お・い・で
息子よ。
君をそう呼んでも構わないだろうか。
私は今までずっと楽しく暮らしてきた。例えば、草を掻き分けて坂を登る。小高い丘を登りきると、急に視界が開けてくる。右手には大きな平原が、左手には小川が流れている。水面をのぞけば、岩魚が泳いでいる。そうっと両手を広げて、水の中に、手を入れる。冷たく、無抵抗で、それでいて手答えのある感触が手を包む。
平原のほうへ足を向けると、かすかな風が頬に当たる。香りが漂ってくる。ところどころに生えた木から、甘酸っぱい匂いがするのだ。風がざざっと木をかき分ける。驚いて見つめると風が草をなぎ倒し、素早く通り過ぎていく。
私の仕事は衣服のデザインだった。この中ではあまり種類は増やせないが、同じ服でも、少しの工夫で個性が出せるように考えるのは楽しかった。君もいつか着てみるといい。J−237が、私のデザインだ。
宇宙船地球号といにしえの人は言った。この船はまさしく地球そのままの環境を積み込んでいるし、目的地までの300年間を物質の補給なしで飛び続けるように設計されている。でも、どこかで計算が間違ってしまったんだ。もう3年も飛べば目的地には着くはずなんだが、食料が一人分足りないんだよ。どう計算しても。何千回も計算したはずなのに、産児制限もキチンと守ってきたのに、こんなことになる。
一ヵ月後に君が産まれるというのに、どうしても足りないのなら、私に出来ることは?
ここ二百年くらい、自殺者は出ていない。
歴史上死んでいった、何十億の人々の中で、私はなんと恵まれているのだろう。私は自分が何のために死ぬのかよく知っている。
産まれておいで。世界は君のものだ。