矢車通り~オリジナル小説~

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離れない(仮)1(前半)


     1

 僕は途方に暮れていた。
 目の前には愛しい彼女、その後ろには彼女のボーイフレンド多数。大学の食堂の真ん中で、彼女は仁王立ちになって腕を組み、僕を憎々しげに見上げている。
「つきまとわないで」
 どうやら、少し束縛しすぎたらしい。いくら恋人でもプライバシーは必要だろう。でも、いくらなんでもこの仕打ちはない。いきなり運動部の猛者を連れてきて僕に別れを迫るなんて。黙って突っ立っている男たちの視線にビクビクしながら話しを続けた。
「やりすぎだった。謝る。だから、別れるなんて言わないでくれ」
「あなたね」
 彼女が目を覗き込むように伸び上がってきた。怒っていても彼女はきれいだ。僕は見とれてうっとりしそうになる。
「そもそも認識が間違ってる」
 認識? 間違ってる? 聞き慣れない単語を聞いて、僕の頭は混乱しかける。混乱するときは言葉の意味を確かめるんだ。胸ポケットから携帯電話を取り出して辞書ツールを呼び出す。『認識』で検索。「よく理解し、判断すること」とある。声に出して読み上げる。
「そういう意味でいい?」
「あーもー、うざい。辞書になんか意味載ってないの。どうして目の前にいる私に聞かないのよ」
「だって、ほら、それぞれが勝手な解釈で言葉を使ってたら、すれ違ってばかりだろう」
「私に聞けば同じ解釈になるでしょ。それに意味より前に大事なことがあるでしょ」
「前?」
 僕は彼女の言葉に全力で反応する。どうにかして機嫌を直してもらって、別れ話を撤回してもらうのだ。
「常識って奴。あのね。別れるためには、つきあわなくてはならないの」
「だって」
 二年生になって、同じ一般教養の講義を取って、毎週顔を合わせるようになって、なんとなく口を聞くようになって、メールアドレスを教え合って、毎週のメールが毎日になり、携帯電話で通話無料のサービスが出来たのを機に、電話し合うやり方に切り換えて、一年かけて愛を育んできたのに。いまさら、つきあってない?
「毎日毎日電話し合ってれば、つきあってると思うだろう。普通」
 彼女が大きく横に首を振った。
「あなた。私に告白したことある? ないわよね。こっちから、私のこと好き? って聞いても答えないでしょ?」
 口が裂けても言えるわけない。そんな話をして、彼女に「あっそ、私は嫌い」なんて答えられたら、関係が終わってしまうじゃないか。
「そんな、そのときの気分でどんな返事をされるかわからないようなこと、出来ないよ。君の機嫌が悪かったら、それだけでおしまいじゃないか。それより、毎日電話して話をしているという事実のほうが重いだろ? つきあってるんじゃなければ、なんなんだ?」
「私はクラスメイトとうまくやっていたかっただけよ。電話くらいどうってことないしね。今年はもう違うクラスなんだから愛想よくする必要ないってわけ。もう、やめてよ。うっとうしいから」
「何?」
 彼女だけが僕の視野の中に残った。
「ぼ、僕がどれほど君に夢中だったか。知らないとは言わせない。教科書だって貸したよね」
「忘れた人に貸すのは当たり前でしょ」
「お金を貸したこともある」
「たまたま、一時的に、じゃない。すぐ返したでしょ」
「お昼をおごったことだって」
「そりゃ、男の子がおごるって胸張ってたら、断らないわよ。断ったら失礼だもの」
「だって、僕はつきあってるつもりだったから」
「だから、そもそも認識が間違ってる」
「どういう意味さ」
 しまったと口を押さえたが、もう遅い。彼女が意味を説明しだしたら、僕は理解しなくてはならない。理解してしまうということは、彼女と別れるということを受け入れるということだ。僕は彼女の顔をよく見ようとしたが、視界がぼやけてよくわからない。
「私はあなたに告白したことがない。あなたの体に触れたこともない。あなたのプライベートなことに興味を持ったことがない。あなたと学外で待ち合わせたことがない。世間では、こういうつきあいは、学内だけの友達づきあいと認識するの。今までは、私も波風立てたくないと思ってつきあってきたけど、もう同じクラスじゃないし。これ以上つきまとわないで欲しいの」
「君は知らないだろうけど。僕は君が夜遅く帰宅するときは、必ず後ろについて護衛していたんだ。着替えるときにはドアの外で見張り番をしてたし、毎日毎日、君のことを考えて、君のためを思って、君を守ろうとして、そして、授業に出れなくて単位が足りなくて落第したんだ。奨学金も打ち切られるし、仕送りも減らされるし、散々なんだぞ」
 彼女が悲鳴を上げた。男たちが彼女をかばうように前に出てくる。
「ストーカーはお前だったんだな」(つづく)