矢車通り~オリジナル小説~

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拍手の向こう側(29)

浦戸シュウ小説目次

「拍手の向こう側」目次
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         29
         
「美園、美園、美園ってば」
 ハッと気がつくと、目の前にルイの顔があった。
「もう、二時半過ぎたよ。支度しなくちゃ」
 支度? あれ? 
 文化祭開始の十一時ギリギリまで製本して、二百部作った。文化祭の開会式に出て、マンガ研究会に戻ろうとしたら、あとは展示しながら作るから大丈夫とマンガ研究会のメンバーに帰された。部室に戻って、椅子に座って……そのあとの記憶がない。
「寝てた?」
 立ち上がると、ガタッとパイプ椅子が倒れた。
 ドッと笑い声が湧く。声のほうに目を向けると、みんな、もう衣装に着替えている。あわてて衣装のところへ行く。
「美園、気持ち良さそうに寝入っちゃうんだもんなー。あんまりのんびりされると焦るって気持ちわかったよー。二時過ぎても起きそうにないから、どーしよーかと思ったもん」
 まみがカラカラと笑いながら、声をかけてくる。
「ごめんごめん。なんか、みんな一緒で安心しちゃった」
「そっかー」
 着替えながら、みんなの話し声に耳を傾ける。文化祭の話題で盛り上がっている。
「なりっちのクラスの、美味しそうだね」
 りのがメイクをしながら、隣のりのに話しかける。
たこ焼き屋でバイトしてる子がいてさあ。レシピ作ってくれたんだよ」
「わお。本格的。じゃあ。明日は食べに行こう」
「一時からなら店番だから、サービスするよ」
「行く行く」
「なりっち、何組だっけ?」
 美園も会話に加わった。
「一年十五組」
「場所どこ?」
「新館の一階の端」
「ありがと。私も明日、行くね」
「できれば、お友達連れでよろしく」
「おっけー」
 そんな話を続けながら衣装を身につけた。わいわいがやがやと雑談を続けながら、支度を進めている。もう、誰もが自分が何をすれば、この公演が成り立つのかわかっている。あとは実際にやるだけだ。
 メイクを始める。メイクボックスを出して、中身を取り出す。下地をつけてドーランを塗り始める。
 角浜がアイペンシルを持って、みんなのところを回り始めた。眉や目の形をマンガと同じになるよう描き入れているのだ。かこが描いてくれたときのように、そっくりに仕上がっている。角浜にメイクしてもらうと、なんだか背骨に一本筋が通ったように、ピンッと背中が張った。
 かこにメールを出すと自動でメールが返ってくる。「十月十三日までメールサービスは停止されています」と書いてあるものだ。迷惑だろうと思ったから、手紙は出していない。ずっと音信不通だったけれど今日は来てくれる。二カ月近くも音沙汰がないのに、確信のある自分が不思議に思えるけれど、かこは来るのだ。
 鏡を見ながら、美園は肩に手を触れた。柔らかい弾力が指先を押し返してくる。いい具合に力が抜けている。今日は自在に動けそうだ。
 メイクを終え、小道具を点検する。
 いつの間にか、三時四十五分となっていた。
 三時五十五分に、チア・リーダー部の発表が終わる。
「そろそろ、行こうか」
 美園は立ち上がりながら、みんなに声をかけた。
「いこいこ」
 まるで、これから購買部にパンを買いに行きます、といった感じの、気楽な調子の言葉が返ってきた。
 ぞろぞろとクラブ棟から体育館まで歩いていると「がんばってー」と声援が遠くから飛んできたりする。すっかり有名人だ。美園は手を振り返す。体育館に着くと、ちょうど前の団体が終わったところだった。入れ違うように体育館の舞台袖に入る。
 野川先生が駆けつけてきて、美園に合図を送ってきた。舞台袖の上にある音響室に入っていく。
 明かりはいったん、全部点けて、大道具をセットする。舞台袖には小道具をスタンバイさせる。
 四時に準備は完了した。
 客席はどうかと緞帳の陰からのぞいてみる。五百人分の席の半分が埋まっていた。
 やった。
 美園は胸をなで下ろした。これでしばらく演劇部は安泰だ。
「あ」
 後ろから客席を見ていたまみが震えている。美園にくっつけた腕から振動が伝わってくる。驚いてみんなの顔を確かめると、表情筋がつってしまったかのように動いていない。
 あと五分で開幕しないと、時間が足りなくなる。美園は部員を舞台中央に呼び集めた。やはり、みんなの表情が硬い。
「どうしたの?」
 まみに訊いてみる。
「なんか、やっぱ、人が多いなーと思って」
「うん。そうだね。でも、今日のお客は何人いても、ビビることないんだよ。最初から(面白そうだ)と思って来てくれた人ばっかりだから。みんなが楽しいと思うことをしていれば、ちゃーんとノッてくれる。みんなの味方だよ。『凍てついたパッション』面白いでしょ?」
「うん。面白い」
「じゃあ、その気持ちをセリフにぶつければいい。大丈夫。ちゃんとできてるから。あとは力を出しきるだけ。だうら、こさく、りの、なりっち、なみっち、角浜、まみ、ルイ、海。あんたたち、最高だよ」
 美園は名前を呼びながら、目を合わせていく。にっこり笑いながら、オッケーマークを手で作る。みんなの顔がほころんだ。
「さ、いこう」
「おー」
 返事の声が一つになった。パッと散っていく。それぞれのスタンバイのポジションにつく。
 開演だ。
 美園は音響室に合図を送った。
 開幕の音楽が流れ始める。
 幕が静かに開いていく。
 本番がはじまった。