矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

松山への旅2日目後半

 道後温泉に市電が着く。アーケードのある繁華街と、時計台の横を抜ける道がある。Kは迷わず「裏」と言っていた時計台の横のほうへ進んだ。途中で丸坊主の頭まで真っ白にした黒い衣装の女性が歩いていた。ビニール傘を差し、爪先立ってキョロキョロしながら歩いていく。足は裸足だ。「冷たいねえ、大変だねえ、がんばってね」と通行人が励ます。彼女は照れたような笑顔を浮かべ、クネクネと体をくねらせながら歩き続ける。私とKは彼女のあとを付いていく。何をしているのかはわからないが彼女を見ているのは面白い。どうやら道後温泉本館のほうへ行くようだ。しばらく道連れになっていると彼女はふいに止まり、元来た道に戻っていった。
 道後温泉本館の前には、たくさんの人が集っている。老嬢交換は14時45分からとなっている、まだ時間はありそうだ。まだ何も始まっていない。だが、さきほどのリヤカー消失が頭に残っているので、ここを離れて、また見失ったらと思うと離れる気にもならない。アーケードの出口に立って本館のほうを見ていると、昨日と同じように入浴をしようとするお客さんが次々とやってくる。昨日見た日常的な光景がそのままそこにある。
 やがて、着物を来たきれいな女性が本館の前をヒラヒラし始めた。どうやら女優さんらしい。私たちのほうに近づいてきた。私の地図を拡げ、演目21を指差した。
 天井桟敷の歌姫、蘭妖子の歌だ。
「ここでやるんですか?」と聞き返す。他の場所でやるはずだ。きれいな女性はこくこくとうなずいた。本当にどこで何が起こるかわからない。まさか、見られるとは。ワクワクしながら待っていると、コンサートが始まった。

 その後のことはよく覚えていない。いや、演目の印象はあるのだが、どんなことがどんな順番で起こったのか、さっぱり思い出せない。記憶力の良いKに聞いてみたが「順番にこだわることはないんじゃない?」と言う。そう。自分が観たと思うことを書くほうが重要だ。一つ一つのセリフは覚えていないので、まったく創作してしまっていたらエクスキューズミー。道後温泉本館の前で出会った劇的な出来事を、印象順に記していくことにする。

 自転車に乗った人が通った。紙飛行機を持った少女が通った。
「あのー」と声をかけられてKがふり向くと、キャベツが目の前に差し出された。
「このキャベツ、お面を持った人に渡すんだそうです」
「あ、はい」
 サランラップにくるまれたキャベツを手にKがたたずむ。
「えーと、それは演目26のキャベツ訪問だね。『決して危険物ではありません。このキャベツを預かってください』というのが決めゼリフらしいよ」と地図を片手に解説する。
「ああ、そういうこと」とKはキャベツを片手にどこかに消えていく。どうやら外国人の方にもらってもらえたようだ。
「あのー」
 しばらくすると、またキャベツが戻ってきた。あたりを見回すと、ちょうど、若そうな男の子が2人到着したのが目に入る。
「あの2人なら受け取ってくれるよ。面白がって」とKをたきつける。Kはお面を顔に付けて彼らに近づきキャベツを渡してきた。
「なんて言ったの?」
「言葉を使わず伝えた。ジェスチャーで」
 ……よく受け取ってくれたな。
 なんだか奇妙なところに居るような気がしてきた。

 と、そのとき。
(地図より抜粋)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「屑ィーっ! 屑ッいらなくなったじいさんばあさんはありませんかーっ、使い古しのおっ母さんはありませんかーっ!」と六角堂から道後温泉までを徘徊する屑屋。
 道後温泉本館2階の窓があき、巨大化したイガグリあたまの兄とおかっぱ頭の妹が現れ、テルテル坊主を干そうとしている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(引用終わり)
 屑屋が大きな声を張り上げながら、道後温泉のアーケードを抜けてくる。「いらなくなったじいさんばあさん」「使い古しのおっ母さん」と低音の声が響くたびに、そこかしこから、クスクスと笑い声が起こる。「ブラックだなあ」とヒソヒソ話している。道後温泉2階の兄妹が屑屋に声を掛ける。兄妹はじいさんばあさんを屑屋に引き取ってもらいたいらしい。
 演目23老嬢交換である。
 屑屋が去っていくと、今度は観光客が3人道後温泉本館の前に現れた。
「1人遅れてるんだよね。まだ来ない?」などと、会話を交わしている。どうやら道後温泉本館に来た客のようだ。
 遅れていた1人が現われると全員で踊り始めた。
 演目22踊り念仏だ。
 「誰か私に話しかけてください」と書かれたゼッケンを付けたランナーが通りかかった。「がんばれっ」と声がかかる。すかさずランナーが「ありがとう。話しかけてくれて。話しかけてもらわないと止まれないんですよ」と案外気さくに話し始める。
 演目35長距離ランナーの孤独である。

「エピローグの場所はどこですか?」とKが何気なく聞く。エピローグの場所は、地図上で黒く塗られた2つの場所のどちらかなのだ。一つは市役所、一つは市民会館である。場所を間違えて移動することになれば30分は食いそうだ。確実なところを聞きたい事柄ではある。ランナーは答えそうになって「いやいや、言えません。考えてください」と言った。沈黙が訪れる。「話しかけてください。話しかけられないと走らなくてはならないのです」とランナーが切実な声を上げる。「あの道後温泉の前に居る人達とは絡まないの?」とKが声をかける。黒い衣装を着て白い化粧をしている人達が何人か居るのだ。「あの人達とは絡まないんです」と言いつつ、ランナーはそちらのほうに近づいていく。何か話したあと、またこちらに戻ってきた。「話しかけてください」と訴える。だんだん近づいてくる。
 もろに私に言っている。
 こういうとき口ごもってしまうのが悪いくせだ。まごまごしているとKが質問してくれる。
「あなたは誰ですか?」
「僕は○○です」
 名前を教えてくれる。Kとランナーは声を張り上げた。私はかねてより懸案の、Kが演者さんより目立ちそうになったら逃げる、という作戦を実行した。
 遠巻きにしていると、Kとランナーはしばらく問答を繰り返した。質問が途切れ、ランナーは再び走り出す。彼はエピローグが始まる時間まで走り続けるのだ。
 その後、何人かの演者が通り過ぎ、きれいな絵になる風景を見せてもらった。演者が去ったのを見定めて、Kと道後温泉駅に向かった。アーケード街を通り抜ける。駅の近くにくると「犬のお巡りさん」の音楽が流れてきた。
 「犬のお巡りさん」が車に乗ってやってくる。
 いや、お巡りさんの格好をした犬がおもちゃの車に乗せられて、前を行く人がリモコンで車を操作しているのだ。
「すげーすげー」とKはおおはしゃぎ。
 道行く人を振り向かせながら、犬のお巡りさんは遠ざかっていった。
 さて、そろそろ16時を回る。全ての演目は16時半に終了時刻が設定してある。ということは、その後エピローグ会場に演者はみんな集っていくのだ。エピローグの開始時間は16時40分となっている。
 市役所はお面と地図が配られた出発点なのだから、市民会館がエピローグの会場と推測できるが、何が起こるかわからない。確実なせんは演技を終えた演者がエピローグ会場に行くのに尾いていくことだろう。演者が多いのは大街道だということで、市電で大街道へ向かった。
 まだやっているはずの演目43ヤミーダンスの会場の前を通ると、もう終わっていた。
 もう大街道の演し物は終わっているらしい。どこで演者を見つければいいかと歩いていると、黒い衣装を身に付けて顔に白い化粧をした2人の女性が歩いているところに出くわした。2人はときどき手旗信号を発している。プロローグのときに水兵の格好をした女性たちがやっていた信号だ。この2人に尾いていけば間違いない。Kと2人、女性たちの後を尾けはじめた。念のため、市役所のほうも確かめようと地図を見ると、女性たちが進んでいく方向にある。途中でちょっと覗いてみればいい。回りを見回すと子規をお面を付けた人たちが、1人また1人と寄ってきて同じ方向に歩いていた。
 やがて、大きな道に突き当たり、女性たちは右に曲がった。すると、松山城のお掘が見えてきた。やはり市民会館だ。いつの間にか市役所の近くは通り過ぎてしまったらしい。だが、もう引き返す必要もないだろう。そのまま付いていくと、女性たちは市民会館のほうへ消えていった。
「よし、確認だ」
「え? 何を?」
「エピローグ会場がここなのかどうか市民会館の人に訊いてみる」
「いや、だって内緒って設定なんだから訊かれても困るだけじゃない?」
「もう、この時間になってまで内緒ってことない。間違ってたらエピローグを見逃す。いいの?」とまで押されてはもう反対も出来ない。Kは受付窓口に突進していった。
「このイベントのエピローグ会場を探しているんです。この黒く塗られた2つの場所のどちらかなんです。ご存じありませんか?」
「この場所なら、確かに市民会館ですよ。大ホールの入り口はここの入り口のちょうど真裏の2階になります」
「ありがとうございます」
 2人で頭を下げて、言われたほうへ向かう。もう30人くらい集っていた。もうここで決まりだろう。雨も止みかけている。屋根のあるところに並んだのを期に傘を仕舞った。
 トイレに行きたい。
 どうやら劇場のような造りらしいとわかったとたんに、長時間座っていなくてはならないのなら、その前にトイレに行きたいと切実に思った。しかし、まだ会場は開いていない。その場を私が離れてから開場されたら、中に入れなくなるかも知れない。我慢した。
 やがて、中の扉の前まで誘導された。扉の前で並んで待っているとランナーが走り込んできた。ゴールである。
 扉が開き、会場の中に導かれる。案の定、舞台と観客席がある。黒い衣装と白い化粧の人たちが、通路に立って手で誘導している。お客さんたちが通りかかると「合い言葉は?」と訊いている。
 なんだろう?
 人波に押されて、どんどん先に行く。
「合い言葉は?」
 さきほど道後温泉本館の前で、老嬢交換をしていたリヤカーの車夫だった人に訊かれた。
「あなたは誰?」
 Kが自信満々に答える。車夫に止められる。先に行かせてくれないらしい。充分前は埋まっている。無理に前に行くのはやめて、そこらへんに座ることにした。後ろを見ると、まだまだ入場が続いている。
「トイレに行きたい」
 初めて音声にした。
「じゃあ、今行って」
「まだ、入場途中だし」
「待ってたってエピローグに突入していくだけ。行くなら今」
 私はカバンを座席に置き、人がやって来ない通路を駆け上がった。構造的に建物の両脇にトイレがあるはずだと見当をつける。そこに、ちゃんとトイレがあった。意外とたくさんの人が入っている。急いで用事を済ませて、また階段を駆け下りる。何事かをこちらを見ていたお客さんも何人かいた。
 すみません。無駄に目立つ奴で。
 座席におさまると、ほどなくエピローグが始まった。
「1メートル四方1時間国家……」
 朗読、ダンス、パフォーマンスと、舞台は続いていく。スピード感のある移動で、舞台が揺れる。両手を両脇に拡げた演者たちは、本当に飛び立っていくような気がした。
「合い言葉は?」
 客席の後ろから声がかかる。
「黒く塗れ」
 ああ、そうだったのかと思いつつ、でも、どこに書いてあったのだろうと首を傾げる。
「記念撮影をしましょう」と演者がお客を舞台に呼んだ。ほぼ全員が舞台に上がった。そこで全員で記念撮影をし終わりかと思ったら、外にほうに誘導される。何があるのかと付いていく。市民会館を出ると強く雨が降っていた。傘を差して先に進むと、市民会館の近くのグラウンドに木で出来た人力飛行機が置いてあった。その前でまた演者たちのパフォーマンスが繰り広げられる。演者たちはびっしょりだ。けれど、誰も寒そうな様子をしない。
 熱い。
 飛び立って行こうとする情熱が、雨の冷たさを忘れさせたのか。
 長い朗読が終わったとき、人力飛行機ソロモンが終わった。

 Kと私は近くの居酒屋に入り、とにかく熱燗を飲んだ。
 市電の終電に間にあわず、ほんの500メートルをタクシーで帰るはめになった。タクシーに乗っているとき、踏切に遮られた。例の、市電が踏切を待つところだ。電車が電車を待つ踏切である。
「いいもの見られた」
 Kがまたはしゃいだ。

追記。Kより追加して書いて欲しいと要望が。
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 23日の夜、道後温泉本館のあと入ったお店は「おいでん屋」さん。鯛がとっても美味しかった。
 24日、フォカッチャを食べた店は英国調の喫茶店で、とても雰囲気が良かった。
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 Kよ。食べ物に思い入れが深いな。

(続く)