矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

コッダとシダミハ(10枚)

 山の斜面に洞窟が口を開けています。中から一陣の風が飛び出してきました。風は地面にぶつかり渦巻きました。巻き込まれた枯葉はカサコソと音を立てます。
 枯葉がハラハラと地面に落ちました。渦の中心だったところに、子どもが立っていました。白い半袖のシャツと半ズボンを身につけています。
 洞窟から次々と風が出てきて、木々の間に降りていき、子どもの姿になっていきます。子どもは木の枝を拾って裸の木に立てかけます。枯葉に息を吹きかけて板にして、枝と枝の間を塞ぎます。ねぐらが出来ていきます。しばらくすると山の斜面の木の根元は、ねぐらで埋め尽くされました。山の斜面に集落が出来たのです。
 子どもの一人、コッダは自分の手を目の前に持ち上げました。細くて頼りない感じがします。まだ充分な『冷たさ』がないようです。薄い青色の空を見上げました。お日さまが山に隠れるところです。お日さまが入る場所は季節が冬になったことを示しています。
 きっと今年は暖かい冬なのです。雪さえ降ってくれれば、たくさんの『冷たさ』を集めることが出来るのですが、今年は見込めないかも知れません。『冷たさ』が溜まるところを探して、たんねんに集めていくしかないでしょう。夏を越せるだけの『冷たさ』が集まるといいのですが。
 
 コッダは朝霜からの収穫を終え、チームの仲間と一緒に集落に戻ろうとしていました。
 踏み分けられて広くなった山道の脇に、誰かが倒れていました。『冷たさ』が足りなくて弱っているのでしょう。目をさまよわせて倒れている誰かの連れを探しました。
 『冷たさ』集めは何人かでチームを組んで行います。そのうちチームの仲間が助け起こしに来るはずです。
 ところが誰も近寄りません。
 その子のそばまで来ました。
 その子は仰向けになったまま、ピクリとも動きません。手足は細くて今にも折れそうです。顔は、何冬か前、同じチームで働いたことのあるシダミハによく似ています。
 足を止めました。
 仲間たちはチラッとその子のほうへ視線を投げると、黙って通り過ぎて行きます。あわてて仲間と一緒に歩き出しました。
 『冷たさ』が足りないとはいっても今は冬です。そう簡単に消えはしません。コッダが声をかけなくても大丈夫でしょう。
 では、誰が?
 振り返りました。後ろに続くものたちも避けていくだけです。
 コッダは収穫の袋を仲間に預け、引き返しました。ひざを抱えて座り込みます。倒れている子の顔をじっと見つめます。
 やはりシダミハです。
 同じチームに居たときは、ケンカっぱやい性格のせいで、みんなから煙たがられていました。やがて自分から出て行きました。
 たいして広くもない集落ですから、シダミハのうわさは耳に入ります。どこかのチームに入ってはリーダーとケンカして飛び出す、ということを繰り返しているようです。今年は一緒に組もうと言ってくる相手すら、いなかったに違いありません。
 シダミハなら放っておこう。だって、自分から飛び出していくんだもの。
 コッダはひざを伸ばしかけました。
 自分から飛び出していく?
 何かが記憶の底にひっかかりました。
 一緒のチームにいたときのことです。
 蔵に貯めた『冷たさ』の周りに、みんなが集まっていました。収穫の袋がちょうど頭数で割れる数になってから、チームリーダーが分配する決まりになっていました。
 袋を入れた箱を開けると、いくつかの袋の口がほどけていました。口を締めた誰かが息を吹きかけ忘れたために、緩んでしまったのでしょう。圧縮して固めてあった『冷たさ』が、空気に触れて消えてしまっていました。箱を取り囲み「誰が口を縛ったんだ」と言い合う中、シダミハが輪をはずれていきました。
「おまえか!」
 リーダーはシダミハを殴りつけました。
 シダミハは謝りませんでした。抵抗もしませんでした。黙って殴られていました。
 コッダは泣きながら震えていました。みんなの怒りを目の当たりにしては「コッダがやった」とは言い出せなかったのです。
 コッダは意気地がありませんでした。でも、今、シダミハを助けることは出来ます。
 コッダはシダミハの上にかぶさるようにして座りました。
 シダミハは飛び起きました。弱っているはずなのに、すばやい動きでひざを抱えて丸まります。コッダは目を合わせました。
「シダミハ」
 名前を呼ばれて驚いたのか、目が見開かれました。コッダの顔を見返してきます。
「コッダ?」
「そう。一人?」
「ああ」
「空いてない? お腹」
「からっぽ」
 コッダは声を上げて笑いました。よほどお腹が減っているのでしょう。こんなに素直に返事をするシダミハではなかったはずです。
「じゃあ、分ける。おいで」
 手で袋の形を作ってみせました。
「なんで?」
 返事に詰まりました。やはり、シダミハとはまっすぐ話せません。
 この場合「なんで?」ってどういう意味?
 しばらく考えてから「なんでくれるの?」だということに気がつきました。
「もう、覚えてないかもしれないけど」
 なにせ昔のことです。さっきまでコッダだって忘れていました。
「シダミハはコッダが間違えて『冷たさ』を逃がしてしまったときに、コッダの代わりにチームのみんなから、ひどく怒られたことがあるんだ。そのお礼」
 シダミハは目をぐるぐる回してから宙をにらみつけました。しばらくうなるような声を上げていました。やがて口を開きました。
「あれは」
 シダミハはコッダから顔を背けます。
「やっちまったことはしょうがないから、犯人探しなんてくだらないと思っただけで。コッダがやったとは知らなかった。否定しなかったのは、すぐ犯人って決めつけるような奴に言い訳するのが面倒だっただけで。別におまえの代わりになろうとしたんじゃない」
 誤解されたのが心外だとでもいうように、強い口調で言い返してきました。
「なんだ。そうだったの」
 あまりの正直さに、コッダはくすくすと笑いました。こちらが勝手に恩を感じているのです。そのまま誤解させておけばいいものを、わざわざ違うと言ってくるところがシダミハらしいと思いました。
「こうして道端に転がっているのは自業自得。『冷たさ』を恵んでもらってまで元気になりたいとは思わない」
 シダミハはひざに巻きつけた腕を、さらに深く交差させました。ひときわ小さくなったように見えました。
「恵むなんて。いつか返してくれれば」
「返せるあてはない」
 シダミハは強いまなざしで見すえてきます。
「みんなとうまくやれない。『冷たさ』を集められない」
「でも」
「誰もシダミハに分ける必要はない。シダミハのせいなんだから」
 一歩も譲ってくれそうにありません。シダミハに『冷たさ』を分けるのは、谷の奥の亀裂に潜む『冷たさ』を取ってくるよりも、むずかしいことと思えました。
 でも、このまま放っておいて、万が一、シダミハが消えてしまったら、きっとコッダはしたたか悔やむでしょう。
「昔のよしみでさ」
「おまえには関係ない。ほっといてくれ」
「関係なくない」
「なんで?」
「コッダが寂しいから」
「分けたらコッダだってやばいだろ?」
「うん。やばい。だから一緒に助かろう。シダミハだけ消えたら不公平だ」
「そんなことない。関係ない」
「コッダがあるって言ってるんだからあるんだ。勝手に関わり切るな」
「え?」
「知らない?」
「え?」
「関係ってのは、シダミハのほうから切っただけじゃ、切れたことになんないんだよ? コッダもちゃんとわかったって言わないとダメなんだよ?」
 シダミハはとても珍しいものでもあるかのように、コッダの顔を見つめてきます。
「え? え? そ、そうなの?」
 シダミハはかすれた声で訊いてきます。きょとんとしたまなざしで首をかしげ、素直に言葉を返してくるシダミハを見て、コッダはぎゅうっと抱きしめたくなりました。
「うん。そうだよ。コッダだけじゃないよ。ほかのチームにだって、シダミハのこと気にしている奴がいるかもしれないよ?」
「気にしてる奴?」
「いるかもしれない。いないかもしれない」
「そうか」
「とにかく、今は、うちにおいで」
 コッダは手を差し伸べました。
 シダミハも手を出してきました。
 風がからまりながら流れていきます。