矢車通り~オリジナル小説~

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見ればわかるのに(7枚)

 カラオケボックスの個室には流行りの曲が控えめに流れていた。長谷川はソファの上にあぐらをかいて、ネクタイを緩めた。届いたばかりのチューハイに手を伸ばし、手の先にチラッと視線を送る。はす向かいに座る福田が縮こまってうつむいていた。
 福田のミスは今週13回にものぼる。長谷川は何度も注意したのだが、どう工夫してもミスは発生した。これは何か仕事以外のことに原因があるのだろうと、終業と同時に無理やり引っ張ってきたのだ。
 ガチガチに肩を強張らせている福田に、長谷川はにこにこと笑いかけた。
「無礼講でいいから。タメで話してよ」
 福田はますます身を固くする。
「おれがタメっつったらタメでいいんだかんね。おれとタメ口で話した部下、いっぱい居るよ。社内じゃ口説きの長谷川って呼ばれてんだよ」
 福田は顔を上げて長谷川の目をマジマジと覗き込んだ。
「わ、バカ、そっちじゃねえ。男、それもテメーみてえなガタイのでかい、獰猛なイノシシみたいな奴なんか口説かねえって。説得のほう」
「お、俺がイノシシだったら、か、係長はゴリラじゃないですか」
「係長じゃねえ。は・せ・が・わ。呼び捨てでいい。おれも上司なんて面倒な立場は離れたいんだ」
「は、長谷川、さん」
「ん、まあ、いいだろ。なんか歌う?」
 長谷川は歌の題名とリクエスト番号が書いてある本をテーブルから取り上げた。福田もおずおずと手を伸ばし、もう一冊の本を取った。
「題名だけ見てさ。良さそうなのをリクエストしちゃうってのは? 知らない曲なら歌わなきゃいいんだし」
「そうですね。えーと、じゃあ。『愛の讃歌』とか」
「いいけど、ほら、あいうえお順だと、そんなのばっかだから、パッと開いてさ」
「こうですか? えーと『魅せられて』かな」
 その後、長谷川は福田に歌の題名を何回か言わせた。それから大きくうなずいた。
「なるほどなあ。恋してるんだ」
 その言葉を聞いた福田は喉元まで赤くなった。
「なんでわかるんですか!」
 福田に鋭い視線でにらまれて、長谷川は頭の後ろを掻いた。
「もろに恋愛がらみの曲名ばっかり挙げるから、当てずっぽうで言っただけだよ。そういきり立つなって。で、誰なんだ相手は」
「そ、それはプライベートですから」
「だからー。今はプライベートなんだってば。そうだろ? 無礼講なんだから」
 長谷川はちょっと、いや、かなり強引に話題をつなげたが、福田は観念したのか素直に答えてきた。
経理の岸さんです」
 岸、と言えば、仕事を言いつけると必ず口答えする、社内でも有名なわがまま娘である。しかし、岸は仕事の手を抜かないのを長谷川は知っている。女房にするならあのくらいのしっかり者をと、密かに狙っていたりもする。
「つきあいはあるの?」
「ええと、6回デートしたんですが、7回目は断られてしまって」
「それで今週はうわの空ってわけか」
「す、すみません」
「よし、呼べ。タクシー代はおれが持つ。すぐ呼べ」
「だって」
「いいから」
 福田はしぶしぶ携帯電話を取り出した。
 
 1時間後、岸はドアを開けて入ってきた。いつもはまとめてある長い髪がほどかれて胸元に揺れている。味気ない事務服にサンダルではなく、真っ赤なワンピースにハイヒールを履いていた。
 こんなにきれいな子だったか。
 長谷川は見とれているのを悟られないよう目を逸らした。
 岸は深々と頭を下げてきた。
「係長のお時間を取られせてしまって申し訳ありませんでした。福田とはじっくり話し合いますので、もう、ご心配をおかけするようなことはないと思います」
 苗字を呼び捨て。まるで福田の妻が上司にするようなあいさつ。長谷川はがっかりした。岸の気持ちは福田のものだ。見ればわかるだろうに。どうして福田は落ち込んでいるんだろう。
「俺はそんな約束はできないね。君に当日キャンセルされて落ち込んでるんだ」
「だから叔母が病気だって」
「叔母さんは遠くに住んでるんだろう。心配なのはわかるけども、デートを断るほどのことじゃないだろう」
「母が手伝いに行ったから、私が家事をやらなくてはならなかったの。うちの男どもは家事できないんだもの」
「なら最初からそこまで言えばいいのに。ちゃんと全部話してくれよ。わけわかんないよ。だいたい君は俺のこと好きなの?」
「そういうことは、2人だけのときに聞いてよ」
「なんでだよ。別に恥ずかしいことでもないだろ。もうバレてんだし」
「恥ずかしいわよ」
「俺とつきあってるのが?」
「だから、そういう話はあとで、ね」
「なんでだよ!」
「あとでって言ってるでしょ!」
 傍から見ればバカバカしいすれ違いだった。岸は福田を自分に一番近い人と考えているから内緒話がしたいのだ。それが福田にはわからないらしい。
 チラッと。
 一瞬だけ。
 このまま、放っておこうかと長谷川は思った。
 そうしたら、別れてしまうかも知れない。
 そうしたら、まだチャンスは残る。
 長谷川は一度目をつぶり、勢いよく立ち上がった。
「ここまでの分しか払わないから、あとは自分たちで出せ」
 テーブルを回って入り口の前に立つ。2人の視線が長谷川に注がれる。
「岸さんは、お前に惚れてるよ」
 岸は下を向いて両手で顔を覆い、福田は岸の肩を抱いた。
 長谷川は外に出て、そっと扉を閉めた。
 
            終わり