矢車通り~オリジナル小説~

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拍手の向こう側(1)

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 倉崎美園は一礼して職員室に入った。事務机の島がいくつも並び、机の上にはたくさんの書類が積み上がっている。今日の授業が終わったせいか、先生たちの動作もゆったりとしている。
 美園は先生たちにぶつからないよう体をひねりながら窓際に進む。ひときわ大きな机の前で立ち止まり、背広姿の教頭に向かって頭を下げた。
 白髪頭の教頭が美園をジロッと見上げた。禿げかけた額の下の眉間には深い縦皺が寄っている。細い目は三角につり上がり、小さな鼻に開いた穴はせいいっぱいふくらんでいる。口はへの字に曲げられていた。
 美園はセーラー服のスカートの前で両手を軽く合わせ、教頭の目をまっすぐ見つめ返した。美園には教頭に呼び出されるような悪いことをした覚えはない。成績は上位のほうだ。第一、新学年が始まったばかりで、けなす材料はないはずだ。
 かといって褒められるわけではないだろうということは、教頭の表情を見ればわかる。もともと悪役顔だけれど、さきほどからニコリともしないので、ますます怖い顔になっている。
 教頭が目を逸らして、書類を一枚取り出した。
「演劇部のことですが」
 教頭が書類を見ながら、うなるような低い声で話しだした。
「今年の一年生は、一人も入りませんでしたね?」
「はい」
 きれいなアルトの声で美園が答える。
「今の部員は、部長の二年二組倉崎美園さん、副部長の二年六組輪乃森海くん、同じく副部長の二年九組玉出ルイさん、この三人で全員ですね?」
「はい」
「当校の規則に、クラブは部員が十人以上居ることとあるのはご存じですね?」
「はい」
「では、演劇部は廃部とします。活動を続けるのなら同好会として認めます」
 美園は身を乗りだした。教頭に顔を近づける。
「先生、時間をください。必ず部員を十人揃えます」
「では、揃ってから昇格願いを出してください」
「それでは困ります。同好会から昇格するのはクラブの条件が整ってから一年後というのが慣例ですし。同好会だと文化祭に参加するときに体育館を使わせてもらえませんし。校外の大会に出場することができませんし。それに、去年卒業なさった先輩がたは、一年生だった私たちをとても心配してくださいました。二年生がいないことをとても苦になさっていて。私は部長を引き受けるときに、新三年生がいなくても大丈夫だと請け負いました。クラブは必ず守りますと約束しました。新学期早々同好会になりましたでは、先輩がたに合わせる顔がありません」
 教頭は大きなため息をついた。
「そこまで言うのなら、考えてあげないこともありませんが」
「時間をください。お願いします」
「ですがねえ。時間をかけたからといって演劇部の人気は上がらないんじゃないんですか? 私はここ何年かの演劇部の演目は、あまりにも観念的で難解だと思っています。ついてくる生徒が少ないのも無理はないと思っています。去年の文化祭は『ストーンズ』という作品でしたね」
「はい」
「人間が扮した五つの石が、それぞれどんな経歴を経て集っているのかを、一人のナレーターが説明していくといった作品でしたね」
「はい」
「お客さんの反応はどうでしたか? 面白がってくれる人がいましたか?」
「それはその、感想を集めたりはしていないので」
「では、お客さんは何人いました?」
「二十人です」
「十人の部員が宣伝して、集まった観客が二十人ということは、つまり、部員に義理があって見てくれた人しかいなかったということではないですか?」
 美園はグッと詰まった。違うとは言い切れない。確かに知っている顔ばかりだった。
「そうかも知れません」
 ようやく声を絞り出す。
「じゃあ、今年三人の部員で集められる観客は、単純に計算すれば六人ということですね。部員もいない。人気もない。演劇部が存在する意味がどこにあるんですか?」
 美園の肩がかすかに上がった。背骨がピンと伸びる。両足を軽く平行に開いて立つ。軽く握り合わせていた両手がギュウと絞られた。
「それでは意味があると証明するチャンスをください。部員は十人集めます。文化祭の観客は五十人集めます」
「百人です」
「はい?」
「文化祭まで待ちましょう。観客は百人集めてください。部員十人、観客百人、それが達成できたら、クラブとして存続することを認めましょう」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはまだ早いですよ。達成できなければ廃部ですから」
「わかりました」
 美園は深く一礼し、教頭に背を向けた。右の拳を握りしめながら、机の間をすり抜けて、職員室をあとにした。