矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

出会うべくして(11枚)

 俺の名前は鈴木太郎。28歳。独身。オス。第1156回どか食い選手権のチャンピオンだ。今も俺は必死で箸を動かしている。あと少しで皿をからにすることができる。ちらりと向かいの皿を見る。まだ半分も食べてはいない。勝利は目前だ。ラストスパート。俺はすき焼きを腹に収めることだけに意識を集中した。
「太郎さん。聞いてる?」向かいの女性が叩きつけるように話しかけてきた。集中が途切れる。意識がどか食いモードから解放される。そうだ……。今日はフードファイトじゃない。社会人となってから246人目の彼女とデートしていたんだ。3回目のデートにまで発展したというのに、俺はまたやってしまった。
「聞いてるとも。君の友達のお父さんの弟が、アフリカで象の保護をしているという話だろう?」俺は心にひっかかった断片から彼女の話をなんとか類推しようとした。
「違うわ。私の弟の友達のお父さんが、インドで沐浴をしたって話よ」女性は深々とため息をつき、
「あなたの目に私が映ることは永遠にないのね」とつぶやいて席を立った。食べ放題のすき焼き屋の片隅で俺は呆然と女性を見送った。
 特にこれといったウリの無い俺が、生涯の伴侶を手に入れたいと望むのならば、押して押して押しまくるしかない。出会った女性は必ず口説いた。どんな料理も味わううちにおいしくなる。女性だってつき合ううちにうまがあうようになるはずだ……と思う。女性については経験が無いので確信はもてない。楚々とした純日本風美人も、茶髪にミニスカのヤンキーなねえちゃんも、セーラー服の孫ギャルも、そろそろ絶滅種に指定されそうなオバタリアンも、一度食事を一緒にすると俺を振ってしまうのだ。
 3年前にテレビのどか食い番組に出た。見るからに食べそうな恰幅のいい男たちを尻目に、一見ひょろひょろと痩せた俺が優勝をさらった。俺は食べたそばから消化される丈夫な胃と、消化によって生まれたエネルギーを消費する効率のいい褐色細胞を持っている。そのため普段から他人の10倍の食事がいる。いつもは食費がかかるだけの体質だが、どか食い選手権ではそこが認められた。顔立ちは可もなく不可もなく。だが、どか食いでトップになって自信をつけた俺に、女性のほうから言い寄ってくることも多くなった。なのに一緒に食事をしたとたんにふられるという状態だけは変わらない。
 俺は今更ながら女性が自分の勘定分の金銭を置いていかなかったことにきがついた。俺のエンゲル係数は50パーセントを越えていると、彼女は知っているはずなのに。俺は目頭を押さえうつむいた。テーブルに丸いシミが出来た。
 仕事が入った。ケーキの食い放題に挑戦して参加者の中で順位を競うというものだ。最初は審査員をして欲しいと誘われた。無理な話だ。目の前にフードファイトがあるというのに俺がおしゃべりなどしていられるわけがない。ここ2年ほど負け知らずの俺を出しては視聴者の興味が引けない。しかし、俺を避ければチャンピオンの実力をアピールできない。苦肉の策で審査員だったらしい。局の都合など俺の知ったことじゃないが。選手でなければとごねてやったら、しぶしぶ主催者も出場を認めた。俺もえらくなったもんだ。
 会場に着いてみると女性ばかりだった。これでもう俺の勝利は確定したようなものだ。別に偏見はないがこと食べるに関しては男のほうが強い。女性では俺と競うどころか、並の男にだって負ける。もちろん、トップファイブに食い込んでくるからには相当食べるのだろうが、俺が本気を出せば負けるわけがない。
 試合はやるたびに一人が脱落する方式だった。俺は順当に勝ち上がった。
 5日目の最終日、決勝戦はウェディングケーキだった。通常ナイフを入れるところだけが本物であとは張りぼてで済ましてある、あれだ。全部が本物でしかも目の前で食べ尽くすところが見られるとなれば……。この企画は当たると思った。どか食い番組が嫌われるのは、視聴者が見たいものを考えていないからだと常々思っていた。好奇心を刺激される事柄であれば、無駄もまたよしじゃないか?
 となれば、どうしてもこの一戦は取りたい。きっとどか食い史上に残る番組になるはずだ。そのチャンピオンはどうしても欲しい。
 俺はケーキの向こうに座る女性を見た。佐藤花子。敵は長いストレートの髪をかき上げた。細い眉、切れ長の目、こじんまりした鼻。薄い唇が目に入る。あの小さな口でどうやって俺に勝とうというのか。俺は口のでかさを強調すべく、歯茎まで花子に見えるように笑った。
「用意スタート!」
 試合が始まった。俺はひと切れ目のケーキをつかみ、3口で飲み込んだ。3個食べるのに40秒フラット。いける。順調な滑り出しに気をよくして、いつもは気にもとめない対戦相手の動向を見た。花子は平然とついてきていた。いや、リードされているかもしれない。決して速くはない動作だが、確実にケーキが飲み込まれていく。本気でやっても負けるかもしれない。俺は改めてケーキと向かい合った。……かろうじて勝った。

 俺は手で座布団を指した。花子はうつむきかげんでそおっと座った。昨日俺のチャンピオンの座を脅かした女性と同一人物とは、とても思えない奥ゆかしさだ。食べ物にかける情熱が自分と同等、もしくは上と感じる女性には初めて会った。彼女でダメなら一生独身でもやむを得まい。女性ならなんでもいい。向こうから言い寄ってくるなら男性でも……というくらいの渇望が結局縁を切っていたのかもしれない。
 俺は自分の格好を点検した。七三分けの短い髪、八の字の眉、どんぐりのような目、大きな鼻、ぶ厚い唇……。いい男とはとても言えない。だんだん自信が無くなってくる。花子に比べて野暮過ぎる。俺は花子にふさわしい男だろうか。だが、今言わなくては、きっと後悔する。
 花子は初めてこのひとでなくてはならないと感じた相手だ。出来れば一緒の食事は何度も会ってからにしたかった。だが、しょせんどか食い同士。いきなり「ちゃんこ鍋食べ放題」で盛り上がってしまったのは避けられない運命だった。
 2人の前にちゃんこ鍋の材料が運ばれてきた。だしは鶏ガラを使った『ソップ炊き』。たれはごま風味とポン酢の二種類。えび、ほたて、鶏肉、鰯つみれ、ねぎ、白菜、椎茸、春菊。どれも小さめに切ってあるのは、女性が大口を開けなくても食べられるようにと配慮されているから。いつ来てもこの店はいい。お客の立場で接客してくれる。
 鍋の中でだしが煮立ち始めた。まず、ねぎを……。
 花子は正座から立て膝になった。俺に向けられたまなざしはすでに「あこがれのチャンピオン」を見る目ではない。微動だにしない瞳。まばたきすらしない集中度。全国第2位のフードファイター。まさしく昨日の花子だ。
 そのとき俺は自分がふられ続けたわけを理解した。食事をするときは俺もおそらくこんな目をしているのだろう。食べ尽くさずにはいられない。食欲の化身のような目を。
「いただきます」ふたり同時に声を上げた。
 俺と花子はもくもくと食べ続けた。まるで残ることを前提にしているかのような大皿に乗った材料はまたたくまに無くなっていった。3回お代わりを頼んだ。調理場から板前が見物に来た。いつのまにやら見物客が俺たちを取り囲む。
「あのー」遠慮がちな店長の声で我に帰った。食い放題から締め出されては飢え死にしかねない。どか食いは嫌がられない程度に押さえる。それが俺たち、どか食いの、店に対する礼儀だ。
「ごはんにしてください。おじやで締めます」店長は喜んですぐさま引っ込んだ。
 ごはんが出てきた。店員が手際よく鍋に入れる。
「おしまいなのね」花子は肩を落として鍋を見つめた。太郎は苦笑した。
「花子。鍋はいつかは終わらなくては」
「ごはんが煮えましたら、卵を割ってかき混ぜてかけてくださいね」店員が言った。
「ええ、大丈夫です。自分たちでやりますよ」店員はおじぎをして下がっていった。見物客も散っていった。

 ちゃんこの終わった鍋では、おじやが出来ていた。
 俺は覚悟を決めた。花子に向き直って目を見た。
「俺はどか食い以外なんの取り柄もない。職場でなんぞ、このおじやみたいにおまけ扱いだ。あってもいいが無くても誰も困らない。目立たない男だ。花子を幸せにしてやる……とは約束出来ない。細かいことに気が付かないから、家庭でもきっと花子に世話されるばかりだ。おれは不細工だから見てて楽しいってわけにはいかない。おれが約束できるのは、ずーっと、花子だけを好きでいるってことだけだ」
 花子の顔は、真っ赤になってしまった。俺も顔が熱い。鍋ってヤツはあとが熱くて困る。
「それで良かったら、結婚してください!」
 花子はうつむいてしまった。俺はすぐに断られると予測していた。沈黙が続いて混乱した。
(どうして花子は返事をしないのだ)
(おれを傷つけてはいけないとでも思っているんだろうか)
(それとも『図々しい』とでも思っているのかも)
「あっ!」
 俺は焦げつきそうな鍋を見て声をあげた。つられて花子も鍋を見た。
「……いや、その、きみと食べるおじやも最後かもしれないと思うと……おいしいうちに味わいたいと思って」
「太郎さんの食い意地があれば、きっとなにがあっても乗り越えられると思う。私を選んでくれてありがとう」
 花子は小声で言った。俺はおじやを急いですくった。花子のおたまが鍋を襲撃する。俺たちのこれからが始まった。

                      終