矢車通り~オリジナル小説~

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稲妻お雪 弐の六

 かなり急な石段を喘ぎながら登って行くと、堅牢な山門が見えてきた。二人の法師頭巾が手持無沙汰の様子で、薙刀を担いでこっちを睨んでいる。
「何者じゃ」
 片方の弁慶を思わせる巨漢が誰何した。
「へい、越後から来た商人でごぜえやす。今日は娘の出物が有りましたんでね」
 善介は頭をペコペコ下げながらいった。
「何をふざけた事を申す。ここは寺じゃぞ。女に用は無いわい。それとも貴様、我らに女犯の罪を犯させて地獄へ落とす気か」
「とんでもない。坊様でも、こんな山寺に籠て何年も女っ気無しじゃあ身体に毒ですぜ。たまにゃああく抜きをなすった方が宜しいと思いますがね」
 善介はいかにも女衒らしく言葉巧みに、この弁慶もどきを誘惑した。
「さすがに女衒。うまい事誘うわい。実は我らはかように法師の格好をしておるが、元は武士」
 そういう法師頭巾の言葉を聞いて、善介はしめたと思った。今川の残党が坊主に化けて、寺に立て籠もっているのだ。女っ気なしではとても辛抱できまい。それが証拠に近在の百姓の娘といわず女房といわず、三十路までのものは股ぐらを狙われ夜も眠れないという。ならば徳川家が兵を出して、掃討すればよかろうと思うのだが、そうもいかぬ事情があるというのだから世の中面倒だ。 
 家康の正室が今川の出である事は周知の事実ではある。その正室を家来に命じて殺したのも。だかその訳には諸説あって、どれが信なのか、家康本人に聞かぬと分るまい。しかし、この寺には今川方が立てた、その正室の墓があった。したがって家康もうっかりこの寺に手が出せないのだ。家康が迷信深い人というのは当たっていない。
 祟りなど恐れる男ではない。しかし古い家臣の中には、亡霊や妖怪の存在を信じる者もいる。奥方の墓のある寺を焼き打ちするのはもっての外というのが、彼らの主張である。尾張の信長ならば、一笑にふすであろうが家康にはそれが出来ない。家臣団の団結を重んじるからである。たとえ古い家臣であっても、それらの者には子もあれば孫もいる。徳川家の新しい力になると思っている。だからこそここを力攻めにしない。
 というわけで越後の乱波の出番となったわけであるが、さて。