矢車通り~オリジナル小説~

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松山への旅2日目前半

 2日目。
 ホテルのバイキングで朝食を摂る。食べ放題に浮かれて、たくさんかきこんだ。
 今日のメインは「人力飛行機ソロモン」の搭乗である。午前11時〜午後1時に松山市役所広場で搭乗引換券を提示し、地図とお面を入手することになっている。早く行って待っていようと10時に出発する。ホテルを出るとぽつんぽつんと雨が降っていた。傘が無くては濡れねずみになりそうだ。雨天決行とは書いてあるものの、雨の中で出来る演目ばかりではないだろう。見たいものが見られるかどうか心配しながら歩き出した。
 市内電車バス1DAYチケットを手に入れるため、昨日と同じ松山駅の観光案内所に行く。窓口には昨日と同じ方が座っていた。チケットを購入しつつ「昨日はありがとうございました。おかげさまで『坊ちゃん列車』に乗れました」と挨拶をする。本気の笑顔が返ってくる。目尻も口角も大きく動く、愛想笑いではない笑顔だ。こちらも自然とニッコリする。
 「松山市&周辺エリアガイド」なる小冊子を取り案内所をあとにする。市電に乗って「市役所前」で降りる。前なのだから、目の前の建物だろうと見当をつけ、入ろうとすると閉まっていた。別館と書いてある。本館はどこだ? と大通りを歩いて探すが見つからない。立体駐車場の整理をしていた人に市役所の場所を聞いてみる。逆のほうに向かって歩いていた。今日は地図を頼りにあちこち演目を探して歩くのに、最初からこれでは先が思いやられる。お礼を言って元来た道を戻る。別館の前を通り過ぎ、先まで歩いていくと、市役所の入り口が見えてきた。入り口には綱が張ってあり車は通れないが人なら通れそうだ。もう、何人か同じ方向に行く人たちがいる。30分前だが近くに居ようと中に入っていくと、市役所の入り口の前にロの字型に長机が組んである。机の上にはお面と地図が積んであった。
 近づいていくと「搭乗券をお持ちでしたら、お引き換えします」と声がかかる。
「11時からでしょ?」
「もう準備が出来てますから、お面と地図はお配りします」
 搭乗券を渡すと、日付のスタンプが押され、地図とお面とお面を止めるゴムひもが渡された。寺山修司のお面ではない。誰だろうと地図を見たら「正岡子規」のお面だそうだ。
 お面を頭に付けておかなくてはいけないらしい。傘を持つのはKに任せてお面にゴムひもを付けた。お面を前に付ければ視野が狭くて何も見えないし、後ろに付けたらゴムひもが額にかかって見苦しい。悩んだ末、後ろに付けて首まで下げた。喉にゴムひもが巻きつく格好だ。Kは当然のごとく後ろに付けている。他の人はどうするのかと見ていると、帽子にお面を引っ掛けて頭の後ろに回している人が目についた。帽子を持ってくればよかった。
 地図で演目を確かめると、22の固定劇と、21の移動劇、3つの企画があるらしい。よくわからないまま、とにかく最初の演目となるプロローグを目指して市電で「大街道」へ向かった。
 11時に着く。
 大街道は幅15メートルはあろうかという大通りがアーケードで覆われている。これなら雨でも関係ない。ほっとしながら、メインストリートに入ると、大きなトラックが停まっていた。荷台が上って傾斜がつき、その中央に赤い絨毯が細長く敷かれている。荷台からはなめらかな斜面が歩道まで続いている。これから延ばす予定なのか、絨毯を巻いたロールが置いてある。どうやら30メートルくらいは延びそうだ。いずれにしろ、ここから始まるはずだと見当をつけた。さて、12時まで1時間ある。何をしよう? 腹ごしらえをしても良かったが、朝のバイキングで思い切り食べたのがひびいて、まだ物を食べる気分にならない。先に観たい演目の下見に出かけることにした。
 目を付けていたのは演目20の便所のマリア。マリアを乗せたリヤカーが車夫に引かれて進んでいく、はずだ。出発の場所はアメリカンポテトというお店だ。13時15分の開始である。12時から12時半までプロローグを見て、45分で移動するためには迷ってはいられない。大街道のアーケードの中を歩きながら、アメリカンポテトまでの道のりを探る。どこを歩いているのかわからなくなる。下を見たら、アーケードの地図があった。ソロモンの地図と突き合わせてみるが、どうにもわからない。近くで交通整理をしている市の方(だと思う)に聞いてみる。その方は地図を踏みながら「今居る場所がここで。その場所はここ」と差してくださる。曲がるべきところを行き過ぎていた。「うーん、行き過ぎちゃってるけど。今日雨でしょう。この先の、その現場の近くまでアーケードがあるから、アーケードをくぐっていって、ちょっと濡れて、ちょっと戻る感じでそこまで行くという手もあるよ」と親切に教えてくれる。確かに土砂降りになったら、濡れないことを先に考えたほうがよさそうだ。ルートは天候次第だ。
 とりあえず、最短距離を通ってアメリカンポテトに行く。場所を確認してから元のトラックが停まっているところまで戻ると、11時半になっていた。ほんの10分で行けるということだ。その結果に安心して、トラックの横に張りついた。
「あのイントレ何かな?」とKがつぶやく。
 は? イントレってなんだ? 問い返すと「あの鉄パイプで組んだ足場のこと。普通は照明を乗せるんだけど、今は何もないし」
 その方向を見ると、両脇に一台ずつあった。はしご状のパイプが付いているので、誰かが登るのだろうと思われた。
 12時が近づくにつれ、そこかしこに黒い服を着て顔を白く塗った人たちが現われ始める。近所のお店に入っていったり、道路にたたずんでいたり。近くの公衆電話では、何やら口論をしているような女の人が。ただし、彼女は公衆電話にお金を入れてはいない。回りには顔のあたりにお面を付けている人がたくさんいる。
「あのー、なんですか? これ」
 突然、隣に立っていた女性に話しかけられる。
寺山修司人力飛行機ソロモンという芝居なんです。松山市内のあちこちで劇をやるんだそうですよ。このお面を持っている人たちは、この芝居を観に来た方々です」と説明したが、わかったようなわからないような顔をされたままだった。
 イントレの上に水兵の格好をした女性が上る。
 時間が来る。
 赤い絨毯を巻いたロールの横に人が付く。しずしずとロールが動かされ、赤い絨毯がまるで滑走路のように拡げられていく。大きな布が拡げられる。四隅を四人の男に掲げられ一歩また一歩と進んでいく。イントレの上にいる女性が頭をかいたかと思うと、旗を振り始めた。同じ動作を繰り返している。
 トラックの荷台の一番高いところから、黒い衣装を着て白い化粧を施した人たちが現れ始める。私の横や、ほかの観客の横からも、どんどん人が入っていく。トラックの下から霧が湧き、あたりの人々を包み込んだ。
「芝居のメインはあの絨毯の先。行こう」とKがうながす。せっかく一番前を確保しているのに、人の後ろになったら何をしているのか見えない。だけど、ここに居ても何もなさそうだ。逡巡していると「行くよ」とKが歩き始める。ようやく決心してKに付いていった。
 どんどん先に歩いていくと、大きな布が地面に敷かれて、その上で頭を剃っている人たちがいた。赤い絨毯もその先少しで終わっている。どうやら、ここが終点らしいと見ていると朗読が始まった。どうも、赤い絨毯の途中でみんな止まっているらしい。そちらのほうへとあわてて引き返す。大きな声で「何してるんだ」などと言っている。どうやら揉め事らしい。前に出て覗いてみると、郵便配達夫が黒い衣装で白い化粧の人達に文句を言っている。一悶着あったあと、黒白の人達は三々五々と散っていった。プロローグの終わりだ。芝居の幕は開いた。

 さて、どうする?
 Kと相談すると、今のうちに何か軽く食べておこうということになった。18時過ぎまで何も食べないでいるのはきつい。軽食屋を探してキョロキョロしながら、歩いているうちにアメリカンポテトに着いてしまった。ガレージにリヤカーがおさまっている。車夫の姿も見えた。あとは時間が来るのを待つばかりだ。引き返して近所の喫茶店に入った。「10分で食べ物出してもらえますか?」と訊ねる。「もちろん」と店主は答え、そこで美味しいチキンフォカッチャと、フィッシュフォカッチャを食べた。せっかく美味しい物を食べているというのに、またも呑み込み状態である。お金を払って出るときに「無理を言ってすみません。美味しかったです。ありがとうございました」と挨拶すると、また、本気の笑顔が返ってくる。目尻も口角も大きく動く、愛想笑いではない笑顔だ。松山大好き。
 13時15分アメリカンポテト到着。
 いつの間にか、大勢の人が待っている。交差点の四隅に10人くらいずつ固まっている。いつ便所のマリアが出てくるのだろうか? 20分になっても何も始まらない。もしかするといない? ガレージを覗くと、さっきあったリヤカーがない。じゃあ、どこからか登場してくるのか? とさらに待っていると、道の一つから黒い衣装で白い化粧の人がやってきた。アメリカンポテトの前まで来て、方向転換して行ってしまう。さては、彼女が案内人なのか? しばらく待ったがほかに動きはない。さっきの彼女を追い掛けていくと、次の交差点の角に立っていた。
「リヤカーはどちらに行きましたか?」と問いかける。彼女はしばらくじっとたたずんだあと、首を横に振った。
「否定? いない?」Kと2人で推理する。「先に出た」「いや、まだ出てない」「実は別の場所でやってる」「いやいや地図を無視するなんて」といろいろ言い合ってはみたが、現実問題としてリヤカーはなく車夫も居ない。便所のマリアもいない。となれば、やはり出発しているのだろう。たぶん、人目の多い所を通るはずだと見当をつけて、大街道のアーケードに戻った。
 さっきのイントレをバラしている男がいた。
「あの、便所のマリアを乗せたリヤカーを探しているのですが、ここを通りませんでしたか?」と問いかけると「10分ほど前に、もう一つ向こうの道を通って行ったよ」と教えてくれた。お礼を言って歩きだす。そう言えば、さっきの黒白の彼女にはお礼を言わなかった。すみません。ありがとう。
 リヤカーを探しながら、松山市を歩いた。道を覗き込んでは「いない」とKと首を振る。さっき、確かに目撃したはずのリヤカーは時空を越えてどこかに行ってしまった。
「六角堂に行こう」と提案した。終点である。終点から逆にたどったほうが会える確率は高い。Kはまだ途中で出会えると思っているようでぐずぐず言ったが、ルートがわからないのだ。偶然途中で会えるとは思えない。六角堂を見つけたときには、14時を回っていた。中に入ると、なんと便所のマリアはもう到着していた。車夫はお堂の後ろで休んでいる。しばらく待っていると「もうすぐ芝居が始まりますよ」と係の人が観客を呼び集めた。

地図より抜粋−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
墜落の想像力。真赤なお堂であなたを待つ美耶とブリキの基督様。「あはれまだ見ぬ邪宗門…」美耶が劇的必然性をまさぐりながら、あなたと寝ることは現実であり、同時に虚構。「わたしにお客さんがつかないのは、この病気のせいなの…梅毒…」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(引用終わり)
 女優さんたちも、衣装もとてもきれいだった。

 次の目的地は演目23の老嬢交換、道後温泉本館前で演じられるのだ。私とKは六角堂をあとにして、上一万駅に向かった。そう、昨日環状線に乗り換えた、あの駅だ。駅は道路の真ん中にある。こちら側の歩道から地下道を通って、駅のプラットフォームに上がる。ほどなく市電がやってきた。昨日と違って、子規のお面を付けた人たちが市電の中にいる。松山市は大きな劇場になったのだと思った。

(続く)