矢車通り~オリジナル小説~

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雪の中で(5枚)

 彼女が住む町は雪が降らないところだった。
 彼女が5歳の年、1月の空に灰のようなものが舞った。灰は羽毛になり積もった。彼女はいつもの遊び場に行った。普段は2、3歳年上の子供に占領されている滑り台に誰もいない。彼女は歓声を上げて走り寄った。階段を上がって滑り下りる。スロープからよじ登りお尻を下にして滑る。スロープの脇をつかんで少しづつ手で登る。どれも年長の子供たちが楽しそうにやっていたことだ。彼女は仲間に入れてもらえない。
「ちびだからな」それが理由だった。幼稚園でも背の順は一番前だ。おかっぱ頭に一重の目、だんごっ鼻に分厚い唇。どれも仲間にしない理由になった。彼女には八歳違いの兄がいた。兄は相手がちびだろうと容赦はしない。近所の悪ガキのほとんどは彼女の兄に「うるさい」と怒鳴られたり、「生意気だ」と締め上げられたりしたことがあった。
 彼女は他の子が自分に近寄りたくないらしいとはわかっている。彼女はいつも1人で遊ぶ。1人はいいが遊び道具が好きなように使えないのは不満だった。
 今日は好きなように遊具を使える。滑り台の踊り場の下には半畳くらいの空き地があった。雪は足先が隠れるくらいに積もっていた。彼女は空き地に入り雪でだんごを作り始めた。二つ重ねて雪だるま。横に並べて雪うさぎ。空き地がいっぱいになるころ、空が暗いと気がついた。
 雪明かりに惑わされて、まだ時間があるような気がしていた。彼女の門限は五時だ。冬は暗くなってすぐ。彼女は立ち上がった。雪は彼女の胸まで積もっている。滑り台の下は雪が降り込まない。彼女が知らないうちにたくさん降ってしまったらしい。五メートルくらい先に雪をかきだして出来た道があった。そこは雪が少なく、その分滑り台の回りにたくさん積もっている。誰かが彼女に気づかず除雪したのだ。
 暗さは増していく。彼女はどこから出ればいいのかわからずにいた。雪の壁に入ってしまったら、抜けられないような気がした。涙がこぼれてきた。大きな泣き声をたてそうになって、彼女は口を押さえた。泣けば兄に怒鳴られる。
「うるせー! ピーピー泣くな!」と座布団を投げつけられる。彼女は泣いてはいけないのだ。
 彼女の回りはしんと静まったままだ。人の気配はしない。自分では出られない。泣くことは出来ない。
 産まれて初めて自分は1人だと思った。なら思い切り泣いてもいいかもしれない。彼女はちょっと泣いてみた。兄は来ない。少しづつ泣き声は大きくなっていった。大粒の涙がぽろぽろこぼれた。彼女は自分の感情を解放した。あとからあとから涙は出る。彼女は目が壊れたと思った。
「どうした、じょうちゃん!」
 ふいに声をかけられて彼女は息を殺した。道に2人、男がいた。雪は男のひざ上までしかない。2人は短いコートと手袋、耳あて、長靴と、雪にふさわしい格好をしていた。2人なら怯えなくてもいいと彼女は思った。兄は他人がいるところで彼女を叩いたりしない。
「出られない」彼女は訴えた。
「入ったところがあるだろう」
「雪が降る前に来た」
「今日はここいらじゃ珍しく、五十センチは降るって……」
もう一人が口をはさんだ。
「こんなちびちゃんじゃ無理だよ」
「親はどうした?」最初の男が聞いた。
「ママは入院してる。パパは仕事。兄ちゃんは出かけた」
「うちには帰れるか」
「ばあちゃんがいる」
「ばあちゃんじゃ、知らせてやっても無理だな。しょうがない」
 最初に声をかけてきた男が、雪をかき分けて彼女に近づいた。
「こりゃ、意外と深いぞ。待ってろよ」
男は彼女のところまで来ると、彼女をひょいと抱き上げた。彼女は男の首にしっかりとしがみついた。男は彼女を抱きしめて雪をかき分けた。
「お姫様の到着」
 彼女は道に下ろされた。自分がいたところを見た。出てこられて安堵した。出てこられて、ほんの少し残念だった。