矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

仲間探し

 ドアを開けようとした、おれの手が止まった。
「順調です。医者の手が必要な出産なんて7人に1人なんですよ。6人は医者なんていなくても平気なんです。女性はつくづく丈夫だと思いますよ。出産に耐えられるんですから。男だったらショック死しかねませんよ」
 おれの顔から血の気が引いていった。おれは雄介の顔を見た。雄介は目を逸らした。ドアが開いた。恰幅のいい医師が出てきた。おれと雄介は軽く会釈した。病室に入った。久美子はにこやかに腹をなでている。腹の中でもぞもぞと動くものがあるのをおれは感じていた。
「もう陣痛が始まったの。あと10時間くらいで産まれるんだって。楽しみね」久美子は長い髪を三つ編みにまとめ、細面の顔をかしげた。細い目と眉は目じりが下がり、薄い唇は穏やかに持ち上がり、母親の貫禄を見せている。
「いいか?」おれの問いに久美子は答えた。
「どうぞ」
おれは久美子と意識を重ねて見た。
 おれの目には背の高い二人組の男が映った。一人はオールバックの髪型で、背広をきちんと着ている中肉のサラリーマン風、有田雄介だ。顔は浅黒い。引き締まった細い頬に、分厚い唇と丸い鼻が目立つ。もう1人はジーンズにトレーナーを着て、ほとんど骨のような体に、骸骨のような顔が乗っている。おれは自分の顔を何度見ても好きになれない。なんでこうかまきりに似ているのだろう。ゆっくりと久美子の意識から離れていく。思考を分離し、味覚、嗅覚、視覚、聴覚を切り離す。あとは触覚を切れれば元の二人に戻ることが出来る。数分の格闘ののち中止した。
「さっき医者が言ってたことだけど……」
「男は出産しないから、軽口たたいただけよ。死にゃしないって」
「雄介、おれも入院する」
産婦人科にどうやって?」
「なんとかしろ。それぞれの病室が分娩室になるようになっているんだ。場所さえあれば金でねじこめるんじゃないか?」
「いつも佐治が嫌がるやり方じゃないか」
「死にそうだとなれば話は別だ」
「おまえなー」
「死なない保障ができるのか?」
「しょうがないな」雄介はためいきを残して出て行った。
 おれは室内を見回した。高級ホテルの一室のような調度品が揃っている。広さは10畳ほどだろうか。その時が来れば分娩台になるベットと、見舞い客をもてなすための応接セット。洋服ダンスと簡易キッチン。通常の入院費用の三倍かかると聞いている。雄介のような財産家には痛くもないだろうが。
 結局、おれには付き添い待機用の部屋として、久美子の部屋から二部屋離れた場所があてがわれた。隣の部屋は雄介本人が確保した。
 無用な消耗を避けるため、おれは自分の部屋に閉じこもった。ベットに寝転がって本でも読もうと思っていたのだが、10分ごとに腹が収縮して集中できない。あきらめて、体の内側に意識を向けた。手の内側が熱くなった。体温よりも少し高い温度だ。久美子はお茶を飲んでいるらしい。歩くときに足の裏に当たるものを普段は意識しないように、久美子の触覚とつながったままでも困ることは無い。つま先をぶつけたり、指先を包丁で切ったりしたときに、原因不明の痛みに襲われる程度のことだ。
 久美子との出会いは一年前。自分以外のテレパシストに初めて遭遇し、深く融合した。自分と久美子の区別がつかなくなるほどに。そのあとおれは雄介とめぐりあった。雄介は金持ちでテレポーターで仲間を探していた。おれは興信所を経営していた。実際に尾行しなくても、思考パターンさえ覚えれば一日の行動を追うことが出来る。一人では到底こなしきれない注文を引き受けていた。そこを雄介に怪しまれたのだ。
 久美子と雄介がくっついて、おれは二人から離れようとした。できなかった。日本のどこにいても、久美子と触覚を切り離せないのだ。
 ある日、体の中に動くものを感じて、おれは久美子の妊娠を知った。
 おれは久美子にとって、肉親以上に近い存在であることを納得した。
 おれは久美子と雄介の側に帰ってきた。
 
 腹が絞られていく。痛い。骨盤から背骨にかけて、激痛が走る。陣痛の感覚は5分毎になっている。久美子に付き添っている助産婦の意識を読む。あと3時間くらいで産まれるだろうと予想していた。おれはのたうち回った。腹の子供はいるような気がするだけで、おれの腹にいるわけではない。この痛みから逃れるためなら、なんでもする。おれはベットから下りて、壁をがんがん叩いた。雄介の部屋のほうにすることは忘れなかった。こぶしが痛くなると、腹の痛みは忘れられた。
 雄介がふいに真横に現れた。おれのこぶしをつかむ。雄介は久美子の側にいるはずではなかったのか。
「やめろ。おまえが手をぶつければ、久美子の手が痛む。来い」
雄介はおれをベットに引きずっていった。おれをあおむけに寝かせ、分娩台に変形させる。手はしっかりとベットの柵をつかみ、体は45度の角度に保たれる。足は大きく開き、足の裏を踏ん張れるように受けが付いている。
「……みっともない」つぶやくと、雄介に睨まれた。
「子供が無事に産まれるまでは我慢しろ。いいか、おまえはそんな気がするだけで、子供が産道を通るわけでも、胎盤がはがれて大出血するわけでもないんだ。死にゃしない。だが、久美子は違う。21世紀の科学をもってしても、一万人に一人は産後の肥立ちが悪くて死ぬ女性がいるんだ。女は文字通り命を賭けて子供を産むんだ。わかったか!」
「俳優は熱いと思うだけで、体温を上げることが出来るのを知ってるかい?」
「寒いと思えば、下げられるんだろ」
「りょーかい」おれは反論をあきらめて、出産に集中することにした。雄介はおれに協力するように念を押して、ドアから出て行った。
 背骨が折れるような気がする。皮膚の四分の一が火傷を負ったときと同じ痛みがおれを襲う。脱力感に驚いて久美子の意識を探した。暗い。気を失っている。陣痛の波が来る。久美子の代わりに耐えた。久美子の意識が浮上してくる。短い気絶だ。
「いきみたいでしょうが、もう少し我慢して下さい。子宮口はまだ十分に開いていません」助産婦の声だ。久美子はなんとかうなづいた。子宮が強く収縮する。背骨が痛い。もうなにがなんだかわからない。お腹の中で大きなものが動いた。
「産まれます!」久美子が叫んだ。
「そんなはずは……」助産婦は子宮口を確かめた。
「先生を呼びます。待っててよ」
「はぁ……」久美子はあいまいな返事をした。久美子は初産だ。待てるものなのかどうか、わからないらしい。子供が動く。インターフォンで呼ばれた医師が来た。
「いいわよ。いきんで」
 久美子は腹を絞る。少しづつ子供が動いていく。子宮が開く痛みは体が裂かれるようだ。腹の上部に手のひらが当たる感触がした。久美子の視覚を借りる。助産婦が久美子にまたがり、腹の子を押し出そうとしている。医師の意識を探る。
 (早く出さないと窒息する)医師はそう考えていた。
 おれはベットの柵を握り直した。久美子行くぞ。腹の子を出すんだ。おれは久美子と重なった。腹筋に力を入れて、一緒にいきむ。一度、二度、三度。習った呼吸法に合わせて、腹に力を込める。腹の中から大きなものが抜け落ちた。
「ふにゃー!」と猫の鳴き声のようなかぼそい音がした。子供の第一声だった。
 2時間後。子供を抱いた久美子に会った。後産や子宮口の縫合も痛かったが、一番痛いところを抜けたあとだ。たいしたことはない。
「要領はわかったから、どんどん産むね」久美子は雄介に笑いかけた。能力者同士の子供なら、仲間かもしれないと話しあったことがある。実行するつもりなのだ久美子は。
「付き合ってくれるよね。佐治」
 久美子にほほえまれたおれは、次の出産までに触覚の遮断を会得するぞと心に決めた。