矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

離れない(仮)5

     5


 大学四年生の四月に入ってからは、就職活動が忙しく、なかなか純子と会う時間が取れなくなった。昼間は求人票読み、企業や業界を研究し、自己分析をする。一年遅れている分、やることが山積みになっていた。
 たいがいの同級生は三年生のうちに内々定をもらっていたが、僕はぜんぜん決まらなかった。家庭教師の経験を生かしてと思って教育産業にあたってみたが、そういうところは教職を持っているような人が行く。なんの資格もない僕には難しかった。せめて、秋までには結果を出したいと僕は焦っていた。
 ある日、純子から泣き声の電話が入った。「会えなくてつらい」というのだ。アルバイトは辞めていたが、夜は同級生と情報交換をしたり、企業に出す書類を出したりと忙しく、ぜんぜん純子と会っていなかった。
 純子の気持ちはよくわかる。僕が逆の立場だったら、尾け回している。黙って耐えていた純子があわれで、僕は時間をやり繰りしてデートの約束をした。たまには豪華なデートをしようと、沿線のターミナル駅での待ち合わせを打診する。純子はとても喜んでくれているようだった。
 デートの日の当日、映画を見て、食事をして、と考えていて、何かアクセサリーをプレゼントしようと思い立った。何か、僕の代わりになるような物を贈れば、純子の寂しさも少しは紛れるだろう。待ち合わせの時間を二時間遅らせてもらった。
 純子からは、それなら、冠木町のあたりをちょっとブラブラするとメールで返事があった。そのあたりは純子が好みそうな可愛いグッズを売っている店も多いが、飲み屋やラブホテルなども多い場所でちょっと心配だったが、こちらの都合で急に変更したのだから文句も言えなかった。
 僕はターミナル駅周辺の商店街を見て回った。
 初めてのプレゼントだから、純子が喜んでくれるものをと思って、僕に似たキャラクターのグッズを探した。とうの昔にブームは去ってしまっているので、なかなか見つからない。古道具屋などを探して歩いているうちに、すっかり道に迷ってしまった。表通りのにぎやかさとは対照的な薄暗いひっそりとした感じの通りに迷い込んだ。辺りの看板は「ご休憩五千円」とか「ご宿泊一万円」とか書いてあるものばかりだ。 いつの間にか冠木町に迷い込んでしまっていた。こんなところに目当ての物があるわけがない。それに純子と出くわしたらばつが悪い。足早に通り過ぎようとした。ホテルから出てきた一組の男女とすれ違った。こんなところを若い男が一人で歩いていたら、痴漢間違われかねない。さらに足を早めた。
「先生」
 後ろから声を掛けられて、ゾッとしながら振り返った。僕をそう呼ぶのは九人しかおらず、今、この場でそう呼びそうなのは一人しか心当たりがない。
 目を上げると、純子が連れの男に手を振っているところだった。男はサッサと去っていき、純子がこちらに走り寄ってくる。屈託のない笑顔だ。いつもの純子だった。でも服装は確かにたった今ホテルから出てきた女の服だし、一緒にいた男は確かに一緒に出てきた男だ。
 僕は混乱した。
 僕はセックスを避けていた。もちろん、いずれ結婚ということになれば、当然子どもだって作るだろうけれど、それは、もっと純子が大人になってからの話だ。純子は、まだ、十七歳の小娘で、僕はまだ二十三歳の若造で、今、子どもを作っても育てられるわけがない。親から援助を受けて、ようやく自分を食わしていけている状態なのだ。だから、子どもが出来るような関係は持たない。僕にとっては当然の結論だった。
 なのに、なぜ、ほかの男とホテルなんか。
 それに僕は通りすぎようとしていたのだから、今ここで声を掛けなければ気がつかなかったろう。なぜ、純子はわざわざ気づかせたのか? ほかの男と関係を持った直後のはずなのに、なぜ、こんなに悪びれないのか。
「何やってんだ」
 怒声が出た。
 自分でもびっくりするくらい、図太く怖い声が出た。怒りは抑えたつもりだったのに、ぜんぜん抑えきれていなかった。
 純子がビクッと首をすくめる。唇を噛んで下を向く。怖がっているのだ。
 その反応に、また、僕は混乱した。恋人がほかの男と関係を持てば怒る。それは誰でも知ってる当たり前のことのはずだ。なのに、純子は僕が怒るなんて夢にも思わなかったみたいだ。
 ダメだ。純子は怖がると話をしなくなる。ただひたすら自分の殻に閉じこもって嵐が過ぎるのを待とうとする。それでは話ができない。僕は必死で怒りを押し殺した。
 大きく深呼吸する。
「どこか、二人で静かに話が出来るところに行こう」
 わざとらしいくらい平静な声で話しかけた。
「あ、あの」
 純子がホテルを指さす。僕はゆっくりと首を横に振る。
「ほかのところで」
「あ、お金なら、今、もらったからある」
 デート代を稼ごうとしたのか? 僕が貧乏だから。ときどきごちそうを持ってきてくれたのも、こうやって稼いで? 考えてみれば学費を減らそうとして、公立を志望させようとするような親がそんなにたくさんお小遣いをくれるわけがない。純子はアルバイトもしていないのだから、お金を使おうとすればどうにかして稼がなくてはならない。そんな当たり前のことに、今、気がついた。僕の胸のうちから怒りが解けて流れていった。代わりに、何か言いようのないものが溢れてくる。
「お金の問題じゃなくて、そこは嫌なんだ。駅の向こう側には確か池のある公園があったろう。そこはいつも人が少なかったはずだ」
 僕はいつもそうしているように純子の肩を抱いた。純子が僕の背中に手を滑らせて腰に手を回してくる。
 いつもの幸せな二人がそこにいた。
 どう言えば、やめさせられるだろう。
 考えがまとまらないまま、一緒に歩きだした。