矢車通り~オリジナル小説~

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拍手の向こう側(15)

浦戸シュウ小説目次

「拍手の向こう側」目次
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         15

 台本の完成から一カ月が経った。七月の始めともなれば、梅雨といえども気温は高い。まして、今日は梅雨の晴れ間だ。湿度の高さが気温以上の暑さをもたらしている。
 演劇部の部室では、部員たちが揃って柔軟体操をやっていた。部室の稽古場部分は体育館の舞台の倍の大きさがある。三人のときはむしろ広すぎるぐらいだったのだが、今は運動しても互いがぶつからないだけの間を取ると、いっぱいになってしまう。
 先月から運動を始めたばかりの七人も、だいぶ体力がついてきたようだ。腹筋や背筋の運動を軽々とこなしている。
「はい。じゃあ。集って」
 美園は体操を終えた部員たちを片側に呼び寄せた。
「みんな、台本の暗記はできたようなので、予定より一カ月早いけど、立ち稽古を始めます」
 おっ、と喜んだような顔をしたのはルイと海だけだった。ほかの人はキョトンと見返してくる。部室の隅で見学をしていたかこが興味深げに身を乗り出した。
「つまり、実際に舞台で演じるのと同じように、動きを付けて練習するんです。ええっと。舞台は、ここから」
 美園は部室の真ん中に足で直線を描いてみせた。
「あちら側の壁までです」
 部員が集っていないほうの壁を指さす。
「みなさんが集っているところは、体育館では舞台の下、客席になります。客席から向かって右が上手。左が下手です。えと。つまり、舞台から見ても客席から見ても、こちら側が」
 と、美園は右手を上げた。そして、くるっと回れ右をして、今度は左手を上げた。
「上手となります。逆にこちら側が」
 左手を下げて右手を上げる。そして、くるっと回って、左手を上げた。
「下手となります。で、そういう言葉がなぜ必要かと言えば。ルイ、上手に立って」
 ルイが舞台に向かって右側に立った。
「海、下手から出て」
 海が左側から舞台に入って、その場に立った。
「こんな風に、立ち位置や、出る場所を指示するからです。何度もやれば覚えると思いますから、わからなくなったら聞いてください」
 「うん」とか「おう」とか、どこかあいまいな返事がかえってくる。いずれ、はっきりわかる日が来るだろう。用語の説明にはもうかまわず、先に進むことにした。
「じゃあ、みなさん、客席側にてきとうに椅子を置いて座ってください。進められるだけ進みます」
「まずは、角浜くん、まみ、小道具からほうきを取ってきて真ん中に立って」
 二人が素直に言われた通りにする。
「教会の前を二人で掃除しているんだよね。最初は適当でいいから、それらしいことしてて」
 二人が同じところを何度も掃きだした。美園は何か言いたい気持ちをぐっとこらえた。角浜はいるだけでいいと言われて参加しているのだし、まみだってさほど演技にこだわりがあるわけではない。一つ一つ段階を踏んで初舞台まで導いていかないと、途中で投げ出したくなるかもしれない。最初なのだから、美園の指示に従ってくれているだけで充分だ。
「なりっち、りの。上手から入って」
 右腕を上げて、どちらなのか指図する。二人が上手から走り込んだ。そこにパタッと倒れる。ぎょっとして手を止めた角浜を、二人で見上げた。
「た、助けてください」
 セリフがすんなり出てきた。
「はいっ、やめて」
 美園は手を打ち鳴らした。甲高い音が部室に響く。いきなり、これが出来るのなら、到達点を示せば、たどり着くかも知れない。
「すっごく良かったんだけど、まだ足りない。二人、舞台の上を走って」
「え? なんで?」
「いいから走る!」
「え、えー?」
 ぶつぶつ言いながらも、二人が舞台の上をくるくると走り回りはじめる。
「もっと早く、早く、早く、全力で。もっと、もっと、もっと」
 美園の指示に合わせて、どんどんスピードが上がってくる。同時に息もかなり上がってきた。二人が角浜の前まで来たのを見計らって声をかける。
「そこで倒れて」
 二人がドッと倒れ込んだ。はあはあと大きく息をはずませている。
「セリフ!」
「た……」
 二人が声を出そうとするが、息が邪魔しているようで声にならない。
「助けて……く……ください……」
 ようやく、それだけ絞り出してきた。
「はい。いいよ。それそれ。何度も練習すれば、走らなくても同じ状態を再現できるようになるから、がんばって練習してみて」
「本番のときも走ればいいんじゃないの?」
 まみが突っ込んでくる。簡単にできることなら簡単にやればいいという、まみ独特の合理的精神を発揮しているのだ。まみを納得させるには実例を挙げるのが一番だと、今は美園もわかっている。
「じゃあ、今、舞台に居る四人。そのままでいいから、続きにいくよ。海、上手から登場」
 海が舞台に走り込む。キョロキョロとあたりを見回して、何か探しているようだ。下手のほうを覗き込んでから、また戻ってきてまみの足の間に頭を突っ込もうとした。
「何すんだ、このスケベっ!」
 そんなセリフは台本にはない。海の突飛な動作に、まみが素で反応してしまったらしい。蹴られる。一瞬ヒヤッとしたが、まみが足の甲を持ち上げたときには、海はすばやく逃げていた。
「わりぃ、わりぃ、ちょっと人を探しててな。二人連れの女が来なかったかなあ?」
 海が体を傾がせて、ジャージのポケットに手を突っ込みながら、ちっとも悪いと思っていなさそうにセリフを言った。
「その二人ならあっちに行きました」
 角浜の棒読みには、今は何も言ってはいけない。なんの動作も伴っていないことにも、今は何も言ってはいけない。時間はまだある。
「なんだか、ものすごく急いでたよ。早く行かないと見えなくなっちゃうかも」
 まみの言い方は、ぜんぜん、ホントじゃありませんと言っているようだ。演技的にはいいのだが、計算でやっているのか素なのかよくわからない。
「ちっ」
 海が舌打ちを一つ残して下手に走り去った。
「ここで、奥から二人が出てきて、ジミー神父にお礼を言うよね。セリフ、なりっち、言ってみて」
「あ……あり……が」
「ああ、もういい。無理言ってごめん。まだ言えないよね。息が整ってないもんね。というわけで、改めて説明する必要もないと思うけど、一応言っとくと、何かのシーンをやるたびに、体の状態をそっちに合わせてしまうと、次のシーンに差し障るの。だから、演技で『それらしく』見せなくてはならないの。大丈夫、どんな状態になればいいのかさえわかっていれば、何度も練習するうちに、それらしくなってくるから」
「なあんか。かったりぃなあ」
 後ろからこさくの声がした。
「衣装着て出てってさあ。ばばーんとポーズだけ決めて終りってわけにはいかねえの?」
「そう簡単にはいきませんが、そんなにむずかしくもないですよ。ポーズとポーズの間も、その役に人に成りきっててもらいたい、と、それだけなので」
「いや、なんかこう、成りきり方のレベルっていうか。おれ、舞台に立つって言っても。あー、得意なことで説明させてもらうけど。幼稚園児の粘土細工でいいと思ってたら、大人の展覧会に出品する陶芸作品を作れ、って言われてるような感じなんだよね」
「ああ、いえ、大丈夫です。私はその人のレベルに合ったことしか要求しませんから」
「なんだそれ」
 今度はだうらが気色ばんだ。
「あんたさあ。みんなでやろうとか言いながら、結局、俺たちのことなんかバカにしてんじゃね?」
「そうじゃなくて、できることをしてもらえばいいんです」
「だから、俺たちにできることを決めつけるんじゃねえよ。やりゃあできるかも知れねえだろ」
「かったりぃから、おれ、あんたが思ってるよりできないかも」
「申し訳ないんですけど。練習中は演出の言うことは絶対です。やる気がそがれるようなことを言うのはやめてください。公演が成功するように、みなさんが楽しく舞台に立てるように、私が考えている、ということを信じてもらうしかないです」
「ふあああ」
 間の抜けた声にびっくりして、みんな一斉に声がしたほうに顔を向けた。かこが大きく背伸びをしながら立ち上がっている。
「なんか、疲れたなあ。みんなも休憩したくない?」
 誰も反応しない。
「あ、そうだ。本番をやる体育館、いっぺん下見しときたかったんだ。美園、案内してくんない?」
 いくら美園が鈍くても、かこが『頭冷やせ』とサインを送ってきていることくらいはわかる。素直にうなずいた。
「はい」
「じゃあ。しばらく借りるね」
 美園はかこに伴われて、部室をあとにした。