矢車通り~オリジナル小説~

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拍手の向こう側(10)

浦戸シュウ小説目次

「拍手の向こう側」目次
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         10
         
 二DKのマンションの一室で、鹿山かこはベッドにうつ伏せになって転がっていた。部屋の中はありとあらゆる物が散乱し足の踏み場もない。身を横たえるベッドと、原稿を描くための机の上だけが、聖域として物の侵食を逃れている。深い青の分厚いカーテンは閉め切ったままなのにほのかに明るい。外の日差しの強さがしのばれた。
 かこは両手を突っ張って、むくっと起き上がった。目は半ば閉じたままで、ふらふらと立ち上がる。飛び石をたどるように、物のない床を器用に踏みながら台所の水道にたどりつく。蛇口から出した水を直接飲んだ。
「はあああ」
 口元をぐいっとジャージの袖でぬぐい、ようやく大きな目を全開にした。両手を大きく上に広げ、のびをしながらクルッと回る。仕事机が視界に入ると、だらっと手を落とした。ストレートの長い髪を右手でかき上げながら、玄関のほうへ向かう。半畳ほどの三和土の手前に、段ボールが積み上がっている。一番上の段ボールから出版社を経由してきた郵便物を取り出した。
 A4の封筒の上書きには、宛て先のほかに朱筆で「上演許可願在中」と書いてあった。ずいぶんと念入りな書き方だと思いながら中身を出してみると、A4の紙が五枚入っていた。一枚目は簡単な自己紹介で、全てが同じ大きさの几帳面な字で記されている。二枚目はかこの作品の上演の許可を求める書類で、上演作品、上演期日、上演回数、会場、入場料、連絡先、公演責任者などが書いてあった。三枚目はかこがサインをする許可書で、手間なく送り返せるように、切手を貼った返信用の封筒まで同封してあった。四枚目には上演内容があらすじで書かれていた。
 筋が通っているようには見えなかったが、高校の演劇部だそうだから、こんなものだろう。あまり細かいことを突っ込んでもはじまらない。マンガを原作にして上演しようという心意気だけで十分だ。とくに、かこのマンガを原作にするところがえらい。きちんとした書式で許可願いを出してくるくらいだから、きっと返事を心待ちにしているだろう。こうして書類が回ってきているということは出版社は了解済みだ。あとはかこさえ了承すれば問題はない。さっさとサインして送り返しておこうと思いながら、四枚目を後ろに回して五枚目を出した。
 集合写真だ。
 真ん中の男子生徒は『凍てついたパッション』のジミー神父にそっくりだ。ジミーに寄り添う女子生徒は高校生とは思えない色気をかもしだしている。周りの生徒たちもひとくせもふたくせもありそうだ。
 丹念に見ていると、十人の生徒の端っこに、背広姿の男性が立っていた。
 どきん、と、心臓が鳴る。
 洋平があと十年も育ったら、こんな感じになるんじゃないかと思えた。
 洋平は高校生のときに「びっくり箱みたいなかこが好き」とか言って告白してきた同級生で、そのまま二十九になるまでつきあって、「びっくり箱とは生活できない」とか言われて別れた相手だ。別れて半年もしないうちに、ほかの女と結婚しやがった、超手の早い男だ。
 一緒に写っているということは、この洋平に似た男は演劇部の顧問なのだろう。
 かこは演劇部の連絡先に記されたメールアドレスを携帯電話に打ち込んだ。そして「内容に不備がある。台本を一部送られたし」とメールを打とうとした。
 ふと、洋平にふられた腹いせに、高校生をいじめようとしているんじゃないか? と、疑問が湧いた。よくよく考えてみたが、そうではないとは言い切れない。かといって、そうだと言い切ってしまえるほど、自分がひどい奴だとも思えなかった。今、わかっているのは、この男性となんらかのつながりを持ちたいという衝動があるということだけだ。
 なにはともあれ、他人には内緒にしておいたほうが無難だろう。
 メールに住所と電話番号を追加して、出版社ではなく、直接、かこに郵送してくるようにと指図を追加した。