矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

呼び合う二人(14枚)

 俺は元旦の昼近くになって初詣に出かけた。近所にわりと有名な神社がある。行ってみると、境内に続く道にお参りの列が出来ていた。
 まだ人はけっこう多い。憮然として列の後ろにつく。しばらく歩くと後ろがふさがった。
 人と人の狭い隙間を縫って、珍しい光景が俺の目に飛び込んできた。
 ペットボトルを小さな手がつかんでいる。ペットボトルは前後に揺れている。ふたがない。隣の女性は着物姿だ。中身が今にも着物にかかりそうだ。
 俺は人込みをかき分けた。着飾った男女が迷惑そうな目を向けてくる。かまわず押し退けて進む。ペットボトルと着物の間に体を割り込ませる。とたんに俺のズボンにジュースがぶちまけられた。予想外の冷たさに俺のナニが縮み上がった。前をおさえてかがんだ。
「すみません!」
 謝ってきたのは女性のほうだ。
 子どもは中身のなくなったペットボトルを放りだし、大人に手を引かれて先に進んでしまった。ペットボトルは踏みつぶされて、たちまちどこかに行ってしまう。
「こっちへ」
 女性は俺の肩を抱いて、人の流れに乗りながら列の外側に向かう。境内に続く行列が右に折れている。女性は徐々に角度を変えてまっすぐに進む。ようやく列からはずれた。朱色の三角錐を越えて境内を迂回する道に出る。あらためて女性と向き合う。
 俺の目をのぞきこむまっすぐな瞳に吸い寄せられる。形の整った細い眉、丸まってるけど小さいから可愛い鼻、小ぶりながら肉厚の唇、極めつけはピーナツ型の小顔だ。高く結った髪にはもじゃもじゃとカラフルな飾りが載り、下ろした前髪は眉に沿って切られているもののどことなくバラバラになっている。普段は自由に遊ばせている長髪を着物に合わせて無理にまとめているんだろう。
 首は細く。ハッと気づいてうつむいた。こんなにじろじろ見ていたら下心丸出しだ。
「わかりやすいひと」
 女性の笑い声にムッとして顔をあげる。
「見て欲しいからきれいにしているんですからいいんですよ。どうです? 少しはイケてます?」
 ものすごく男に都合のいいセリフをさらっと口にしてくる。
 俺はうなずくのが精一杯だ。
「でも、これは本物じゃないんです」
 本物じゃない?
「濡れても平気なまがい物。ホントはカレシと来るはずだったんで買っておいたんです。だって普通の着物だと脱いだら着られなくなっちゃうんで」
 脱いだら? なんて大胆なことを。
 いいのか、そんな個人的な事情を見ず知らずの俺に話して。
 いや、カレシ?
「昨日別れちゃったんですけど、せっかく着物を用意したからもったいなくて。一人で来たんです」
「奇遇だね。俺も昨日カノジョに振られたんで、縁結びの神様にお願いしようと一人で来たんだよ」
「声も素敵」
 彼女の瞳にハートマークが見えたような気がする。
 変だ。絶対変だ。
 ようやく俺は疑った。
 さっき会ったばかりのそこそこイケてる女性が、こんなにノリノリでアプローチしてくるわけないじゃないか。
 新手のデート商法かなんかか?
 女性はこめかみを押さえた。
「内容はわかりませんが、なんか疑ってます?」
 俺はカクカクとうなずいた。
「私の着物を救おうと駆けつけて来てくださった方に、好意的では変ですか?」
 女性は俺の股を指さした。ジュースが染みて股間がびしょ濡れだ。急いでコートを脱いで下半身に巻き付けた。
「よかったら、洗濯させていただけません? このままでは申し訳ないんで」
「あ、それなら、俺、コインランドリーを知ってる。近くだけど一緒に行く?」
「ええ」
 俺は境内を迂回する道をたどって女性を案内した。
 
 コインランドリーは神社から駅への通り道に面している。初詣帰りの人々が三々五々と帰っていくのを眺めながら、俺と彼女はベンチに並んで腰かけた。 
 姫はじめのチャンスが、向こうから飛び込んできている。これを逃がしては男がすたる。いや、別にずっとつきあえるんならすたってもいいけど。
 彼女のほうへ視線を送る。
 実は彼女を見ていると立ちそうで、すごく困っていたりする。ズボンとパンツは洗濯機の中だ。セーターの下はすっぽんぽんで、下半身に巻いたコートの下でおっ立ててるなんて、他人に見られたら確実に変態呼ばわりだ。
 何台か並んだ洗濯機の中で、一台だけが音を立てている。サッシに遮られて風が入らないだけで暖房はない。寒いはずなのに体の中に熱源でもあるみたいに熱かった。ほんのりと彼女の香りがただよってきて、呼吸が心持ち荒くなる。
 手が額に触れた。
「熱があるんじゃないですか?」
 彼女の顔が近づいてくる。そんなことをされたら、もっと熱が上がってしまう。
「ど、どうして、俺のことわかるの?」
 彼女の手から逃れる。
「ほっぺを赤くして息が上がってれば、熱があるんじゃないかって誰でも思いますって」
「いや、これは別のことを考えていたからで」
 股間でしこってるものをどうしたらいいか、なんて考えてたからだ。
「別のこと? ああ、つらいときにはいいですよね」
 どういうわけだか、彼女には俺の考えることが筒抜けになってしまう。あきらめ半分、あきれ半分で答えた。
「いい?」
「ええ、どうしてもつらいときには使ったほうがすっきりします」
「いや、でも一人で使うのはちょっと」
 彼女が笑った。
「一人じゃ嫌だなんて、子どもみたい」
「大人だから一人じゃ嫌なんだ」
「そんなものですか?」
「一人だと、こう、不安なんだ」
「ああ、使ったら死んじゃうんじゃないかとか思って?」
 ナニをしごいたからって死にはしないけど、そんな気がするほどイイときはある。なんて考えた。股間のモノはすっかり大きくなってしまっている。
「死んじゃうとはまでは思わないけど」
「でも、体、つらいんでしょう?」
「うん」
「だったら一人でも使ったほうが楽になりますよ?」
「楽になる?」
「ええ、リラックスできるっていうか、開放されたような気になります。使うと」
「でも、ほら、使えばいいってわけじゃないじゃない。一人で使うにしたって、効果的に使うためには用意するものもあるわけだし」
 女性にはマスターベーションのためのオカズなんてあるんだろうか。
「どれでも大差ないと思いますけど」
 どうやらあるらしい。
「いや、相性があるよ」
「それはそうですね」
「君も使いたいと思うときあるの?」
「それは、もちろん」
「一人で使うより、二人のほうが、なんていうか。そう、気持ちがね。あったかくなると思う」
 彼女は小首を傾げた。
「あ、そうか。病気のときは誰かに居てほしいって私も思います」
「病気じゃなくて、別のことだってば」
「お薬のこと」「セックスのこと」
 二人でデュエットしてしまった。
「薬品で熱を下げるって話じゃ」
「今夜は二人でしっぽりなんて」
 言ってしまってから口を結んだ。彼女が薬の話をしていたつもりだったんなら、こっちが考えてたことなんか黙っとけばよかった。
 彼女は耳まで真っ赤になって唇を噛みしめている。
 これじゃ、わざわざ自分から振られにいくようなもんだ。
 俺は視線を逸らした。
 彼女が座っていた側が寒くなる。入り口のサッシが開く音がする。
「あんた、ちょっと」
 甲高い声が響いた。顔を上げると、外で彼女が親子連れに呼び止められていた。子どものほうはさっきジュースを俺に引っかけていった生意気なガキだ。
「あんたの彼氏に突き飛ばされてジュースをこぼしたって、うちの子言ってるんだけど?」
「お子さんが! 中身の入ったペットボトルを人込みで振り回したから、ジュースがこぼれたんでしょう」
 彼女は頭を横に振りながら、事実をありのまま言うときの率直さで答えた。
「まああああ、開き直るの! 交番に訴えます。住所氏名年齢職業を言いなさい!」
 懸賞の応募か。
「なんの罪で?」
「暴行罪」
「わかりました。受けて立ちましょう。住所は」
 俺は憤然と立ち上がった。彼女に住所を言わせるわけにはいかない。相手が訴えようとしているのは、この俺だ。
「おばちゃん。訴えるんなら俺だろう」
 声をかけると親子も彼女も、俺のほうを見たまま止まった。やはりこういうときは男が出ていってバシっと言ってやるのが一番いい。
「そっちがそうくるなら、こっちからもクリーニング代を請求しますから覚悟しといてください」
 ズボンの、と話を続けようとして下半身を意識した。
 すーっと股間を風が抜けていく。しまった。コートを置いてきた。
 現行犯を見つけたときは、一般市民にも逮捕権があったな、確か。頭のどこかが醒めていて、そんな知識を拾った。
 今すぐ逮捕されてしまう。
 猥褻物陳列罪を、現在進行中だ。
 俺はコインランドリーの中に戻り洗濯機を開けた。脱水中だったようで勢いよくドラムが回っている。コートを拾って着る。革靴と靴下の上はすね毛というみっともない格好になったがやむを得ない。ようやく回転の落ちたドラムからズボンとパンツを拾った。濡れるのもかまわず肩に担いだ。サッシを開けて外に出ると、三人を避けて初詣帰りの列を突っ切った。
 後ろから彼女がついてきた。
 なぜ? 
「わからないんですけど」
 また、声にしていないのに正確に答えてくる。
「あなたのすることや、考えていること、よくわかるんです」
 それで?
「もしかすると、こんな相手にはそうそうめぐり合えないんじゃないかって思って」
 俺は彼女の手を握って、早足で路地に逃げ込んだ。住宅街に入ってしまえば、逃げ道はいくらでも思いつける。
 しばらく無言で走る。コインランドリーからだいぶ離れた。親子連れが追ってくる気配はない。俺は歩調をゆるめた。
「私ね。運命の相手がいるらしいんです」
 彼女が息を整えながらきりだした。
 運命の相手?
出生前診断って知ってます?」
「ああ、俺も受けたそうだから」
「ホントですか? すごく珍しいことだって聞いてますけど」
「ホントだよ。すごく珍しい遺伝子を持っているって言われたそうだ」
「私もです。普通は二重らせんになるところなのに、別の形をしていたそうで」
「そうそう、今でも年に一度は医者で検査される」
「私も呼ばれます。健康診断とかいってあれこれ検査されます」
「何かのときの保険になると思って協力してるけど。面倒」
「面倒ですよね。それで、この遺伝子に意味があるとすれば、たぶん、相性のいい形があるはずだって言うんです。お医者さんが。笑いながらですけど」
「俺のほうは首をかしげるばかりで、別になにも言われてない」
「どんな形なんですか?」
「棒だそうだ。君は?」
「丸ですって」
 そういうことか。
 思わず手を打った。
 彼女は小首をかしげて目を見開いている。どうやらピンと来なかったらしい。
「何かわかりました?」
 丸に棒を通すしぐさが何を表すのか。彼女にどう説明したらいいだろう。
 
                 おわり