矢車通り~オリジナル小説~

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離れない(仮)9

     9

 純子を一人にしておけない。
 就職活動と、この命題を、両方同時にこなすのは、とうてい無理だということがわかった。
 ずっとイヤフォンマイクを付けっぱなしなので、話している相手から聞かれる。最初は補聴器ですと偽っていたが、純子の声と相手の声が重なると聞き取れないからすぐばれた。恋人と電話を繋ぎっぱなしで就職活動をさせてくれるほど、先輩も大学の就職課も甘くない。ほんの三日でイヤフォンマイクをはずすか、就職活動をあきらめるか、どっちかを選択するようにせまられた。
 イヤフォンマイクを外すということは、純子がほかの男と寝る可能性を作るということだ。純子の前でこそ突っ張ってなんでもないような顔をしたが、改めて想像してみたら嫉妬で心が真っ黒になった。この嫉妬を抑える方法は二つしかない。純子と別れるか、純子と二十四時間一緒に居るかだ。別れるほうは論外なのだから、なんとかして二十四時間一緒にいる方法を考えなくてはならない。一緒に住めばいいのなら、ちょっと無理をして学生結婚するという手もあるが、ことはそんなに単純ではない。結婚したからといって、二人が二十四時間一緒にいられるわけではない。いや、むしろ、生活を支える必要が出てくる分、二人で居る時間は短くなるだろう。同じ家で寝泊まりすることはもちろん、同じ職場で働かないといけない。その上、仕事上の外出もできるだけ避けなければならない。
 僕はたびたび連絡を取っていた田中さんを思い切って呼び出した。適当な喫茶店に入って、詳しい事情は話さずに純子と離れられない状態であることだけを伝えた。そして、何かいいアイデアはありませんかと聞いてみた。学習塾をやってはどうかとアドバイスされた。資金は田中さんのところでアルバイトを続けて貯める。純子には教職を取らせて美人先生として売り出す、というのは冗談だが、と前置きして、純子自身が自立できるように支援するのが教育だぞとも念を押された。田中さんはイヤフォンマイクのことも、話している間もそれをはずさないことにもとうとう触れなかった。マイクの先に誰が居るのかわかっていたのだろう。
 田中さんと別れると、すぐ純子と相談をはじめた。
「自宅で塾をやれば、どこにも出かける必要はないし、出かけるときは二人で行けばいいし、いい案だと思うけど、あの、純子、先の進路考えてた?」
「考えてなかった。大学行けるのかな。ママは高校までしか考えてないみたいだけど」
「お父さんは?」
「パパはあたしが起きてる時間に家にいないし、休みの日は一日中眠ってるし、第一、パパと直接話したりしたら、ママがヒステリー起こして大変なことになっちゃう」
 なんだそれは、と突っ込みたくなるのを、グッと我慢する。母親の態度で一番苦しんでいるのは、いつも側にいる純子のはずだ。部外者の僕が母親を批判するのは筋違いだろう。それに、どんな親でも親は親だ。自分の遺伝子の半分の製造元なのだから、悪く言われたくはないだろう。
 僕は喫茶店を出て、自転車にまたがりながら、純子と話を続けた。声を出しているので、何事かと振り返る通行人もときどきいる。たいがいは見て見ぬふりをして通り過ぎていく。普段目立つような行動を取ったことがないので、こんな風に注目されながら歩くのに慣れない。視線が痛いという感覚が初めてわかった。背中にもぞもぞと動くものが張りついているみたいだ。
「ねえ、先生。もう、電話、やめよう」
 突然の申し出に、今、考えてたことが伝わったかとびっくりした。
「な、なんで、急に? 嫌だ」
「だって、先生、繋ぎっぱなしにしておくのに、いろいろ無理してるでしょ? 全部聞いてるからわかるの」
 聞かせなければ気を遣われることもないのだけれど、純子に聞かせたくないことだけ聞かせないというわけにはいかない。
「僕は純子に寂しい思いをさせたくない」
「うん。ありがとう。そのために、ものすごく無理してくれてありがとう。だから、今度はあたしががんばる番だと思うの。今はもらった人形もあるし、どうしても寂しくなったら、何時でも先生が何をしてても電話するから」
 僕は答えられない。理性が止めるのが間に合わなかったら純子は……。
「こんなこと言っても信じられないよね」
 ぽつんと言われて、ようやく腹が据わった。
「いや、信じる。純子が育つことを信じる。ああ、そうだ。大学のことだけど、高校から進路調査とかないの?」
「この間、プリントもらった」
「提出期限は?」
「来週の火曜日」
「お父さんの休みは、土曜? 日曜?」
「日曜」
「じゃあ、調査をきっかけにして、お父さんと話そう。日曜の十時にお邪魔しますって伝えておいてくれ」
「どういうこと?」
「恋人として、ご両親にごあいさつする。就職が決まってからと思ってたけど、その就職が絡んできたんだから早く行きたい。そして、先の仕事を見据えた上で、純子の進路も考えてもらおう」
「先生」
 道が直線に入った。この先はずっとアパート近くまでまっすぐだ。調子を上げてこぐ。
「交際を認めてもらおう。純子の大学進学のことも、ご両親に僕が言う。塾の計画も。純子と僕はずっと一緒だって、ほかの人にも認めてもらおう」
「嬉しい」
「僕も。じゃあ、電話切るけど。ちょっとでも寂しくなったら、すぐ掛けてくるんだよ」
「うん」
「じゃあ」
 アパートに着いた。電話を切ってかばんに仕舞う。とたんに電話が鳴った。すぐ出る。
「純子?」
「うん」
「どした?」
「なんでもない。掛けてみただけ」
「じゃあ、このまま掛けとくか」
「いいの?」
「もう、アパート着いたから、切る必然性がない」
「ああ、そうね」
 純子がコロコロと楽しそうに笑う。
「でも、明日からはメールをばんばん打つことにする」
「そうだね。正直、助かる。就職課の」
「藤堂さんね」
「そう。電話を止めますか、就職やめますか、、って、せまるんだもんよ」
「すごい迫力でね」
「ほんとほんと」
 僕は高揚した気分のまま、アパートの部屋に戻り、眠りにつくまで純子と話し続けた。