矢車通り~オリジナル小説~

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逃亡はこっそりと(後編)16枚

   四
 
「臨時ニュースを申し上げます」
 冷やかな男の声が佐々間の頭上から落ちてきた。
「強盗の容疑で全国に指名手配されていた荻原は、今日午後四時二十分、立ち回り先の肉皮町において逮捕されました」
 佐々間はダッシュで街頭テレビから離れて、さきほどから対峙していた若者の隣に並んだ。
 テレビの画面は指名手配犯の顔でいっぱいになっている。若者はテレビと佐々間を交互に見ると、大きくかぶりを振った。
「ほーら、俺じゃないー。どうだ、わかったかー」
 佐々間はらしくもない強気の押しで、町の人々をねめつけた。そうとう溜まっているもんがあったんだろう。
「だって、みっちゃんが」
 唇をへの字に歪めて、若者は言いつのった。
「みっちゃんって誰?」
 藤見は語気を強める。
「ラーメン屋やってる女だ。会ったでしょ。この町に来て最初に」
「ああっあー」
 佐々間の顔が一気に崩れる。
「みっちゃんが犯人だって言うから」
 佐々間はカッと目を見開いた。
「ひとのせいにすなーーー!」
 拳を握りしめ、腰だめにして突き出した。拳は若者の右こめかみをかすめ髪の毛を二、三本さらっていった。
 若者の顔はみるみる青ざめ、直立不動の姿勢になってそのまま固まった。
 若者の爪先は次第に立っていき、ついに回れ右をした。若者が走り去って行く。佐々間を取り囲んでいた人々があっと言う間にいなくなる。みな手近な建物に入ってしまったのか、みるみる見えなくなっていった。
 視界が開けてみると、駅はすぐそこだった。
「ま、帰ろうや」
 藤見は佐々間の肩を軽く叩いた。
「ああー。いやー、その前にー、バイクを取ってこようよー。早く修理に出さないとー」
「そうだな」
「――肉皮町に潜伏しているものと見られ――」
 街頭テレビから流れる音声の一部が、藤見の耳に飛び込んできた。画面を振り向くと、そこには藤見そっくりの顔写真がアップで写っていた。
「ま、まさかー」
 佐々間はテレビを見上げたまま、ガタガタと震え出した。
 藤見は目を細めて顔写真をよく見た。細長い顔の輪郭に大きな目と鷲鼻がおさまっている。五分刈りの頭の生え際には、大きな傷跡がある。五歳の時に自転車ですっころんで七針縫った痕だ。
 こんなものまで同じ顔などあるんだろうか。しかし、藤見には強盗をはたらいた覚えはない。
 どうやら何かのスナップ写真らしく、映った男は顔を横に向け、視線を少し下に向けていた。そう、まるで、何か下にあるものを見ているかのように。
 その構図にピンと来るものがあって、藤見はあたりを見回した。
 もし、あいつが何かしかけたのなら、きっと近くにいるはずだ。でなければ、こんなにこちらの動向にぴったり合わせた対応をしてくるわけがない。
 駅前のみやげ物屋のビルの陰に、赤いものが入っていくのがちらっと見えた。
 藤見はそちらに向かって猛ダッシュをかけた。
 藤見と佐々間がビルの陰に回ると、先のほうで重い扉がバタンと閉まる音がした。音を頼りに近づいてみると、なんの変哲もない鉄扉がなんの案内もないところにぽつんとあった。
 藤見は佐々間を片手で制止ながら、音が出ないようにゆっくりとノブを回した。かすかにカチッと音がする。扉を前に引いた。
 首を突っ込んでみると、廊下の突き当たりになっていた。入ってすぐの右手には女性用トイレの看板があり、ちょっと先に男性用トイレの看板があった。ただ長四角に切り取られただけの入り口は暗くて、中には誰もいそうにない。
 天井からぶら下がった蛍光灯が、廊下を照らしている。蛍光灯は二本点けるようになっていたが、一本しか入っていない。
 おそらく点る蛍光灯の数を少なくして電気代を浮かそうという腹だろう。市役所や公民館でよく見かける節約術だ。ここは何かの公共施設なんだろうか。
 廊下の先のほうは曲がっていて見通せない。
 中の暗さに勇気づけられて、藤見はそっと足を前に出した。背後の佐々間に目配せを送り、一歩また一歩と進んでいく。
 靴音がしないよう、爪先立つ。重心を崩せば派手に転んで大きな音を立ててしまう。足を前に出して太ももの力で支え、爪先が割れやすい卵になったと仮定して静かに着地させる。爪先がしっかりと床をとらえたのを確認してから次の足を持ち上げる。腰は平行のまま動かさず、太ももの筋肉だけで足を前に出して着地させる。
 曲がり角の床は光が差し込んで、少し明るくなっていた。人が歩いている音、キーボードを叩く音、お湯を注ぐ音などが、かすかに聞こえてくる。
 曲がり角から顔を少し出すと、コーヒーの匂いがしてきた。流しと電熱器だけの簡単なキッチンセットが、白い壁の沿って置いてある。
 さらに首を伸ばすと壁は長く続き、広い部屋があるのだろうと予想させた。
 藤見は床にペタッと寝そべった。そのまま手を交互に動かして前進する。
 キッチンセットの向かいに低い書類棚が置かれていた。その陰に隠れて藤見は内部を観察した。
 天井が高い。普通のビルの倍はあった。壁の一面にモニターが何台も設置されていて、町の様子が写っている。部屋自体はそんなに広くもなさそうで、人々の話していることがはっきり聞こえてくる。
 藤見と佐々間は床に臥せったまま、人々の話に聞き入った。
「開始時刻まであと十五分ですっ。用意はいいですかっ?」
 ラーメン屋の店主の声が聞こえてきた。少し遅れて同じ音声が流れてくる。どうやらマイクを使ってしゃべっているらしい。
「はーい」
「おうぅ」
「わっかりましたあ」
 スピーカーでも通しているのか、ノイズの入った声が返ってきた。
 パチンとスイッチを切る音がした。
「駅前からじゃ、いくらも逃げられないでしょう。すぐ終わってしまいますね」
 忘れもしない、臨時ニュースを読んでいたアナウンサーの声がした。
「いやあ。わかんないなあ。案外しぶといかもなあ。あの階段降りにはびっくりしたあ」
 交差点で話しかけてきた、軽トラックの兄ちゃんの声だ。
「うん、あのでっかい兄ちゃんのほうは、根性すわっとる。ちいちゃい兄ちゃんはいまいちだけど」
 絶対身体測定能力者の若者の声だ。
 藤見は立ち上がった。
 部屋の中に会議用の長机が並べられ、四、五人ずつ座ったいくつかの島が出来ていた。モニターの前に、見知った顔の並んだ島があった。
 ラーメン屋の店主を始めとする、追いかけ回してくれた奴らだ。藤見の顔を見た瞬間の格好のまま止まっている。
「て」
 てめえらと藤見は声を出そうとしたのだが、うまく音声にならない。言葉がのどにつかえているかのように詰まってしまう。
 藤見は深呼吸をした。
 そして、ふと思い出した。
「さっきの指名手配の写真、人物の後ろに写っていた『ン』の字は『ラーメン』の『ン』なのか? あの写真はラーメン屋で撮ったもの?」
 誰も答えない。表情の無い顔で藤見を見つめ返すばかりだ。
「最初の佐々間の写真も、実はラーメン屋で撮ったもの?」
 藤見はラーメン屋の店主を見据えて一歩前に出た。
 店主は椅子から飛び上がった。
「はいっ! そうですっ!」
 反射的に怒りそうになったが我慢した。直接ひどい目にあった佐々間が文句を言うべきだろう。藤見は佐々間にゆずるために顔を見た。佐々間はうなずいて、店主のほうへ進み出た。
「なあんだー。じゃー。俺そっくりの指名手配犯がいるわけじゃないんだー」
 え? 違うだろう。佐々間。ここは思いっきり怒るべきだろう。怒っていいだろう。町の連中におもちゃにされたんだぞっ。怒れ! 佐々間あ!
「ええ、そう、そうなんですっ」
「なんだー、最初からいたずらだったのー」
「ええ、でもっ。お客様の安全はちゃんと。ほら、こうやってモニターで確認していたんですっ」
 目をやるとモニターに映る画面がパチパチと切り替わり、藤見と佐々間が通った道が次々と映し出された。店主が手元のスイッチをせわしなくいじっている。ときどき、何人か固まって顔が見える。ここ以外の場所でスタート合図に備えている連中だろう。
 あれ、待てよ。
「こんな装置があるんだったら、あんたはここから動かなくてもなんでもわかるだろう?」
「はいっ」
「なんで街頭テレビのとこに来た?」
「そりゃ、生の迫力にはかないませんからっ」
 なんて悪辣な。藤見は憮然と突っ立った。
「そっかー。ちゃんと安全には気を配ってたんだー」
 佐々間はのほほんと言葉を続ける。
「ええっ。ちゃんと。それに、こちらにもお客様がお逃げになってから、三十分待って探し始めるってルールがあるんですよっ」
「へー、鬼ごっこだねー」
「そうそう。町ぐるみの鬼ごっこだったんです。そ、それにっ。お客様のバイク、こちらで引き取って修理させていただきましたっ」
「バイクもー?」
「はいっ、今すぐ持って来させますっ」
 店主がパチンと指を鳴らすと、端っこに寄っていた町民のひとりが部屋から飛び出していった。
「あー、もう直ってるんだー」
「ええ、ごめんなさいっ。この町、本当にたいくつなもんですから。トロそうな旅人見ると、ついっ、仕掛けちゃうんですよねっ」
「いいよいいよー」
 藤見は黙って佐々間の右手をつかんで上げさせると、自分の右手とパチンと合わせた。そしておもむろに息を吸い込んで、いったん止め、一気にがなりたてた。
「いい加減にしやがれ! たいくつでだと? トロそうだからだと? ふざけんな! 濡れ衣で追い回されるほうの身になってみやがれ!」
「ううんっ、でもっ、追いかけられられたいから、逃げるんじゃありませんっ?」
 ごめんなさい作戦が藤見には通用しないとみたのか、店主は口調を変えて強く迫ってきた。
 藤見はぐっと言葉に詰まる。
「濡れ衣ならどうどうと対決すればいいんですっ」
 店主が語気荒く、藤見に近づいてくる。
「逃げるのはっ」
 店主の指がピシッと鼻先に突きつけられる。
「どうせ言ってもわからんだろうとかっ」
 店主の瞳が見据えてくる。
「自分の運が悪いんだとかっ」
 店主の言葉を受け入れるんだ。そしたら楽になれる。逃げた俺がいけませんでしたと言えば、この追い詰められた状態を消すことができる。
「悲観的な考え方をするから、狩人の嗅覚に引っ掛かって追われるハメになるんですっ」
 はい、と返事をしそうになって、藤見は歯を食いしばった。
 違う。それは違う。
「に」
「なんですかっ?」
「逃げ」
「はあ? 聞こえませんっ」
 だって逃げなかったら、こんな風に責めたてられるじゃないか。だって俺悪くなんかないのに、まるで悪い奴みたいに扱われるじゃないか。だって……。
 佐々間を見た。歩行者の前をかすめてしまったからといって、教習所通りの運転に戻ってしまった佐々間。自分のうわさをされているのが気恥ずかしいからといって、子供に不審に思われるほどうつむいてしまった佐々間。だが、佐々間はそこで止まってはいなかった。
 再びスピードを上げ走り始めた。いや、交通違反になるほどスピードを出してはいかんのだが、この場合は目をつぶろう。
 再び顔を上げた。いや、高笑いまでしてしまったのはやりすぎだが、この場合は不問に付す。
 藤見は店主に指をさし返した。
「狩人の嗅覚だあ? ただ言いがかりふっかけて遊んでいるだけじゃないか! 俺は断じて追いかけられたいわけじゃない!」
 藤見に睨まれた店主は、三つ編みの先をいじりながら、ふてぶてしく見返してくる。
「まーまー。もうー、いいよー」
 佐々間が割って入ってきた。
「いんや、まだだ。まだ、こいつにはわかってない。またカモになりそうな旅人が来たらやるに決まってる」
「そんなことはないですっ。反省してますっ。もうしませんっ」
「さっき凄んだだろ? もうぶりっ子はきかないって」
 店主は口をとんがらせた。
「じゃあ、どうすればいいんですかっ」
「お尻ペンペン百回!」
「ひえっ、そんなことされたら座れなくなっちゃいますっ」
「自業自得だ。覚悟!」
 藤見が店主に手を伸ばそうとすると、店主はするっと体をかわして逃げだした。
 モニター横の出口に向かって店主は走っていく。小柄な体によく似合うアスリートの走り方だった。
 藤見は椅子を蹴散らしながら追いすがる。
 店主がモニターの横にあったドアを開けて出ていく。あとに続くともう外だった。
 店主はバイクにまたがって発進していく。丼を積むためのリフトが揺れていた。スタートダッシュの速さからみて、ただの配達用バイクではなさそうだ。
 藤見はあたりを見回した。
 藤見のバイクが出口の横に停めてあった。隣には佐々間のバイクが並んでいる。
「わあ。きれいに修理されてるー」
 佐々間はバイクをざっと点検すると感嘆の声をあげた。
「もー、いいよー」
 バイクにまたがりながら、佐々間が間延びした声をかけてくる。
「いんや、叩いてやる!」
 藤見からバイクで逃げようなんて無謀というものだ。
 店主のバイクのお尻に向かって藤見は発進した。

          終わり