矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

ミケにお願い(13枚)

 私立・方丈学園高等学校は夏休みの真っ最中。だが、今は校内を生徒たちが大勢行き交っている。文化祭の準備をするために全員登校しているのだ。
 寝屋川まみ子は一年二組の教室の前に立った。首を教壇側の扉から突っ込む。寄せられた机の固まりの向こうに、西塔裕司がいるのが見えた。
 床に広げた紙に向かってひざまづき、何か描き込んでいるらしい。真剣なまなざしを床に向け、緑を基調にしたタータンチェックのズボンのひざを床につけている。
 ほかには誰もいない。
 同じ展示班の人たちは、さっき会ったとき図書館に向かっていた。絵にこだわった西塔は、後から追いつくことになっているそうだ。
 ちょっとしたタイミングのズレで生まれた、二人きりでしゃべれる時間。あたりをはばかる必要のない、思いのたけを込めて押しまくれるチャンス。
 まみ子は首を引っ込めた。胸に抱いたルーズリーフを体から離す。目の大きい三毛猫が小首を傾げてこちらを見ている。顔の横には丸まったふかふかの手があった。
 まみ子の生まれる前から飼っていた猫で『ミケ』という。三年前に他界したが、今でもやわらかい頭の手触りやざらざらした舌の感触を覚えている。ミケはまみ子が泣いているとなめに来てくれる頼もしい姉だった。いや、今でもまみ子は頼りにしている。
 西塔くんがパートナーを引き受けてくれますように。
 ミケの可愛い顔を見ながら強く念じた。
 西塔のほうを見ると、えんぴつを持つ手が止まっていた。どうやら終わったらしい。
 白いブラウスの襟元を整える。ルーズリーフをさりげなく脇に下げて西塔のほうに歩きだす。西塔のズボンと同じ柄のスカートが汗で濡れて足に絡む。軽くひざが震えている。
「西塔くん」
 大丈夫、いつもの低めの声が出ている。
 西塔がえんぴつを紙の上に置いた。近づくのに合わせるように立ち上がってきた。顔がたちまち頭上にそびえる。身長144センチのまみ子が184センチの西塔の目を見ようとがんばると、あごが地面と平行になってしまう。
「なに?」
 地響きのような声を浴びせられて、まみ子は反射的に首を縮めた。
 ただ背が高いだけではない。頭はスポーツ刈りで顔は四角くてごつい。体重は80キロもあってがっしりした体格だ。
 まみ子の好みの外見なのだが、目の前にするとやっぱり威圧感を覚える。
 言わなくちゃ。
 気を取り直して声を出そうとしたが、気道がまっすぐ伸びているせいか、息を吸いすぎてしまった。息の抜ける音しか出ない。
「作業しながらでいいかな」
 西塔の頭が腰のあたりに下りてきた。視線を下ろすと呼吸が楽になる。西塔の短い毛がすぐそこにある。じっと見ているとミケの頭とイメージが重なった。なでそうになる。あわてて手を後ろに隠す。
「うん。もちろん」
 西塔が手を加えている熱血マンガのキャラクターは、もう描きおわっているようにしか見えない。
 話しやすくしてくれたんだ。
 まみ子はルーズリーフをしっかり掴んで、勢い込んで話し始めた。
「学年の演し物、仮装ファッションショーに決まったの。それで、西塔くんにパートナーになってもらえないかと思って」
「ファ、ファッションショー?」
 西塔の声が裏返った。
「ダメ?」
「あ、いや。ダメというか、よく知らねえんだけど。何するの?」
「服を着て、舞台に出て、歩くの」
「二人で?」
「全員、男女ペアなの。15組出るんだ」
「女の子と人前に立つの?」
 西塔がまみ子から目を逸らし下を向いてしまった。
「1日目の午後3時からなんだけど」
「時間は大丈夫だけど、衣装とか」
「作るのはまかせて。西塔くんは服を着るだけでいい」
「でも、俺でいいの?」
「西塔くんがいいのっ!」
 西塔の体がビクッと動いた。
「そこまで言うなら」
 目を逸らしたまま首を縦に振った。
 まみ子はルーズリーフの表紙を手で探り、ミケを見ないままなでた。
「今日は、これから?」
「図書館で作業して、うーん。三時には空くかな」
「じゃ、三時に体育館に来てくれる?」
「ん。オッケー」
 まみ子は西塔に手を振って教室をあとにした。
 
 体育館の中では大勢の生徒が作業をしていた。学年ごとにコーナーに集まり、演し物の打ち合わせをしているのだ。衣装や大道具の制作も始まっていて、カラフルな色彩があちらこちらに広がっていた。
 まみ子は体育館の時計を見上げた。もう三時を過ぎた。西塔は遅刻しない。時間通りに来ないのならやりたくないのだろう。
 強引だったかなあ。
 あきらめきれずに校舎とつながる渡り廊下のほうへ目を向ける。体育館に入る前に横に向かって話しかけている人が目についた。
 扉の陰に誰か居る。
 まみ子はルーズリーフを引っ掴むと入り口にダッシュした。鉄の扉に手をかけて、くるっと回る。
 西塔が立っていた。
「来てくれたんだ」
「あんまり華々しくて、さ。俺、場違いじゃね?」
「んなことないって。見て見て。西塔くんは神父さんの格好でね。私は修道女なの。元ネタはこのマンガ」
 まみ子はルーズリーフを西塔の前で開いた。『凍てつきかけたパッション』の表紙が入っているところを見せる。
 神父服を着たいかつい男が、腰を落として足を開き、体を斜めにして頭をかいている。元気のよさそうな女が、男の左側に立って威勢よくこぶしを天に突き上げている。
「題名、聞いたことがある。そのマンガ」
「ホント? じゃ今度貸すから読んでみて。主人公、西塔くんにそっくりだから」
「え?」
「なんか、ぶっきらぼうで悪そうなんだけど。アクションとかホントかっこよくて。私、大大大好きなんだ。セリフもいいんだけど。なんつってもルックスが好みで。西塔くん、見たとき、キャラが歩いてると思った。西塔くんが教室に居るとずーっと気になってさ。も、この企画きいたとき、絶対、仮装してもらおうって」
 西塔が真顔で見下ろしてきていた。目も口も動かない。固まっているようだ。まみ子はハッと口を押さえた。
「ごめん。一人で盛り上がっちゃって」
 西塔の顔が無表情のまま、だんだん近づいてくる。
 気を悪くしたかなと思いながら、まみ子は顔から目を離せない。
 やっぱりそっくり。
 うっとりと眺めた。
 ふいに、西塔の顔が赤くなった。みるみる首まで赤くなる。
「ごめん。ちょっと時間もらっていい?」
「うん?」
「こんなことで褒められるのなんて、一生に一度かも知れないから、よく味わっておきたいんだ。ちょっとごめんね」
 西塔が目をつぶって背中を向けてきた。首の後ろまで真っ赤だ。
 あのキャラなら、こんなことで照れたりしない。やっぱり違う人なんだなと思った。
 だけど。
 手を伸ばして頭をなでたかった。
 手が届かないけど。
 なでても驚かれるだけだろうけど。
 しばらくすると西塔がこちらに向き直った。もう赤くない。
「よし。やろう。汝の願いかなえてしんぜよう」
 西塔がおどけたように話しだす。
「ははあ。おねげえしますだ。お代官さま」
「代官じゃねえって」
 二人は笑いながら体育館の中に入った。
 まみ子は西塔と並んで、ファッションショーの班に近づいた。みんなが手を止めて振り返る。
「西塔くんが引き受けてくれました」
 見回しながら紹介した。
「お」
「で、どんな構図?」
 口々に話しながら、全員が集ってくる。元ネタにそっくりな仮装ができるからと説明して、西塔くんの参加を認めてもらっている。どれほど似ているのだろうと、興味津々なのだ。
「これです」
 まみ子はルーズリーフを高く掲げた。表紙のミケの顔がよく見える。
 みんなも似てるって思ってくれますように。
「私が修道女のかっこうで。西塔くんが神父さまです」
 誰かが西塔の肩に神父服に似た学生服を着せかけた。
「絵と同じだあ」
 たちまち、ほうぼうから歓声が上がる。
「ねえねえ、ちょっとしゃがんでみて」
 西塔が声のしたほうに黙って顔を向けた。声の主はばつが悪そうに口を手で押さえる。シンと静まった。
「あ。違うの。怒ったんじゃ。ね? 怒ってるわけじゃないよね?」
「あ、ああ。うん、ああ。いや、その、こういうの慣れなくて」
 西塔の声が完全に裏返っている。
 周りから微笑みが返ってきた。
 西塔が意を決したように、学生服をはね上げ袖を通した。しゃがみ込んで絵と同じ格好になる。すかさず、まみ子は隣に並び、元ネタの修道女と同じポーズを取った。
「いい。似てるー。ウケるー」
 拍手が起こった。
 西塔がぎこちなく立ち上がって頭の後ろをかいた。
「そんじゃ。参加させてもらいますんでよろしく」
「こちらこそー」
 わいわいとしゃべりながら、みんなが元の作業に戻っていった。
 ありがとう。ミケ。
 まみ子はルーズリーフの写真を眺めた。
「その写真、いつも見てるよね?」
 西塔が手元を覗き込んできた。
「うん。前に飼ってた猫。顔を忘れないようにと思って」
「忘れ? ああ。戻ってきたとき困るからね」
「へえ。西塔くん、知ってるんだ」
「意外?」
「うん。生まれ変わって飼い主のところに戻ってくるって、ちょっと女の子っぽい考えだしさ」
「女の子っぽいかも。実は」
 西塔が微笑む。
「変だよな。こんなにデカイのに」
「関係ないじゃん。体格なんて」
 まみ子は西塔に微笑み返した。
 体格と違って中身は……。
 まみ子は西塔から目を逸らし、ミケの写真を優しくなでた。
 
           終