矢車通り~オリジナル小説~

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拍手の向こう側(7)

浦戸シュウ小説目次

「拍手の向こう側」目次
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         7
         
 クラブ棟の隣にあるプレハブ長屋の一室に衣装研究会はあった。
 アルミサッシの扉をルイが叩くと「開いてるよー」と女性の高い声が返ってきた。
「ごめんくださあい」
 ルイが扉を開けて中を覗き込んだ。
「まみ。ちょっと演劇部のことで相談があるんだけど」
「ああ。いいよー。入って入って」
「みんなで来てるんだけど」
「ぜんぜんオッケー。どうぞー」
 最後の「どうぞ」は輪乃森と美園に聞かせようとしたのか、ひときわ大きな声だった。 輪乃森に続いて入ると、六畳ほどの部屋の中は人と物でいっぱいになっていた。輪乃森の左側にくっついて、なんとか扉を閉める。大きなテーブルの周りに何人もの生徒が座っている。椅子は丸椅子だ。しばらくごそごそと全員が動いたら全員がテーブルに向かって座れるようになった。隣の人と全員がくっついている。
 どの人が西宮さんだろうと見回していると、同じクラスの男子生徒がいるのに気がついた。目が合う。つつつと男子生徒が目を逸らした。
「なあに?」
 長い巻き毛の女子生徒が見とがめるように聞いてきた。
「いや、ホームルームでどんな演し物をしたらいいかって話をしてたときさ」
「ああ。うちのクラスでもルイがしたからだいたいわかる。それで?」
「倉崎さんが『生き生きした人間が出てくるうんちゃら』って言ったから。『ストリップでもやればあ?』って声かけたわけさ」
「それは『生き生き』じゃなくて『生々しい』だろっ」
 すかさず巻き毛の生徒が口をはさむ。
 ほかの生徒たちの間でほんの少し笑いが起こった。
「そうそう。そんな風に突っ込んでほしかったわけよ」
「できるわけないだろっ。無茶するなあ。あ、ごめんね。倉崎さん。そういうわけで悪気ないんだ。こいつ。許してやってよ」
「あ、いえ、許すも許さないも。ストリップのどこが面白いのかうかがいたいなと思っただけで。ほかにはなんにも」
「はあ? フツー怒らない?」
「怒るものなんですか」
「変わってるねえ」
 女子生徒は無遠慮な視線を投げかけてくる。
「そんで、相談って?」
 ああ、この人が西宮まみさんなんだ。
 美園は納得して正面から目を合わせた。
「こちらの衣装同好会さんに、まとめて演劇部に入っていただけないかと思いまして」
「あの。あたしたちが何やってるか知ってる?」
「マンガに出てくる服を作って着ていると聞いてます」
「あの。コスプレって知ってる?」
「コスプレ?」
「コスチュームプレイ」
「衣装遊びですか? よくは知りませんけど。雑誌で見たことがあります」
「うんうん。それそれ。マンガのキャラクターのコスチュームを着て、成りきってポーズ取ったりする遊び」
「ああ。じゃあ。同じようなことをやってます。衣装を着て登場人物に成りきってストーリーに沿って演じて見せれば芝居です」
 どこかに決定的な違いがあるような気もしたが、とにかく部員を集めなくてはならない。細かい調整はつきあっていくうちにできるだろう。美園は押した。
「ストーリーねえ。やりたいのがあるんだけど」
「なんですか?」
「これ」
 まみが後ろに体をひねって、棚からマンガの単行本を取り出した。『凍てついたパッション(1)』と表紙に書いてある。神父服を着たごつい男と、丈の短い修道服を着た巻き毛の女のイラストが描かれていた。
「あ。この女の人、西宮さんにそっくりですね」
「いやん。嬉しいこと言ってくれるじゃん。そんでそんで、この男さあ。この人に似ていると思わない?」
 まみがどこからかA4の写真を取り出した。制服を着た男子生徒が写っている。五分刈りの頭といい、四角張った顔といい、なるほどそっくりだ。
 「あ」と輪乃森が声を出した。どうやら知り合いらしい。
「ええ。似てます」
「だからね。この人とあたしが主役で、このマンガの第一話をやってくれるなら、演劇部で活動するよ」
「形だけで芝居はできません」
 美園は首を横に振った。
「確かに外見はそっくりです。衣装も、ここに置いてらっしゃるものを見る限り、本当にそっくりにお作りになれるんでしょう。でも、作者の意図やストーリーの意図はただ似てるというだけでは再現できません。その人物の内面まで理解して、さらに、その内面を表現できてこそ、芝居です」
「ははあん。あたしが主役じゃつまらないんだ?」
「いえ、そんなことは。芝居は関わる全ての人が自分の役割を果たすからこそ機能します。主役かどうかなんてこだわりません」
「じゃあ。協力してよ。いいじゃん。そっちはクラブが続いてめでたしめでたし。こっちはマンガの再現ができてめでたしめでたしなんだから」
 美園はハッとした。クラブが続くかどうかの瀬戸際で、自分の意見だけ押しつけるわけにもいかない。ルイに目をやると机の下に手を隠して「オッケーマーク」を出していた。隣の輪乃森に顔を向けるとうなずいている。
 二人は条件を呑む気だ。
「あの。西宮さん。何か芝居をやったことは? 学芸会で十分なんですけど」
「ない。クラスとかの行事ってかったるくって。やりたいことできないもん」
「じゃあ。まず、体育館の後ろまで通る声が出るように訓練しなくちゃなりません」
「なんでー? マイク使えばいいじゃん? ワイヤレスの借りられるように手配するよ」
「まあ。それでもいいです。でも、思ったように動けるように身体訓練しないと」
「マンガの中でやってることなら、だいたいできるよ。走ったり、体曲げたり、障害物を乗り越えたり」
「セリフは?」
「あああああ。セリフ。決めゼリフしか言ったことないなあ」
「セリフに感情を込められるようになるために、時間をかけて練習しないといけないんですが。やりますか? だいたい、週七日くらいですが」
「それ、毎日ってことじゃん。へえ。倉崎さんでも冗談言うんだ」
「言いません」
 初めて、まみがグッと声を詰まらせた。
「週三日」
「六日」
「五日。水曜と木曜だけ休みにしてよ。毎週買ってるマンガが出るんだもん」
「わかりました。練習には休まず出てくださいね」
「わかった。ほかの奴も自分の好きな役、取っていい?」
 黙っていた同好会のメンバーが、期待を込めたような真剣なまなざしで美園を見つめていた。
「え、ええ。ちゃんと台本が成立するんでしたら、かまいませんが」
「ひゃっほー」
 歓声が上がる。美園は、改めて、メンバーを見回した。女子生徒が三人、男子生徒が二人、そして、西宮まみ。
 あれ?
「あの、衣装同好会は、今、全員集ってらっしゃいます?」
「うん。そう」
「六人ですか?」
「うん」
「あと。一人必要ですね」
「うん。だから、この人」
「メンバーじゃないんですか?」
 美園は目を剥いた。
「うん。これから頼みに行くんだけど。大丈夫。輪乃森くんが居れば」
 名前を出されて、輪乃森が自分を指さした。
「僕?」
「うん。角浜くんと同じクラスでしょ? それに、角浜くんって輪乃森くんのこと、とっても買ってるって聞いたよ。輪乃森くんの頼みなら断らないよ」
「確かに入ってくれるって言ってたけど。角浜はマンガ研究会が忙しいんじゃないかな」
「じゃあ。マンガ研究会ごと入ってもらえばいいんじゃない?」
「いや。さすがにそれは。うーん。わかった。頼みに行くよ」
 西宮まみの言うことを聞いていると、なんでも簡単にできてしまうような気がする。頼もしいような不安なような、妙な気分を味わいながら、美園はこれで演劇部が続きますようにと祈った。