矢車通り~オリジナル小説~

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離れない(仮)15

     15

 仕事を探した。
 純子はもう学校には行かせず、二人で一緒に行動した。アルバイトの情報誌を探しては、載っている夫婦住込みの仕事に片っ端から応募した。たいがいのところは僕たちの年齢を聞くと断ってきた。特に純子が未成年というのがまずいらしい。何軒も断られて、だんだん、焦ってきた。仕事多数と書いてあるところを狙って、僕は粘り強く交渉し、面接してもらえることになった。
 午後一番で出かける。
 繁華街のはずれにあるビルの二階に、その不動産屋はあった。僕は純子を連れて、会社の中に入った。男が一人、電話中だった。大きなだみ声でしゃべる男が、大きな体をゆすりながら、一角にしつらえられた応接セットを指さした。座って待っていると男がやってきた。履歴書を渡すとすぐに開いて、さらっと目を通した。
「わりぃけど、ダメだわ」
「そこをなんとか」
「訳ありなんでしょ? いや、それはいいんだわ。君は落第してて新卒なのに就職せず、夫婦住込みの仕事を探している。奥さんは高二で妊娠して高校は中退するしかない。まあ、はっきりいって、これだけだってまともな仕事に就くのが大変だってことはわかるよね。それでも、うちは困ってるから、やる気さえあれば来てもらってもいいかなと思ってたんだが」
「どんな差し支えでしょう? 努力でなんとかなることでしたら、やらせていただきます」
「奥さんが美人すぎる」
 僕は絶句した。そんな断り文句があるものか。
「いや、だからさ。物件の位置がね、繁華街の真ん中なわけさ。住人もまあ水商売関係なんだよ。こんな奥さんみたら、店に出ろって誘われちゃって大変だよ」
「いえ、それは別に。断りますから」
「ああ、ダメダメ。むげに断られても困るわ。管理人が気にくわないとなったら、どんな嫌がらせされるかわからないしね。それに賃貸だからね。気に入らなきゃ、すぐ出ていっちゃうんだわ。しかも、融通のきかない管理人が居るって、うわさになったら、もう、次の店子が見つかるかどうかもわからないしね。まあ、今回は縁がなかったってことで。ああ、店に出る気があるんなら、そっちのほうの紹介してもいいよ? キャバクラなんかどう? 奥さんがホステスで君がボーイってのは?」
「いえ、それは」
「この先、面接できたとしても、みんな、こんな風なこと薦めるよ? 管理人は物件の鍵を預かる立場になるんだから、ポンっと飛び込んできた人に即決なんてことはまずないんだ。しかるべき紹介者がいるとか、しっかりした大学を出てるとか、そういうのがないとなかなか難しいよ?」
「わかりました。ほかをあたってみます」
「ああ、そう? けっこう親身になったつもりだったけどな。落第男と中退女がいちゃいちゃしながら仕事したいなんて、そんな甘い仕事あるわけないんだよ?」
 僕は履歴書をひったくり、急いでその場を立ち去った。
 その足で、家庭教師の会社に向かった。純子の妊娠がわかったとき辞めてしまっていたのでばつが悪かったが、ほかに仕事方面で頼れるあてがなかった。
 田中さんは十分だけ会ってくれた。僕と純子を並べて、目の前に名刺を一枚置いた。
「教材の添削の仕事だ。家で出来るから、二人でやればいい。ただし、単価は安いから生活するためには、たくさんこなさなきゃならん」
「どのくらい忙しいでしょう?」
「さあ。やってみなくちゃわからんが。引き受けた仕事は徹夜してでもやってもらわなくてはな。できるだろ?」
 僕はためらった。それでは卒業論文を仕上げたときと同じことになる。ぐずぐずする僕を見て、田中さんはとまどったようだった。
「すぐにも始めてくれると思ってたんだが。まあ、よく考えてくれ。家庭教師のほうも事務のほうも、君が来てくれるなら、いつでも歓迎するからな」
「どうして、そこまで」
「おいおい、頼んできておいて、それはないだろ。まあ、そういう不器用なところを気に入ってるのと、君が必死になってるのが自分のためじゃないってところが理由かな。残念ながら、俺にしてやれるのは、ここまでだが」
 田中さんが立ち上がった。
「ありがとうございました」
 僕たちは二人一緒に深々と頭を下げた。
 田中さんのところから出てくると、純子が行きたいところがあると言い出した。純子のほうからどこかに行きたいと言い出すのは初めてのことだ。僕は言いなりについていった。 もう日はとっぷりと暮れている。純子は二駅分歩き、廃ビルの裏に入っていった。鉄製の外階段が上のほうまで続いている。純子はためらいもなく、階段に足をかけた。どんどん登っていく。壊れていて崩れたりしたらどうしようと一瞬思ったが、二人一緒ならそれでもいい。僕は純子のあとを追った。上がりきると、屋上に入り込めた。吹きすさぶ風が冷たい。純子は屋上に並んでいる、何かの建造物の間に器用に入り込んで僕を手招きした。うまい具合に三方を壁で囲まれていて、風が当たらない。それなのに、前方は広く開けていて夜景が見渡せた。僕は純子の肩を抱き寄せた。
「きれいだね」
「うん。ここはあたしが小学生のときから、こうなの。忘れられてるの。嫌なことがあったときは、ここに来て、この景色を見るの。だって、汚いものはみんな闇に隠れて見えないでしょ。きれいなところだけ、よく見えるから、あたし、お気に入りなの」
「うん、僕も気に入った」
「よかった。先生。添削のお仕事、うけて」「いや、やめとく」
「だって、あたしだってわかるよ。もうあとがないって」
「まだまだ。そうさな。料理が出来れば、賄いとか、なんかあるんだが。掃除ならいいかな。よく、駅とか掃除している人たちが居るじゃないか。男も女も関係なく。二人一緒にって頼めば聞いてくれるかも」
「だって、そしたら、先生、さっきみたいに落第男っていじめられるよ。きっと」
「そんなの平気だから」
「あたしが平気じゃないの」
「純子」
 手の中にあるぬくもりが愛しい。
「今は忘れよう。ここの景色、きれいだ」
 純子が僕にもたれかかってきた。僕たちは長いこと二人で寄り添っていた。