矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

拍手の向こう側(23)

浦戸シュウ小説目次

「拍手の向こう側」目次
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)(19)(20)(21)(22)(23)(24)(25)(26)(27)(28)(29)(30)(31)(32)(33)(34)(35)(36)


         23
 
 リハーサル後の初めての活動の日の朝。どんよりとした雲が空を覆っていた。もう秋も近い。日が差さないと、思いの外、気温が下がり寒くさえある。
 美園は部室の窓辺に立って、風に当たりながら外をぼんやりと眺めていた。後ろの長机の上にはかこから来たはがきが載っている。あまりのことに、頭がついていかない。何かやらなくてはならないのだが、何をすればいいのかわからない。
 部員たちがあいさつを交わしながら入ってきた。
 「おはようございます」と行儀よく言っているのは、なりっちだ。「ちはーす」と省略しているのが、りの。「おはよう」と明るい声を出すのは、なみっち。「おは」と最小限の言葉で済ませているのが、まみだ。
 かこが最初の日に全員の名前を呼んだことを思い出した。あとで聞いてみたら人の名前を覚えるのが特技なのだそうだ。できるだけたくさんの人の名前と特徴を覚えておくと、マンガのキャラクターを作るときに便利だから記憶するようにしていたそうだ。気がついたらいっぺんで名前を覚えられるようになっていたんだと言っていた。
 美園はなかなか覚えられない。クラスメイトなど、毎日顔を合わせるのに「誰だっけ?」と聞いてしまって、顰蹙を買うこともある。その話をしたら、ホントに身近な人たちだけでいいから、興味を持って観察して特徴を覚えて、いいと思ったことはどんどん褒めなよ、とアドバイスされた。そしたら、向こうも気分いいし、こっちも覚えられるし、一石二鳥だよと。
 「うす」とドスのきいた声で入ってくるのは、こさくだ。「うーん」とあいさつなんだか唸ってるんだかわからないような声を出してくるのは、だうらだ。
 「おはよう」と低いトーンで入ってくるのが、角浜だ。「おっはー」と明るいあいさつをかますのは、海だ。
 「おはようございます」と入り口で丁寧に頭まで下げるのが、ルイだ。
 心の中で、一人で点呼を取っているうちに、目から涙がこぼれ落ちてきた。
 こんな風に一人ひとり、覚えるように言っていたひとが、たった一枚のはがきで、別れを告げるわけがない。何かの間違いだ。
「どうしたの?」
 ルイが美園に近寄ってきた。黙ってはがきを指さす。ルイがはがきを取り上げて読み始める。「ヒッ」と小さく声を上げて、美園のほうへ視線を向けてきた。
「何々?」
 全員近くに寄ってくる。まみがはがきを声に出して読み始めた。
「前略、美園。悪い。仕事が入った。もう稽古につきあえない。大急ぎで片づけて、文化祭は必ず見に行く。演出、下りる。草々。ってなんだこれえ?」
「まんまだろ。どうしてだかわからないけど、もう演劇部に来ないってことだ」
 だうらが何かの取り扱い説明書でも読むかのように、淡々と解説する。
「先生は、本来、週刊連載してて、最近、月一に変更していたんだから。どうしても週刊とか言われて断れなかったんだろ。たぶん。仕事の話が入ってきたら、高校生と遊んでる場合じゃないさ」
「本当に? 週一回も来られないほど忙しいの?」
 自分でも取り乱していると思った。週一回が精一杯だと言ったのだ、かこは。何か仕事が入ったら、来られなくなるに決まっている。理性ではわかっているのに感情がついていかない。
「忙しいよ。絵を描くのって」
 角浜が請け負うように、ゆっくりした口調で肯定した。
「残念だけどー。もともと、ここまでつきあってくれるってのが奇跡だったからさー。来られないのならしょうがないよー」
 まみがもう気持ちを切り換えたのか、さばさばと言ってのけた。もう、いつもの調子に戻っている。どこまでいってもマイペースな奴だ。
「で、でも、野川先生は? ああ、そうだ。野川先生なら何か事情を知ってるかも」
 走り出そうとした美園を、海が手をつかんで引き止めた。
「僕もあの二人にはなんかあるなとは思ってたけど。鹿山先生は野川先生となんかあったからって、演劇部に来なくなるような人じゃないだろ? 野川先生とは関係ない、何かほかのことだよ。野川先生も会えなくなって、きっと、がっかりしてるよ。可哀相だよ。そこ突っ込んじゃ」
「でも、だって、台本変更したばかりよ。どうするの? 誰がやるの、演出」
「それは、なあ?」
 海が美園の手を掴んだまま、部員たちの顔を見ていった。
「誰、と言われれば、一人しか」
 部員が全員うなずいている。
 かこの後を引き受けろと?
 元々は、美園の演出では、みんなが付いてこないから、かこが立ったのだ。いまさら、元に戻して、うまくやっていけるのか? だいたい、演出プランはかこと美園では違う。かこの演出を踏襲するには、美園の力が足りない。
 そのとき、携帯電話の着信音が鳴った。メールの着信だ。
 鹿山先生から? 
 美園は飛びつくように携帯電話を開けた。
 去年卒業した先輩から、メールが来ていた。文化祭に差し入れを持って訪ねていくから、日時を正確に教えてくれと書かれている。
 返信を打ちながら、美園は去年のことを思い出していた。その先輩に、美園は約束したのだ。三人になっても大丈夫です。演劇部は必ず守りますと。
 携帯電話を折り畳んだ。
 みんなの顔を一人ひとり見ていく。がっかりしているようだけれど、まだ、やる気を全て失ってしまったわけじゃなさそうだ。
 かこがいなくなったからといって、すくんでいる場合じゃない。
「私じゃ力不足だけど、やってもいい?」
「オッケー」
 みんな口々に賛成してくれているが、やはり、今までの元気はない。
 しっかりしたまとめ役がいなくなったのだ。緊張感が無くなってしまうのも無理はない。なんとか文化祭までに立て直さなくてはならない。
「じゃあ、まず、台本の削ったところ。戻そう」
「いいの?」
 海が嬉しそうに訊いてきた。
「変えてどうつなぐつもりだったのか、私じゃわからないし。今から台本を覚え直すより、テンポを上げて時間内に納めることを目指したほうが早いよ。きっと」
「よっしゃ。角浜。今日から掛け合いの特訓だ」
「マジー?」
「まじまじ。頼む」
「わかった」
「じゃあ。着替えよう」
 美園は精一杯の声を張り上げた。
「おう」
 心なしか、精気のない返事が返ってくる。
 先生の穴が埋められるのか。
 美園ははがきをギュウと握り込んだ。