矢車通り~オリジナル小説~

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離れない(仮)11

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 アパートには定員というものがある。
 僕が住んでいるワンルームは、定員一名になっていた。無理やり荷物を運び込んでしまうという手もあったが、せっかくの新生活をケチのつけられるものにしたくなかった。不動産屋さんに頼んで物件を探した。今とたいして変わらない場所で、たいして変わらない家賃で、たいして変わらない広さのアパートを確保することができた。敷金礼金は純子の父親に甘え、荷物の運搬には大学のリヤカーを借りてきたので、格安の引っ越しになった。純子の荷物は布団一組と学習机くらいなもので、あとはスーツケースに全て納めて、そのまま押し入れにしまわれた。
 そして、僕たちの同棲はスタートした。
 朝、起きると横のふとんで純子が眠っている。ひどく寝相が悪くて、ふとんはいつもどこかに行ってしまっている。パジャマの上着は上にずれて、おへそが丸出しだ。すやすやと静かな寝息を立てているくせに、ときどきにまーっと口を横に広げて笑う。どんな夢を見てるのだろう。僕は今日も純子が幸せでいることを純子に感謝して、ふとんから抜け出す。
 お湯を沸かしてインスタントコーヒーを淹れる。オーブントースターにパンを二枚放り込みスイッチを回す。パソコンを立ち上げて、インターネットでニュースを読む。
 チンッとトースターが鳴ると、合図のように純子が起きてくる。わあ遅れるとか叫びながら、潔くパジャマを脱ぎ捨てて制服を身につける。カバンとトーストを持って出かけようとするので、それはいくらなんでも恥ずかしいからやめてくれとトーストをもぎとって、代わりにカロリーメイトを持たせる。純子は香ばしいトーストがあ、などと文句を言いながらも飛び出していく。年頃の子が手ぐしも通さずに出かけるなんてと嘆いていると、純子から電話が入る。「おはよー」とそこで初めてあいさつする。純子の声はくぐもっている。まだ、カロリーメイトを飲み下していないようだ。何か面白いニュースあった? と聞いてくるので、ネットで拾った最新のニュースを一つ、二つ話してやる。そのうち、純子は駅に着き、未練を残しつつも電話を切る。
 一緒に暮らしてみるまでわからなかった、ちょっとしたことすべてが新鮮で楽しい。
 同棲を始めるまでは、二十四時間一緒にいないとと思い詰めていたが、実際に二人で暮らしてみると二人で過ごす夜は濃い時間だった。メールや電話とは比べ物にならないくらい密度の高い話ができた。
 僕が結婚するまで一線を越えないのは、単に子どもが出来たときに歓迎したいだけで、処女かどうかなんてこだわっていないということを話した。仕事をしなくても三年暮らせるくらいの貯金ができて、僕一人の年収で十分暮らせるくらいになったら、一線を越えると約束した。僕は純子のすべてを見せてもらった。そして、目を逸らさなかった。それで純子はすっかり納得したようだ。
 明らかに笑顔でいる時間が増えた。物事に集中するようになった。大学に行って教職を取り僕を助けるという目標に向かって進む気持ちになれたようだ。
 純子が高校から帰ってくると、僕たちは早めの夕食をとる。その日にあったことを報告しあい、僕は仕事に出かけ純子は家事と勉強をはじめる。
 そんな穏やかな生活がずっと続いていた、秋のある夜。僕は夢を見た。純子の事情を知ってから、何度も見ている夢で、もう、あたりを見回しただけで、ああ、また、あの夢だとわかるくらいに馴染んでいるものだ。
 真っ暗な中に、裸の純子が浮かんでいる。子どもだったこともある。小学生だったこともある。中学生だったこともある。大きな男にでもしがみついているかのように、手と足を広げている。僕の視線は足の間に引きつけられる。男はまったくの透明なのに、なぜか、男が純子の中に入っていくところだけがよく見える。僕は止めさせようとして走り出す。僕のものだと叫んでいる。別に純子のためでもなんでもない。自分の独占欲を満たすために、僕は気が狂ったように走り出すのだ。だが、けっして届かない。
「ダメだ、純子、やめてくれ」
 自分の絶叫で目が覚めた。
 上半身を起こすと息が荒かった。本当に全力疾走したみたいに、なかなか息が整わない。隣に純子が眠っているのだと気がついて目を向ける。僕に背中を向けて、穏やかな寝息を立てている。どうやら聞かれなかったらしい。僕はホッとして、改めて横になった。
 純子の行動に苦しんではいる。
 でも、純子が今まで味わった苦しみの、たぶん、十分の一にも満たないだろう。
 僕が我慢して、純子が救われるのならそれでいい。その不安定なところもぜんぶまとめて引き受けよう。
 決意を新たにして、目を閉じた。