矢車通り~オリジナル小説~

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松山への旅1日目

2008年11月23日〜25日

人力飛行機ソロモン 松山編」

 松山で寺山修司をやる。
 その情報が入ったのは、8月はじめのことだった。市全体が劇場になる、まさに日常の隣にある演劇。観客と役者が同じ場所に立ち、日常的な言葉を交わし、何か劇的なことが起こる企画、と、概念だけはたくさん仕入れたけれど、じゃあ、実際に具体的に何が起こるのか。まったくわからないまま、とにかく11月23日に松山入りし、25日の夕方松山を発つ旅をビッグホリデーさんで用意した。
 旅の道連れはKである。私は十代から二十代の前半にかけて演劇部に在籍していたことがあり、Kはその頃からの友人である。観劇の旅にはもってこいだ。
 ただし、一つだけまずいことがある。Kはいつでもどこでも人目を引くことを始めるくせがあるのだ。
 例えば、タレントの話で盛り上がったとする。Kは即座に物真似を始める。お笑いの話で盛り上がればボケまくり、こちらの反応が悪ければ「ツッコミがおそいっ」と突っ込んでくる。
 いや、普段はいい。聞いていて楽しい。だが、この芝居を観る相方としてはいかがなものか。役者より目立つ観客になりゃしないか。Kがその方向に走ったら、ただちに赤の他人のふりをすると心に決めつつ、2人で機上の人となった。

 11月23日の昼下がり、松山空港に降り立った。天気は快晴。前に松山に来たときは台風が襲来していて、飛行機が降りるかどうかも危ぶまれたが、今回はいたって平穏なスタートである。空港からリムジンバスに乗ってJR松山駅に着く。徒歩5分のところにあるサンルート松山に行きチェックインする。荷物はあらかた置いてしまったが、今日は道後温泉でお風呂に入る予定がある。着替えだけリュックに詰めて持って出た。

 まずは坊ちゃん列車である。
 坊ちゃん列車とは、松山市内を走る市電の中に紛れた観光列車である。蒸気機関車を模した車体に乗ることが出来るのだ。松山駅前から道後温泉まで乗せてくれる。
 事前に調べておいた優待券を手に入れるため、松山駅の案内所に向かう。
「坊ちゃん列車に乗りたいんです」と申し入れると「次は3時5分で最終です」と。現在時刻は2時35分である。間に合うと踏んで優待券を買う。まだ少し時間があるので、市電の駅が見える場所で腹ごしらえをすることにした。駅舎の2階にレストランがあるのが見えたので昇ってみた。駅前が一望できる良い場所である。なんだか昭和60年代のデパートの屋上にあったファミリーレストランのような造りで、懐かしい感じがした。軽く食べるのが目的なので、Kはホットドック、私はピザトーストを注文した。3時にはこの店を出て駅に向かわないと間に合わない。2時45分までに注文したものが出てくれば余裕だが、と時計とにらめっこをしながら待っていた。45分ぴったりに出てきた。急いでパクついていると、Kが「うまうまうまう」と叫ぶ。
「食べてみ」と半分ちぎって寄越す。かじってみたら、底に卵を潰してマヨネーズであえたモノが入っている。マヨネーズとトマトケチャップが上にかかり、その下は歯ごたえのあるソーセージで、その下にレタス、さらに下に卵のフィリング。いろいろな味と食感が混ざり合い、うまさを作り出している。
「確かに美味しいねー」と返事をしたものの、あと5分で店を出なければならない。もっとゆっくり味わいたいねとKと愚痴りつつ、美味しいホットドッグを急いで呑み込んだ。
 松山駅前から市電の駅まではホンの100メートルくらいで、その間を国道が通っている。交通量が多くて危ないのか、駅の端から市電の駅まで地下道が通っている。地下道から階段を上がると、たくさんの人が待っていた。(こんなにたくさん乗れるの?)とビビりつつ列車を待つ。時間になっても線路の向こうには影も形も見えない。あれ? 遅れてる? と思っていたら、ふいに線路に蒸気機関車が現れた。こちらに近づいてくる。カメラを持った人々が駆け寄り、写真を撮り始めた。近づいてくる車両は一両しかない。とても全員乗れるとは思えないと思いつつ、乗車して出来るだけ奥のほうに小さくなって座った。車内は木で出来ていて、座席も板状の狭い座席だ。出来るだけ詰めてたくさん座れるように配慮していたら、全員が座ったところで乗客が途切れた。
 ごとんごとんと列車が動く。「わあい、レトロだあ」とKはおおはしゃぎだ。実は市電のファンなのである。列車が線路を横切ると「あ、この風景は、日本に一つしかない電車が電車を待つ踏み切りだ」列車が信号待ちをしていると「市電は信号に従うんだ。自分が通るからって道路の交通を止めたりしない」と解説してくれる。そんなことは知っ……。いや、楽しいからいいよ。好きなだけしゃべりたまえ。
 どうやら、坊ちゃん列車は停まる駅が少ないらしい。大手町、西堀端、南堀端、市役所前、県庁前と飛ばしていき、大街道でようやく人の動きがあった。大きな荷物を持ったカップルが乗ってきて、天井近くのポールを掴もうとするが女性のほうは手が届かない。ドアにもたれてなんとか体勢を整えた。ご両親とお子さん2人と見られる親子連れが入ってきて、お父さんがポールにしっかりと掴まり、そこにお母さんがしがみつき、子供たちがしがみつき足を踏ん張る。その向こうにはかなりご年配な方と、その娘さん夫婦が乗って来た。座っていた人が席を譲る。「まあ、ありがとうございます。あ、席はおひとつで結構です。年寄り座らせられて助かります」とさわやかな声が聞こえてくる。やがて、列車は道後温泉に到着した。

 まずは松山市立子規記念博物館に向かう。
 人力飛行機ソロモン松山編の搭乗券を持っている者は特典として「歌人俳人 寺山修司天井桟敷のポスター展」を無料観覧出来るのだ。
 道後温泉の道をKはふらふら歩いていく。車に轢かれるのが心配で「危ない危ない」とやっていたら「轢かれたら自己責任だから放っておいて」と言う。「あたしはなあ。あたしの目の前でKが車に轢かれるとこなんか見たくないんだ」と怒鳴……諭して、なんとかまっすぐ歩かせる。
 ポスター展は3階のわりと小さめの部屋だった。順路通りに進んでいくと、大きな立て看板2枚に寺山修司の年表が書いてある。知っていることもあるが、知らないこともある。Kが蘊蓄を語る。一緒に「天井桟敷」や「状況劇場」を観に行ったことを思い出した。見覚えのある戯曲の題名、ポスターなどを見て回る。ポスターに載っているビッグネームの数々を見て、あらためて多くの才能が寺山修司のところへ集ってきていたと思い知る。寺山修司を観るのは25年ぶりだ。明日は何が観られるのか。ワクワクしながら記念館をあとにした。

 お目当ては道後温泉本館である。
 日本最古の温泉どころとして有名で、3階には個室、2階には広間の休憩所がある。入浴料を払おうとすると3階席は今いっぱいだと言う。17時15分まで待てば空くと聞いて30分待つことにした。道後温泉のメインストリートに入って、回りの店をひやかしながら市電の駅まで戻る。坊ちゃん列車を見て、Kが「あああ」と声を上げた。
「本当は、こっちのアーケード街を通って本館に行くんだね」
 本当もウソも、どこを通ってもいいと思うんだが、ただの枕詞に目くじら立ててもしょうがない。
「メインはそうだろうね」
「ああ、裏いっちゃったんだ」
 とかなんとか言いつつ、また、その裏を通って本館に戻る。ほどなく名前を呼ばれた。まずは案内板に従って3階まで上がる。個室に通されて貴重品入れの使い方を教わり、下着と浴衣だけで階下の湯殿に降りていく。どのお風呂を使ってもいいそうだが、一番近いところに入るとちょうど人が入れ替わるところで、ほかに誰もいなかった。体を洗ってお湯に入り、温まる。先に個室に戻り寝ころがった。ゆっくり休憩するための個室である。お風呂もいいが、お風呂で時間を使ってしまうのなら入浴だけでいい。個室にはお茶と坊ちゃんダンゴが付いているのだ。ジリジリしながらKを待つ。ようやく上がってきたので、お店の人を呼び何時まで使えるか確認する。80分ですから18時30分までですと教えてもらう。あと40分あった。お茶を飲みダンゴを食べ、外を眺める。11月も末だというのに、窓を開けてあっても寒くない。温泉であったまったからというのもあるだろうが、あまり気温が低くないのだろう。なんといっても温泉街だ。
 混んでいるから早めに出ようとお店の人に退去を告げたら「坊ちゃんの間はごらんになりましたか?」と案内された。部屋から出たら、少しぐらいのんびりしていてもいいらしい。坊ちゃんの間から外を見ると、本館の前を通る人たちが見える。繁華街のど真ん中を見下ろしているので気分がいい。Kと2人しばらく下を眺めた。

 温泉を出たら、次は食事である。
 前から調べて目をつけていた店に入ると、お客がたくさん待っていた。どこか別の店をとも思ったが、連休真ん中の観光地なのだから、どこに行っても混んでるだろう。待っている間はお客同士で雑談をし、順次呼ばれて中に入り食事をした。
 さて、あとはホテルに帰るばかりである。
「まだ環状線に乗ってない」とKが言い出す。松山の市電はルートがいくつかあり、一つはグルッと環を描いているのだ。ただ、道後温泉方面とは路線が違うので途中の駅で乗り換えなくてはならない。道後温泉から市電に乗って、道後公園、南町と過ぎて、上一万で降りる。時刻表を確かめると、道後温泉松山駅の二つ先、古町まで繋ぐ路線は3分に1本出ている。我等が環状線は10分に1本だ。電車の間隔としては短いほうだと思うが、他の路線との差が有り過ぎて、なんだか本数の少ない線のように感じる。環状線と掲げた市電に乗り込む。本来なら、坊ちゃん列車300円、道後温泉から上一万150円、上一万から松山駅150円と払うべきところだが、1日乗り放題の優待券を500円で買ったので計100円のお得である。
 市電は発車し、ほどなく単軌道に入った。まるで江ノ電である。民家の軒先とまではいかないが、庭先を通って暗闇を走っていく。
「わあ。こうなってるんだ。知らなかった。へえー」とKはおおはしゃぎだ。もちろん、松山に来たのは初めてなのだから、知らないだろう。
「すごいー。松山の市電。踏み切りで止まるし、自動車と一緒に走るし、信号で停まるし、踏み切りで止まらせるし、単軌道も走るし、すごい」
 何がすごいのか今一つわからないが、とにかくいろいろな体験が出来る市電に乗れたので感激しているらしい。平和通一丁目赤十字病院前鉄砲町、清水町、高砂町木屋町本町六丁目萱町六丁目、古町、宮田町、と来たところで、なぜ、最初に坊ちゃん列車が突如現れたように見えたのかわかった。単軌道という言わば脇道から、出るところを見せずに大通りに出てくるため、見通しの良い大通りのほうから見ると、横合いから出てきた列車が突然線路に出現したように見えるのだ。
 今日やりたかったことは全てやった。
 足どり軽くホテルに戻った。

 (続く)