矢車通り~オリジナル小説~

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拍手の向こう側(26)

浦戸シュウ小説目次

「拍手の向こう側」目次
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 公演はあと一週間と迫っている。
 文化祭まで一週間。文化祭実行委員が立ってクラスをまとめてくれるので、クラス委員としての仕事はないが、演劇部のアンケートにも協力してもらったし、クラスのほうも少しは手伝わなくては義理が立たない。
 美園は焦る気持ちを抑えつつ、教室の飾りつけに参加した。自分の分担が終わると、詫びを入れて、そそくさと抜け出した。
 一時間遅れで部室に着くと、まみとルイが楽しそうにおしゃべりをしていた。なみっちが衣装を点検して手を入れている。りのとなりっちが、舞台とは関係ない、マンガの一シーンを再現していた。
 なんだろう? この緊張感のなさは。
「ほかのみんなは?」
 美園は問いかけた。自分でもびっくりするほど強い口調だった。
「輪乃森くんはクラスが終わったらって。角浜くんは四時半までマン研。だうらとこさくはクラスのほうでたくさん仕事があって、今日は来られるかどうかわからない」
 まみがのほほんとした口調で答えてくる。
「あ、そうですか」
 手が反射的にキュッと台本を握る。軽く答えはした。でも、練習できる日数は、残り五日しかない。来ないのなら来ないでやりようがある。来られるならもちろん来て欲しい。来られるかどうかわからないでは困る。
「本番までは、一日一回は通したかったのですが」
 つい、不満が口をついた。
「大丈夫だよー。もう、セリフはもちろん、道具の出し入れや、場面転換も、全部、ばっちり打ち合わせ済んでるし、みんな実際に動けるもん。さすが美園が仕切ると違うなあって思ってたー。あたしだとなんか忘れて当日あたふたするんだー」
「できているからこそ、今の状態を保つのに練習が必要なんですが」
 本番は生ものだ。ほんのちょっとした体調の変化。いつもと少し違うタイミング。引っ掛かる小道具。そんなささいなことで、ガタガタに崩れてしまうこともある。
 繰り返し練習して動作とセリフを体にたたき込み、乱れがあってもすぐに吸収してしまうようにすることだけが、そんな事態を避ける唯一の方法だ。
 まみは知らないから。
 舞台に立ったことがないから、想像することができないのだ。だから、こんなにのんびりしていられるのだ。
「そんなにがんばらなくたって、お客さん来るってー。美園たちが寸劇したあと、あたし毎日『どんなのやるの?』って誰かから聞かれるんだよー。ねー? ルイもそうだもんねー」
「『どんな衣装着るのとか、聞かれるよ。大成功だったね。衣装同好会と演劇部の合体」
「よかったよかった。あー、そう言えば、面白いうわさも立ってるよー」
「え? どんなの?」
「『輪乃森くんのパンチラが見られる』ってー」
「間違ってるし」
 まみとルイが大笑いする。
「みんな、興味津々って感じだよー。大丈夫だよ。百人かたいってー」
 悲鳴を上げそうになって、自分の喉をクッと手で締めた。
 その百人が応援してくれるファンになるか、悪評を振りまくアンチファンになるかは、当日の出来にかかっている。文化祭だけが成功すればいいわけではない。これから先、演劇部を続けていくためには、大勢の人が魅力的に感じる舞台を作る必要があるのだ。部員が十人をきった状態になったら、いつ廃部決定と教頭に言われるかわからない。
 声に出して言おうとした。
 でも、まみのけだるげな顔を見ていると、どうしても言葉が出てこない。
 まみには美園の焦燥感は決してわからない。わかるのなら、もっとピシッとしている。ヒステリックな反応をすれば、けげんな顔をされるだけだ。美園はそっと首を横に振った。
「かたければ、なおのこと、練習しないと。百人を前にしてまっすぐ立っていられる度胸は、練習でしか身につかないんです」
「いつも平常心でいればいいだけのこと」
 なみっちが手を動かしながら、美園を見ないで口を挟んでくる。
「私たちは胸に毛が生えてるよ」
 りのとなりっちが美園に挑戦的な視線を送ってくる。
「あの、りの、それを言うなら『心臓に』です。女の子の胸に毛が生えてても、度胸があるという意味にはならないです」
「男の胸ならたくましいけど」
 なりっちがまぜっかえす。
「ひゃーん。間違えちゃったあ。はは。ね、大丈夫。心臓に毛が生えてるでしょ」
「確かに」
 鹿山先生なら。
 考えてもしかたないことだけれど、おちゃめなセリフを聞いて、つい、かこのことが頭をかすめた。
 何か突拍子もないことを考えて、たちまち、みんなの緊張感を戻してしまうのだろう。何かないかと考えてみたが、美園は何も思いつかない。
「こんにちは」
「ちわーす」
 海と角浜が到着した。
 よし、だうらとこさくは来ないものとして練習を進めよう。
 決心がついて、ようやく、息を吐いた。
「下校時間の六時半までに、一回通せる」
「二人のとこは?」
「飛ばして」
「えー、そんなに焦って練習しなくてもいいじゃーん。角浜くんだって疲れてるよ、きっと。一週間休み無いんだもん」
「俺は大丈夫。休むとかえってリズムが崩れて具合悪くなるから、毎日何かあったほうが体調はいいよ」
「ホントー?」
「ほんと。でなきゃ、引き受けてないって」
「そっかー」
 いつもは微笑ましく感じる会話なのに、なんだかイライラする。
「とにかく、一回通します」
「はあい」
 ようやく、みんなが動き始めた。
 これが、本番一週間前。
 美園は誰にも見られないよう、こっそりため息をついた。