矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

拍手の向こう側(16)

浦戸シュウ小説目次

「拍手の向こう側」目次
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)(19)(20)(21)(22)(23)(24)(25)(26)(27)(28)(29)(30)(31)(32)(33)(34)(35)(36)


         16

 美園はクラブ棟を出て、体育館に向かった。校舎を迂回するので、うっそうと繁った森の横を抜けることになる。日陰のひんやりした空気にホッとしながら、ゆっくりと歩を進めた。
「あれはまずいって。美園がみんなより頭一つ抜きんでてるとは思う。確かに経験も知識もみんなよりはあるんでしょ。でも、私から見ればどんぐりの背比べだよ。たいして変わらない。おんなじおんなじ。おんなじなのに、美園はみんなを抱っこしようとしてる。なんで、美園は一人でなんでも背負おうとするのかな? 最初にも言ったけど、もっと仲間を信頼してもいいんじゃない? こういっちゃなんだけど、たかが高校のクラブじゃない。入場料取るわけじゃなし、みんな初舞台なんだし、楽しくやれればいいんじゃないの?」
 美園は黙ってうつむいた。唇を噛みしめる。自分たちが楽しんでいるだけではお客は呼べない。文化祭のときに百人動員しないと廃部になるのだ。
「倉崎さんっ!」
 いきなり呼ばれて、美園は文字通り飛び上がった。振り向くと教頭が立っていた。暑いのかワイシャツ姿だ。左手の扇子を小刻みに動かしている。
「部員は十人集まったようですねえ。どんな生徒をかき集めたのかと思って、さっき部室を覗いてきましたよ。マンガの決めポーズだとかいって、変な格好をして遊んでましたが。マンガの真似をして喜んでいるような生徒たちと一緒で、聡明なあなたが満足できるんですかねえ」
「部員を侮辱するのは止めてください。第一、教頭先生にとっても大事な生徒なんじゃないんですか? そんな差別発言、いいんですか?」
「真面目ですねえ。相変わらず。いいんですよ。生徒にはいろいろな人間がいますからね。聡明な生徒も、そうでない生徒もいる。それぞれが、それぞれの分をわきまえて暮らしているかぎり、学園は平和です。ところで、そちらは?」
「劇団鹿山のかこ先生です。文化祭まで週に一度、特別にコーチに来てくださることになったんです」
 言ってしまってから、手のひらで口元を押さえた。紹介は身内を先にするものだ。この場合、教頭は同じ学校の先生で、かこは部外者だ。先に教頭のほうを紹介するのが筋だろう。なのに、うっかりかこのほうが自分に近いような気がしてしまった。かこの目に目を合わせる。かこがうなずいた。
「心のこもった紹介をありがとう。初めまして。鹿山かこです」
 かこが腰をゆっくりと折って、丁寧にお辞儀をする。
「教頭先生です」
 美園は小さくつぶやいた。
 教頭が頭だけを形ばかりに下げて、咳払いをした。
「あなたも災難ですなあ。できもしないことに駆り出されて。あのメンバーで観客百人なんて、無茶だと思うでしょ?」
「さあ。やってみなくはわかりませんわ」
 静かな答えを聞いて拍子抜けしたのか、教頭はなおももごもごと言いながら、校舎のほうへ歩いていってしまった。
 教頭の後ろ姿が見えなくなると、かこが美園の肩を抱いてきた。
「観客百人って?」
「あ、あの、四月始めに部員が十人に満たなくて演劇部は廃部になるところだったんです。それで、文化祭までに部員を十人集めて、文化祭で観客を百人動員したら、廃部を撤回してくれるという約束を、教頭先生にとりつけたんです」
「十人に満たないのがいけないなら、満たせば続けていいんだろ?」
「えと。その。観客も来ない、人気のないクラブを続けてもしかたないだろうと教頭先生に言われて。あの……」
「それで?」
「頭に来たもので、じゃあ、観客を五十人呼んでみせますと言ったら……」
「言ったら?」
「百人呼べたら人気があると認めようと、おっしゃって」
 かこの手がグッと肩に食い込んだ。
「そんな誘導に引っ掛かるなんて、おまえ、本当は、ものすごくバカだったんだな」
「す、すみません」
「いいよいいよ。そういうバカな奴、大好きだ。じゃあ、私の名前を出すか? ポスターやチラシに『鹿山かこ指導』とか書いとけば、少しはお客が増えると思うけど」
「いいえ」
 美園は即答した。
「そんなところに名前を出すのは、ズルだと思います。芝居の面白さではなくて、先生の知名度でお客を呼んでも、演劇部の実績にはなりません」
「訂正。美園はバカじゃなくて、バカの三乗だ」
 かこが面白そうに笑う。
「はあ」
「じゃあ、もめてる場合じゃないな。よし、私が演出をしよう」
「あ、あの」
「大丈夫だ。ちゃんと美園とまみを助手にして、相談しながらやる。空を飛べなんて無茶は言わないから」
「は、はあ」
「よしっ! 打倒教頭だっ!」
 かこが空に向かって、エイエイオーと叫んだ。
 もう、止められない。
 美園は嬉しいような、迷惑なような、妙な気分を味わいながら、どんどんテンションを上げていくかこのかたわらに立っていた。