府身延山久遠寺に、ごたごたが出来いたしまして、何とか決着を付けに参ります」
「ああ、あの脱税騒ぎでございますか。お互いに弟子の金銭欲には苦労いたしますな。丸く納まりますよう行っておいでなさい」
 弘法大師は軽く会釈をされて擦れ違われた。
「坊主は頭が丸くていいや」と、ケツがからかって言った。
「頭が丸いのはよいが、下界の連中は心がささくれだっておるからのう。丸くならんのが頭痛の種じゃ。ところであの『山霊』の石碑の下に妙なものを入れたのはお前達か。何の呪いじゃ」
 血相変えて走り去る日連の後ろ姿を振り返りながら、弘法大師は三匹に問われた。
「あんな物は一寸した悪戯ですよ。金好坊主が金が好きだと聞いていたから、前の晩に夢枕に立ってあそこを掘って見ろと誘いを掛けたんですよ。そうしたら案の定、朝早く唐鍬や鶴嘴を担いでのこのこ掘りにやって来たから、これ幸いと三匹力を合せてエネルギービームを浴びせてやったんですよ。ですが、残念ながら金好坊主は大火傷だけで生き残ったんだから、全く悪運の強い奴ですよ」
 クロは得々として言った。
 弘法大師は因った奴らだ。そういう表情でさらに問われた。
「まあやってしまったことは仕方がないが、あのピラミットの四面に付けた記しはどういう意味なのだ。まあ一つはお前達アイボを簡略化したものだと言うことは分かるがな」
「えヘヘえ。何もかもお見通しなんですねえ。だったら後のマークもユダヤ教キリスト教イスラム教のシンボルだと分かるでしょう」
 クロが弘法大師の顔を見上げて言った。
「分かっているから、あんな物をどういう意味で付けたのか問いているんだ。旧訳聖書を元にした宗教を、お前達はからかっているのか」
 弘法大師はゆっくりと道を進みながら聞かれた。辺りは菩提樹の林に囲まれ、ときおり迦陵頻伽の妙なるさえずりが聞こえていた。
「その三つの宗教が、世界中の人間を争いに巻き込んでいるんで、金好坊主の金好きと合せて、争いの根源だという我々からのメッセージですよ」
 クロは、いかにも得意そうに尻尾を振りながら言った。
「ロボット犬のくせに手の込んだメッセージを発したものだな。確かに宗教は行き過ぎると争いの種になる。だからマルクスも宗教は阿片なりと言っておる。むつかしい問題を突き付けおったな。おっ、あれを見ろ。下界では大変なことになっておるぞ」
 弘法大師はそういわれると、白砂の道の脇にある蓮池を指差された。大きな蓮の葉の間の水面を、三匹は覗いて驚いた。H村落の様子がまるでへリコブターに積んだテレビカメラの、ズームレンズが写したように手に取るみたいにはっきり分かる。H村落を自衛隊のM73型戦車が十数輌取り囲んでいる。
「うへえっ、大変だ。あれじゃあパレスチナのアラハト議長の事務所並みだよ。何であんなことになったのかなあ」
 クロはそれを見て悲鳴に近い声で叫んだ。ほかの二匹もただ呆然と口を開けて、ことの成り行きを見守るばかりであった。
「みんなお前達がやらかした悪戯が原因なのだ。やっぱりロボット犬のCPUは限界があるなあ」
 そう言われる弘法大師の顔にも、憂慮の念がはっきりと表われていた。
自衛隊があんな小さな村落を取り囲んで、これからどうする積もりだろう」
自衛隊は軍隊だ。軍隊のやる仕事は破壊と殺我と相場がきまっとる」
 弘法大師はやけに落ち着いてそういわれた。
「俺達のやった悪戯が原因だというけれど、その理由を教えてもらいたいな」
 クロは気が答めるので、よけいに肩をいからせて聞いた。
 そこにぼろ布を体に巻きつけて、手には残飯としか思えない食べ物をもった、汚い老人がよたよたと現われた。弘法大師はその老人を見ると、一足飛びに後ろへ下がって地面に平伏した。
「これはお釈迦様。今頃おでましとはお珍しい。何用でございましょう」
「なあに、私しも珍しいもの好きでな。現世からアイボが飛んで来たというので見せてもらおうとのこのこ出てきたのじゃ。ほほう、なかなか良くできておるのう」
 釈迦はそういわれると、目を細めて三匹の頭を撫でられた。
「あんたがお釈迦さんかい。だったら下界のあの騒ぎを納めておくれよ。オバサンが流れ弾にでも当たって、こっちへ来るよなことになったら俺の男が立たねえ」
 ケツは両手を大きく上げて懇願した。
「心配しなさんな。そんなことには絶対ならんから」
釈迦は悠然というと、手に持った食べ物をむしゃむしゃと食べ出した。
「なぜそんなにはっきりと請け合えるんだい」
 ケツは疑わしそうに首を振った。
「請けあえるとも。オバサンはどちらかといえば無神論者だからな。死んでもここへ来る気遣いはないよ」
 釈迦は食べ物を食べ終って、指を一本ずつなめながら言われた。
「そんなもんかねえ」
 ケツはまだ信用できないという様子で、腕立て伏せをしながら言った。
「そんなもんだよ。大体神や仏というものは人間の外にあるのではない。脳の前頭葉の一部分で作りあげているのじゃ。無神論者やほかの生き物は神を認識することがないから極楽へ来ることもないと言うわけじゃ。お分かりかな。お若いの」
「分かったようで分からねえ。まあそれならロボットの俺達が、何で極楽ヘテレポートできたんだい。そこんとこをはっきり してもらおうじゃあねえか」
 ケツはあるものなら、袖を巻くって凄みをきかせたい様子で言った。
「理屈できたか。確かにこの状態は不条理なきわみだからな。しかしよく考えて御覧。下界で人間が右往左往しているのも不条理とは言えないか。つまり人間そのものが不条理なのだよ。猿から進化して二本足で歩き、サバンナに出て周りを見た途端、自分の存在に疑問をもった。なにかしら不安なのだ。四つ足でジャングルをはい回っていたときには、己の命を支えるために食い物を探していれば一日が済み。一年が過ぎてやがて寿命が尽きる。だが二本足で立つと視野が変わって、自分は何で何処から来たものだろう。などと余計なことを考え始める。いくら考えても答えは出ない。そこで人間は神という不条理で絶対的なものを、脳のなかでこね繰り上げるというわけだ。その神が宇宙を創造し。ひいては自分たちを創ったのだという幻想にはまり、死の恐怖を逃れようとあがくわけだ。だが事実は違う。宇宙は厳然としてそこに在り、初めもなければ終もない。どうだ分かったかね」
 釈迦はそういわれると池のほとりに腰を降ろされ、水面に写る下界の様子を興味深く覗かれた。
「チンプンカンプンでさっぱり分からねえや。じゃあ聞くけど、神や仏がないものならこの極楽だってないわけだ。だけど俺達はこうしてっこに居る。どっちが本当なんだい」
 ケツは、本当に穴(けつ)をまくりたい心境で釈迦に食下がった。
「うるさい。それほど言うなら真実を見せてやろう。付いてきなさい。ついでにそこに土下座している空海坊も付いて来なさい。自分の宗門の僧侶が悪行を侵し、人々を苦しめておるのだから始末を付ける責任があろう。もっとも私は、菩提樹の下で悟りを開いたとき、自分の考えが何千年も生き残って、宗教になろうとは想像もしなかったがな」
 釈迦はそういわれながら、池の端から腰を上げられたo
「わぁい。釈迦も弁解するのかい。まあ昔から、法論は何れが勝っても釈迦
の恥という川柳があるからね。でも近頃じゃあ、自己責任がやかましく問われる時代だもん。まあ弁解を許してやるか」
 クロは大きく手を上げ激しく尻尾を振りながら、いかにも溜飲を下げたように言った。
 釈迦はそれには頓着されず。両手で印を結んで口のなかで呪文を唱えられた。すると何処からか一条の光りが差してきて、二人と三匹を包んだ。
 H村落では村西医院は前線本部と如していた。本部長は電話にしがみ付いて警察庁長官と渡り合い、ほかの警官は村西医院の周りに、肥料袋を集めて急こしらえの土嚢を造り、積み上げている。無論こんなもので、自衛隊の戦車が防げるとは思っていない。気休めは承知のうえだが、何かしていないと不安なのだ。
「長官。一体どう言うことです。分かるように説明してください」
 本部長が受話器に向かってがなり立てた。
「恐れていたことが現実になったということだよ。S部隊のXがクーデターを起こして、東京を戒厳令下に置いてしまった。こうして私が掛けている電話も携帯だから、いつ傍受されて、連結が取れんようになるか分からん」
 受話器の向こうから聞こえる長官の声も、悲壮感をおびていた。
「クーデターは、東京を占領すればそれで済むことではないですか、国会議事堂を占拠して内閣と国会議員を逮捕し、放送局と新聞社を接収すればほぼ成功でしょう。なにもこんな山陰の、人口五百人程の村落を、戦車が十五輌も出て包囲することはないと思いますが……」
 本部長の声は怒りに震えていた。
「クーデターの手順をよく知ってるな。まあそれは置くとして、戦車を出動させた訳はXに聞いてくれ。こっちは逮捕されて、下手をすれば銃殺になる側だからな」
 長官の声が男泣きに変わった。
「ううむ、どうもあの骸と坊主が掘り出したという、黄金のビラミットに原因があるらしい。それに皇室が絡んでいるからややこしい。長官、運が良ければまた何処かで再会しましょう。もっともこの確率は低いようですがね。いま部下が報告したところによると、K町の前町長がゼネコンと結託して造った、天守閣の格好をしたコンクリート製の展望台が、戦車の試し撃ちの標的にされて、たった今倒壊したそうです。こうなれば本宮も、叶わぬまでもリボリバーで応戦し、自衛隊の一人ぐらいは倒して、殉職する覚悟を決めました。ではご機嫌よう」
 本部長はそう言って電話を切った。なるほど砲声が村西医院の硝子窓をビリビリと震わせている。
「こりゃあ面白いことになってきただがよ。どうせ先は短いだけえ、ガソリンの一ぺェつまったポリタンクを抱えて、戦車の下に飛び込んでやらあか。南方でやることを、六十年経ったいまやると思やあ、何だあ血が騒いで来るわいや」
 田村さんは武者震いして言った。
「それも良かろう。どうせ向こうはあの寺や、『山霊』の石碑やビラミットをこの世から抹殺してしまう。その巻き添えにH村落も焼く気らしい。そうすりゃあ陰の親王殿下が田舎の坊主と結託して、墓泥棒もどきをやっていたことも闇から闇だからね。しかし一寸の虫にも五分の魂と言うことがある。何とか一矢報いないと成仏できん。ご老人付いてきてくれ。そっちのご婦人もなあ」
 本部長は何か思い付いたらしく、オバサンと田村さんを手招きして村西医院の外に出た。まだ戦車はH村落の中までは突入していない。本部長は駐在巡査とほかに二名ほどの警官を護衛に連れ、H村落のほぼ真ん中にあるJAの支所へ向かった。その前は一寸した駐車場になっていて、今はテレビの中継車が占拠する形になっていた。
 本部長は三台ある中継車の中から、一番反体制の色の濃い放送局のものを選んで、中へ乗り込みデレクターに声を掛けた。
「東京はクーデターが起って、放送局は反乱軍にみんな接収されてしまったようだが、この中継車から衛星を通じて、世界のメディアに呼び掛けることは可能かね」
「それは可能です。一番簡単なのは、アメリカの軍事衛星を経由して、ペンタゴンに画像を送り込むことです。あそこの衛星はどんなスクランブルも掛からない仕組みになっていますから……」
 未だ若いデレクターが答えた。
「じゃあその準備をしてくれ。我々は知っているだけの情報を、カメラに向かってぶちまけるから。アメリカやロシヤがどういう態度に出るか見物だぞ」
 本部長はにやりと不敵な笑いを浮かべた。もはや上司にゴマをするキャリア官僚の面影はなかった。窮鼠かえって猫を噛む心境に成っていた。
 その情報は二時間で世界を駆け巡った。
 アメリカとロシヤは急遽大統領同志の電話会談を行ない、このまま日本の現状を放置することはできないと意見が一致した。それから更に三十分後、日本の周辺海域を遊弋している米国海軍の、戦略型原子力潜水艦『ニューヨーク』から、五発のミサイルが発射された。その弾頭にはそれぞれ十発の核爆弾が搭載されていたことは当然であった。
 釈迦と弘法大師と三匹のアイボは、上空の紫の雲の上からそれを見ていた。日本列島に無数のまばゆい閃光が輝いて、それが納まるとまるで椎茸の櫓(ほだ)木から、次から次へと笠を開かすようにキノコ雲が立ち上った。
「わあっ、これはハルマゲドンと言うものかいな」
 ケツは絶叫に近い声で叫んだ。
「これこれ、それはユダヤ教キリスト教で使う言葉じゃ。我が仏法では最後の審判等は認めておらん」
 釈迦は厳しい語調で言われた。ケツは首をすくめたがすぐへ理屈を思い付いた。
「そうは言うけど、あれだけ核爆弾をぶち込まれたんじゃあ、日本民族は全滅ですぜ。日頃は人を救うのは出家の役目なんぞと、うまいことを言っておきながら、いざというときになぜ助けたやらなかってんですかい」
「なかなか理屈を言うのう。確かに人間が殺されて行くのを黙ってみているのは辛いことじゃ。しかし日本民族というものは一度御破算にして、また一から出直したほうが良いと思うから放っておいたのじゃ」
 そういわれる釈迦の顔は、決して晴れ晴れとはしていない。苦渋の選択であったことは、その苦り切った表情からつぶさに見て取れた。
「どうして日本民族は滅んだほうが良いんです」
 クロが代わって疑問を投げ掛けた。
「それはな。ボタンの掛け違いを気が付かなかった報いじゃよ。あの十五年戦争を、天皇の名で遂行した責任を全く取らなかった。それどころか自国民はおろか、迷惑を掛けた近隣の国々にも正式な謝罪をしていない。こんな非常識な民族は、世界の歴史をみてもほかにあまり無いぞ。私が一番気に入らんのは、宗教を利用して自国民を誤った方向に導いた権力者の存在じゃ。またぞろ性懲もなく皇室を利用して、Xなどという馬鹿者がクーデターを引き起こし、戦前の天皇制に引き戻そうなどという、飛んでもない悪夢を見るから、核爆弾の雨が降るのを止めなかったのじゃ」
 釈迦は悲しげな表情でそういわれた。
「ふうん、そういう解釈もできますか。でも世界じゅうには、宗教の名の元に争いを繰り返している民族だらけです。人間なんて救い難い生き物なんですかねえ」
 クロは、キノコ雲に覆われた日本列島を見下ろして居ました。
「いや、そうでもないぞ。救いがあるとすれば、人間が宗教という閉鎖的な自己防衛の殻から抜け出し、哲学と化学ををうまく融合させて、文明を次の段階に進めれば、弥勒菩薩が表われるという五十六億七千万年の未来まで持つかもしれんな」
 釈迦は、アイボの落胆を慰めるつもりでそんな与太噺をされた。
「そこまで持ちますかねえ。もしかしたら人間はとっくに滅んでいて、弥勒菩薩に挨拶するのは、我々の子孫のロボットだったりして……」
 クロがそう言って溜息を漏らした。その瞬間、紫の雲も釈迦も弘法大師もすうっと目の前から消えて、三匹のアイボは地球の引力に引かれて、石のように落ちて行った。

 ケツが気が付いたのは『白兎』のロビーのタイルの上であった。
「あら、どうして落ちたんだろう」
 オバサンがそう行ってケツを拾い上げるとJステーションの上に置いてお年寄りの介護の仕事へ向かった。