矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

拍手の向こう側(17)

浦戸シュウ小説目次

「拍手の向こう側」目次
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)(19)(20)(21)(22)(23)(24)(25)(26)(27)(28)(29)(30)(31)(32)(33)(34)(35)(36)


         17

 美園はかこの早足についていくのがせいいっぱいだった。何がそんなに気に障ったのかわからないが、さきほどからかこは「あのバカ教頭」とわめき続けている。体育館を見学するはずが、ちらっと見ただけで駆け抜けて演劇部の部室めがけて小走りに進んでいる。 バンッと部室の扉を開けて、ずんずん入っていく。中にいた部員たちはぽかんと口を開けて出迎えた。
「今、教頭に会って事情を聞いた」
 かこがきりだすと、部員たちが「あっ」と小さく叫んだ。
「そう言えば、なんか事情があったねー。すっかり忘れてたー」
 まみがのんびりとした声を出した。
 忘れてた? 美園のみぞおちのあたりに、ふっと重い物が入った。まみの危機意識が低いのはしかたない。演劇部の存続なんてどうでもいいのだということは知っている。だからこそ、あまり厳しいことを言わないように気をつかってきたのだ。でも、頭でわかっているのと、こうして実際に口に出して言われるのでは、何かが違っていた。やっぱりと思う反面、もう二ヶ月以上一緒にやってきたのに、まだこんな意識なのかとも思った。
「じゃあ。思い出して。文化祭で観客を百人以上集めないと、演劇部はつぶれちゃうんだ」
「うんうん。そうだったねー」
「だから、美園に演出を代われとねじこんだ」
 何人かがガタッと椅子から落ちそうになった。
「だからって、どこをどうしたら、そんな話になるんですか?」
 海が冷静に突っ込む。
「まあまあ。それはおいおい説明しよう。じゃあ、会議の形に座ってくれ」
 ごそごそと全員が移動して、長机をロの字に組んで座った。
 ひとしきり私語が飛び交った。
 かこが立ち上がり、みんなの顔を見回す。視線に押されるように、口が閉じていった。
「演出に名乗りを上げた理由は二つある。ひとつは、美園の演出では客を呼べるような舞台にはならないから。もうひとつは美園とほかの部員が同じ立場でこの芝居に関わる必要があると感じたから。美園は最初から自分を上の立場に置いてる。それは別に美園が偉いからでも、勘違い野郎だからでもなくて、美園が演劇部そのものの心配をしているからなんだ。つまり、何をするのにも、自分の力でなんとかして演劇部を続けないといけないという、よく言えば使命感に支配されているわけで。これじゃ、みんなの気持ちからどんどん離れていってしまう。だから、ひとまず、その使命は私に預けて、みんなの中に入って欲しい。でないと舞台でも一人で浮く。きっと」
 美園は背中を丸めた。お腹に圧迫感を覚える。ずいぶんと久しぶりに感じた感覚だった。そういえは、部長になってから部室でだらけた覚えがない。一年生のころは、時々は寝転がったり、冗談を言ったりしていたような気がする。去年の文化祭で三年生が引退し、結局、三人になってから、いつもいつもどこかしら気が張っていたような気がする。
「預けて、いいんでしょうか……」
「いいよ」
 ルイや海をはじめ、みんながうなずいている。
「じゃあ。お願いします」
 美園はかこに改めて頭を下げた。
「というわけで、演出を交替したから、文化祭までのスケジュールも変更する。えっとね。美園の演出を見てて思ったんだが。注目を集めるのにうまさはいらないんだ。演技なんて下手でいい。大事なのは見てくれって気持ちだ。そして、その気持ちを助けるのは、衣装であり、舞台装置であり、小道具だ。というわけで、まずは衣装と小道具を用意しよう。立ち稽古は出番がきたら作業の手を止めて参加するってことで。あれこれ作るほうを優先する」
 かこが何をしたいのか、さっぱりわからない。衣装をつけるのなんて、最後の最後で十分間に合う。立ち稽古をみっちりやって、その役の気持ちをつかみ、その場面の動作を体にたたき込むのが、今は一番重要なはずだ。
 美園は発言しようとした。かこの目がすかさず飛んでくる。首をかすかに横に振って、黙っていろと合図している。
 美園は口を開けかけては止め、口を開けかけては止めて、とうとう口を閉じた。美園では部員をまとめきれないのははっきりしている。悔しいが教頭の言うとおり、自分の分はきっちり弁えておくのが、物事をスムーズに進めるコツなのだ。
「じゃあ、さっそく準備の分担を決めよう。衣装の責任者は?」
「なみっちー」
 まみがなんの迷いもなく名前を挙げた。
「裁縫の天才、アイデアの宝庫、なみっち以外にいない」
 どどっと拍手が起こる。
「じゃあ。小道具は?」
「こさくだろ」
 だうらが名前を挙げる。
「いざとなったら作ってくれるからな」
「さんせーい」
 また拍手が湧いた。
「大道具は?」
 シーンと静まりかえる。誰も誰といって思いつかない。
「そうだなあ。背景も多少は描きたいから、絵が描ける奴がいいんだが」
「鹿山先生を前にして描けるって言える奴、いないよ」
 まみがまぜっかえす。
「気にしないでいいのにー。あ、そうだ。角浜って、確かマンガ好きなんだよね?」
「マンガ研究会だよ」
 まみが嬉しそうに報告する。角浜は見ていて気の毒になるほどうろたえた。「え、や、まあ、好きですが」などとしどろもどろに答える。
「そうか。じゃあ。文化祭には当然マンガも出品するんだろ?」
 かこがおだやかな笑みを見せながら、世間話のような調子で質問する。
「はい。十六ページ描きます」
「ほほう。そんなに。本格的だな。下書きか何か持っているか? 見せてみ」
 かこのほうから、こう積極的に言われては断れないのか、口の中で「いや、見せるほどのものでも……」などとつぶやきながら部室の隅に行く。学生カバンの山の中から、大きな紙を取り出した。かこの横に立って脇から紙を差し出す。
「人物がちょっと狂ってるぞ。あとで裏返して光を当てて見てみな。歪んでるのがわかるから。背景は正確だな」
「資料を丸写ししています」
「見れば描けるんなら、問題ない。どうだ? こっちの大道具を作る時間はあるか?」
「今からはじめて公演までに完成すればいいのなら、なんとか時間はひねり出します。マンガ研究会のほうは印刷と製本を自分たちでやるので、そこに時間がかかるんです。三百部ほど作ります」
「もし、こっちのせいでそっちが間に合わなくなりそうになったら、演劇部の部員全員が手伝いに行こう。な?  行くよな?」
「もちろんです」
「行くよ」
 美園とまみが同時に声を出した。二人とも上目遣いに相手の様子をうかがう。しばらく見つめ合い、軽くうなずきあう。
 鹿山先生が演出に立ってくれなければ、こんな風にまみとうなずきあうことなどなかったろう。ようやく、美園のみぞおちにわだかまっていた固まりが流れていった。
「じゃあ。大道具頼む」
「はい」
 角浜は力強く返事をすると、そそくさと紙を回収してカバンに仕舞い、ようやくホッとしたように息を吐いた。
「音響は、野川先生に頼めばいいんだよな?」
 かこが続ける。
「はい」
 美園は答えながら、かこが「野川先生」という言葉を口にするとき、ちょっとはにかんだのに気がついた。やっぱりなと思う。かこが学校に来るたびに三十分は二人で立ち話をしてから部室に入ってくるのだ。いくら鈍い美園でも、お互いに気があるのだろうくらいのことは予想がつく。
 いつもいつも同じことを繰り返す安定感のある野川先生と、次々と違うことを持ち出してくる意外性のある鹿山先生。真反対だと逆に惹かれあう部分があるのかも知れない。鹿山先生が固辞されたのでなんの謝礼もできないでいる。演劇部に関わることで鹿山先生にも何か良いことがあったら嬉しい。先生たちのおつきあいが末永く続きますようにと祈った。
「じゃあ。さっそく作業計画を立てよう。まずは衣装から」
 かこが台本に沿ってどんどん必要な物をリストアップしていく。美園ではこうはいかない。呆然とかこを見つめていると、かこが美園の耳もとに唇を寄せてきた。
「台本を書いたときに、だいたい、こうってイメージはしてあるから、あれこれすらすら出るんだ。美園だって、そのつもりで台本を読み込んでれは、このくらいできるさ」
「えー? 何々? 二人で内緒話?」
 まみが突っ込んでくる。
「台本を読み込んでれば、このくらいの指図、すぐできるって言ってたんだよ。美園はほら、自分にはこんなことできなあい、っていじけてそうだったから」
「あ、そっか。さすが鹿山先生。わかってるー」
 まみに笑われても、不思議と腹は立たなかった。もう、バカにされたら、みんながついてこないなんて考えて、意地を張る必要はないのだ。
 意地? ああ、私は意地を張ってたのか。
 胸に何かがストンと落ちた。
「いじけてて悪かったわね」
 軽くまみを睨む。
 全員があっけに取られたように、シンと静まったかと思うと、ドッと笑いが起こった。
「そうだよー。わるいよー。もう、いじけんなよー」
「そだね。いじけててもしかたない。できるようになれるようがんばるよ」
「ひゃは。くだけてても美園は美園だあ」
 全員がくすくすと笑った。
 美園も一緒にはははと笑った。