矢車通り~オリジナル小説~

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終止符(野川助松)

※長編のキャラクターをつかむために、キャラクターの過去のエピソードを書いてみています。キャラクターの人となりがわかるエピソードにすることが目的です。物語にはならないかも知れません。

 仕事上の悩みを聞いているうちに、同僚から恋人に昇格してしまった相手だった。今年で2人とも30歳になる。野川助松はそろそろプロポーズしたいと考えていた。
 雨の国道を走りながら、助手席に目をやる。乾玲子が窓わくにひじを乗せて外を見ていた。ダッシュボードには婚約指輪を忍ばせてある。
「あなたは」
 外を向いたまま、玲子がつぶやいた。
「なぐさめと安堵をくれたけど、安心はくれなかった。それどころか、どんどん不安になっていくの。……別れましょう」
 野川は急ブレーキをかけて路肩に車を寄せた。そのまま停止する。玲子のほうに体ごと向き直った。
「今、なんて?」
 玲子がさらに体をねじって背中を向けてくる。
「だから、別れましょう」
「なぜ?」
「不安なのよ」
「何が原因?」
「だから、そういうところ」
「え?」
「私に不満があると、あなたは私を質問攻めにする。答えているうちに、いつの間にか私の中で答えが固まっている」
「うん」
「教室で生徒の相談に乗ってるんじゃないんだから。それじゃ、あなたに不満を言ってる意味がないのよ。あなたの考えはどうなの? 私はあなたとつきあってると不安になる。だから別れたい。それについて、あなたはどう思うの?」
「どうって、君が別れたいわけで、僕には、そのことに対する意見はないよ」
「不安にさせてごめんね、とか。これからは不安にさせないように気をつける、とか。なんとか言いようはあるんじゃないの?」
「他人の感情に責任持てないよ」
「持てないものを持とうとするのが、恋人同士ってことじゃないの? ううん。別に本当に責任持ってほしいと思ってるわけじゃないの。ただね。言葉の上だけでも、もっと頼もしいことを言ってくれないと、どんどん不安になるのよ。2人でいるのに1人ぽっちみたいな気分になるの」
「1人ぽっち?」
「あなたは私が荷物を運んでいても手を貸してくれない。私があなたの荷物を半分持とうとしても許してくれない」
「僕は僕、君は君だ」
「だったら一緒にいてもしょうがないんじゃないの?」
 大事な話をしているのに、玲子が目を合わせようとしないのが、どうしても気になった。
「こっちに向いてよ。目を見て話して」
「いや」
「嫌って」
「あなたの、その、この世にはつらいことなんかなんにもないみたいな顔見ると、こんな話できなくなるから嫌。眉が垂れてるから緊張感ないし、鼻がまんまるだからなごんじゃうし、唇なんていつも微笑を浮かべているみたいで。とても真面目な話なんかできないもの」
「生徒はちゃんと僕の授業を聞いてるよ。真面目に」
「学校の話はやめて。私、今年度でここ退職するから。塾を手伝ってほしいって友達に誘われてるの」
「そんな大事なこと」
「あなたに言ったらどうなるか、見当つくもの。塾に行ってどうするのか、細かいところまで聞かれて、答えているうちに転職のメリットもデメリットもわかって、両方を天秤にかけてより重いほうを選ぶことになるって。もう細部まで思い浮かべられる。だって、あなたの相談ののり方、ワンパターンなんだもの。何を聞いても同じ。もう、私にとってあなたは居てもいなくても同じなのよ」
「それじゃ僕はただの相談相手? ほら、こっち見て答えて」
「いや」
「見て」
 助松は玲子の腕をつかんだ。引っ張ってこっちに向かせようと思った。
 ふと、玲子、腕が痛いだろうな、と、思った。
 助松は手をゆるめた。玲子の腕を軽くつかんだまま、どうしたものかと考える。
 結局、手を離した。
「さよなら」
 玲子がドアを開けて出て行った。
「何も言われなくても君の気持ちがわかるようになったら渡そうと思ってたんだけど」
 別れ際に言うはずだった言葉を口にしてみる。
「僕には、まだまだ、ひとの気持ちなんかわからないな」
 車はそれから1時間ほど止まっていたが、やがて動き出した。
 
        終