矢車通り~オリジナル小説~

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拍手の向こう側(13)

浦戸シュウ小説目次

「拍手の向こう側」目次
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         13
 
 美園は指先で長机をトントンと叩いた。どうも落ち着かず足の爪先を上げてみたり、肩を回してみたりしてしまう。壁にかかった時計を見上げると、三時三十五分を指していた。もうそろそろ鹿山かこが到着するはずだ。唇を噛みしめて部室の入り口に目を凝らす。
 部員たちが全員揃って長机を囲んでいる。不気味なほど静かだ。みんな手を前に揃えて握りしめている。
「ねえ」
 まみが大きな声を上げた。
「練習を見にくるって、なんで?」
「私が、先生のおっしゃることをうまく呑み込めないので、直接、お話したいということなのですが」
 美園は声が震えた。今まで、どんなときにもこんな状態になったことはない。台本が欲しいと切実に思った。これからのやりとりでどんなことを言われるのか、台本があってわかっていれば的確に演じる自信がある。台本ほど書き込まれていなくても、どういうシーンなのかわかっていれば、大きくははずさずに返事をする自信もある。
 でも、残念ながら、今、台本は無いのだ。
「上演許可願に返事が来るっていうだけでも、あたしなんかびっくりなのに。先生が訪ねてくるなんて、もう、なんか、ぜんぜん信じられない。美園、手紙出すとこ間違えたんじゃない? 誰かにからかわれてるんだよ。きっと」
「そんなはずはありません。それに絵を描いて見せてもらえば、本物かどうかはすぐわかりますよ」
「本物だったら失礼だから、頼まなくていいからねー」
「え?」
 メモを取ろうとした美園の手が止まった。これで、先生に聞く事柄が出来たとホッとしていたのに取り下げられてしまった。まみに恨みがましい目を向ける。
「どうにも怪しかったら、そのときは、また考えるけど。美園はちゃんと連絡したんでしょ? だったら、それでいいのよ。信用してるよ。でも、あんまり、突飛なことが起こるから、現実感が無いだけ」
「まあ。鹿山先生は『びっくり箱』と言われたひとだから」
 だうらが口を挟んできた。調べ物が得意で、いろいろなデータを集めている男子生徒だ。本名は田浦なのだが、インターネットからダウンロードをしていることが多いので『だうら』と呼ばれている。
「じゃあ。今日も、驚くようなことばかりされるかも知れませんね」
 美園は両手を握りしめた。
 ドアが開いた。野川先生が入ってきて立ち止まり横にどいた。
 ストレートの長い黒髪を揺らして、小顔のきれいな女性が入ってきた。美園を認めて艶然と微笑んでくる。
 美園は反射的に立ち上がった。ガタガタと音が聞こえてきたが、ぼんやりと聞こえているだけで、意識は女性の目に吸いよせられてしまう。前に出て机の前に立つと、自然とまっすぐになった。背骨に定規でも差し込まれたみたいに動きが硬い。力の入った腕や足の筋肉がくすぐったくて気持ち悪い。リラックスしようと思うのだがうまくいかない。みんなが動く気配は感じるのだが、強張っていて首ひとつ回せない。
「初めまして。鹿山かこです」
 思いがけず高い声が聞こえてきた。メールの様子からすると、男のような野太い声ではないかと思っていた。メールの内容と声の質は関係ないのに、そこに思い至らなかったのが歯がゆい。美園はうろたえた。
「は、は、初めまして。倉崎美園です」
 腰から折ろうとするのだが曲がらない。頭だけぴょこんと下げるような会釈になった。
 かこが眉間に眉を寄せた。顔を横に向けて、いぶかしげに横目で見てくる。ふっとかこが走り出した。目で追おうとするのだが、体が思うように動かずついていけない。
「なみっち、なりん、りの、こさく、だうら、まみ、角浜、海、ルイ、美園」
 背中をドンとどやされて、ようやく力が抜けてくれた。かこのほうを向くと、ほかのみんなが一直線に並んでいるのが見えた。
 あれ?
 今、全員の名前を呼ばれなかったか?
 記憶をさぐった。写真は送ったが名前は記していない。野川先生から聞いたのかも知れないが、さっき聞いたばかりで、もう間違えずに呼べるのだろうか?
「私のマンガを舞台化してくれてありがとう。すげー嬉しい。マンガを芝居にするの、むずかしいだろうけど、自由にいろいろ考えて、楽しくやってね」
 みんなの背中がだらっと崩れた。列がばらけてかこのほうへ向く。
「なんだあ。鹿山先生、怒ってるんじゃないのー?」
 まみがすっかりいつもの調子を取り戻している。
「怒ってるー? まっさかあ」
 かこが同じ調子で返している。
 美園は名前のことを聞きたかったが、どうもそういう雰囲気ではない。様子を見ることにした。
「だってー、鹿山先生、台本が気に入らないから、直接、指導に来るって。いったいどんな指導なんだよって、みんな、ビビってたんだよー」
「ビビることないよー。舞台にするためのアイデアを一緒に考えようと思って来たんだよ。あ、でも、私がここに来てることは、ほかの人には内緒にしといてね。一応、私、有名人だからさあ。なんか、思いがけない騒ぎになったりすると困るんだ。よろしくね」
「んー。オッケー」
「それじゃ、みんな座って座って」
 かこを中心にして、長机を囲んだ。全員が座ると、かこがメモの束を出してきた。
「今の台本でも決して悪くはない。ただ、私の作品はギャグもウリなんで、掛け合いがなかったら面白さは半減しちゃうんだよね。そんで、まあ、もうちょっとお互いが関わり合うような台本にしてもらいたいわけ」
「はい……」
 傷つけないよう気をつけてくれてるのがありありとわかる。美園は恐縮してか細い返事をした。
「なんだか、いろいろ考えなくてはならないことがあって混乱しているようなんで、まず、話の筋を整理しよう。この話は、事件が起こる、被害がひどくなる、神父が乗りだす、事件が解決する、と、この四段階でできてる。ぶっちゃけ、四シーンで構成しても問題ない。出てくるキャラクターは、最低、神父、尼僧、被害者五人、加害者三人でいける。そこでみんなに聞きたいんだけど。みんな、どんな役やりたいの?」
 かこが美園に顔を向けて聞いてくる。何も思いつかない。「え?」と言ったきり、美園は黙ってしまった。
「あたしはシスター」
 まみが場をひったくるように叫んだ。衣装同好会のメンバーがそれぞれ自分のやりたい役を口にする。一拍遅れて、角浜が「神父」とつぶやいた。
「ルイは?」
 かこが促した。
「あたしは自分じゃない何かになれれば、なんでもいいんです」
「海は?」
「僕はみんなと一緒にやれるのが重要なんで。役はなんでもいいです」
「美園は?」
「どんな役でもやります」
「ホントー? ホントは、これやりたいって役、あるんじゃないの? やりたいんならシスター役に立候補したっていいんだよ?」
 慣れた芝居の話が続いて、だんだん美園は落ち着いてきた。
「シスターは、お色気がないと無理ですから、私にはできません。あえて、やりたい役ということなら、悪役がいいです。思い切ってやれそうです」
「ほほう。じゃあ。男一人女二人の悪人チームにしよっか。どんな悪役がいい? 知能犯とか、確信犯とか、単純に粗暴な奴とか」
「あ、あの。原作からズレていますが。そんなに自由に作ってしまっていいんでしょうか?」
 あまりの自由さにあきれて、つい、聞き返してしまった。
「当たり前じゃない。原作者は私なんだから」
 ああ、そうだ。
 誰よりも作品を良く知っている人、キャラクターを良く知っている人、面白い台本をまとめられる人がここに居るんだ。
 そんな相手に『自由に作ってしまっていいのか』なんて、ボケたことを聞いたものだ。美園は自嘲したくなった。
 いや、今は、そんなことより大事なことがある。
 美園はかこのほうを見た。
 かこ以上にうまく台本を書ける人間はいない。できれば書いてもらいたい。
 図々しい考えだということはわかっていた。でも、こうして見に来てくれている。こちらの状況もつかんでくれている。
 もしかすると、可能性があるかも知れない。
 祈るような期待を込めて、かこを見つめ続けた。
 ほどなくかこがホッとため息をついた。
「わかったわかった。私が台本を書いてくるよ。それをたたき台にして、みんなでやりやすいように変えていこう」
 「ひゃっほー」「すげー」「やりー」といった衣装同好会の歓声が部室中に響いた。
 「やった」と思ったとたんに、美園は緊張してきた。これで失敗するようなら演出の責任だ。面白い芝居にするんだ。決意を新たにする。
「じゃあ、みんな、その役のセリフ、ちょっと言ってみて」
「はあい」
 部員たちが立ち上がると、野川先生が手を振って出て行った。
 かこが野川先生の後ろ姿を見送っている。美園はもしかするとと思ったが、野川先生とかこはさっき会ったばかりのはずだ。
 まさかね。
 美園は自分の考えを打ち消しながら、かこに笑顔を向けた。