矢車通り~オリジナル小説~

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拍手の向こう側(8)

浦戸シュウ小説目次

「拍手の向こう側」目次
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         8
         
 西宮まみは輪乃森と連れ立って歩き始めた。まみは『凍てついたパッション』の特大ピンナップを胸に抱えて、マンガ研究会が活動している校舎三階の多目的室を目指す。
 多目的室は普段、選択授業のときに使われている。その片隅にある三つのロッカーがマンガ研究会が学校で使える物の全てになる。出欠にまったくこだわらない会で、気ままに活動したい生徒が入っている。
「あのさ。西宮さん」
 斜め左上から、耳に心地よく反響する声が聞こえてきた。輪乃森の声はきっとリラックスさせるとかいうアルファー波が出ているに違いない。髪は長めで、やわらかくふわふわした感じがする。太めの眉毛、やや細めの目、低いけれどまっすぐな鼻筋、こじんまりした口。まみの好みではないけれど、十分美少年で通じる顔だ。
「まみでいいよー」
 感じの良い人にはどんどん近づくことにしている。さっそく踏み込んでみた。
「あ。えーと。じゃあ、まみ、さん」
 いきなり呼び捨てにできないところが、妙に真面目でかわいい。まみは輪乃森のほうへ顔を向けた。
「うん。なに?」
 二階に上がる階段に手をかけながら返事をする。
「もしかして、最初から、演劇部を利用しようとか思ってた?」
「思ってなかった」
 まみは階段を上がり、輪乃森を下に見ながら即答する。躊躇は憶測を呼ぶから、たいがいのことはすぐに返事をすることにしている。
「それにしては、用意がいいじゃん?」
 輪乃森が階段をのぼり、まみより上に行く。
「角浜くんを一年前に見かけたときから、『凍てついたパッション』の第一回を映画とか舞台とかに出来たらいいなあとは考えてた。彼、ホントにそっくりだもん。でも、そういうのやったことないし、やってる知り合いもいないし、ずっと保留だったんだ」
 まみは輪乃森を追い越した。すぐに追い越し返される。
「でも、ホームルームでルイに『オリジナルじゃないのをやれば?』と提案したときは、演劇部にやらせればいいとか思ってたよね?」
「うん。ルイが演劇部だって知って、いろいろ様子を聞いてたしね。チャンスだとは思ったよ」
「なんのチャンス?」
「え?」
 まみはとまどって立ち止まった。
 だから『凍てついたパッション』を舞台化するチャンスじゃないの、と答えかけて、輪乃森が聞いているのは、そのことじゃないと気がついた。何か誤解されているようだ。輪乃森の顔を凝視した。
 輪乃森が口を開く。
「だって、まみさん。角浜のこと……」
「えええええ? そんな風に見えたー?」
「だって、まみさん。角浜の身長、体重、出身校、家族構成、過去の部活、一週間の予定を、全部、何も見ないで言ってのけた。それも親しいんならともかく、口もきいたことないって言うし」
「それはマンガのキャラクターのプロフィールを覚えるのと一緒だよー」
「そう? じゃあ、角浜と親しくなったら、もう舞台はやらない、なんて言い出さないね?」
「ふえ。けっこう厳しいんだねえ。輪乃森くん。見かけと違って」
 真剣に詰め寄られて、つい、はぐらかしてしまう。
「海でいいよ」
「じゃあ。海。そんな心配ならいらないよ。やると言ったら最後までやる。つーか。今回逃したら、もう二度とこんなことできるチャンスは無いかも知れないもん。本当に舞台化したいんだよ。チャンスと思ったら精一杯手を伸ばしてつかみにいかないと、いつまで経っても自分がやりたいことなんてできないんだ」
 二人は歩きだした。三階への階段をのぼり始める。
「ごめん。まみさんなりに真剣なのはわかった。一緒に舞台に立とうね」
「うん。よろしくー」
 話しているうちに、多目的室の前に来た。
 扉を叩いて開ける。部屋には五人ほどいた。窓際の机に角浜が座っていた。部屋の中はペンを走らせる音だけがしている。まみは輪乃森を先頭に立てて、足音を忍ばせながら角浜に近づいた。
 机の隣に立つと、角浜が顔を上げた。
「さっきのことで」
 輪乃森が声をかけると、黙って立ち上がった。ほかの人の邪魔にならないように、三人でこっそりと多目的室を出る。輪乃森がそのまま階段に向かって進んでいくので付いていく。三人で階段を上がって、屋上に出る扉の前まできた。
「さっそくだけど。角浜。力を貸してもらいたいんだ。こちらは衣装同好会の西宮まみさん」
「よろしくー」
「ああ。コスプレ同好会だね」
「うん。そう。知ってる?」
「まあ。楽しそうだなとは思ってた」
「わあ。嬉しい」
「それで、西宮さんがアイデアを出してくれて、文化祭の公演はマンガ原作でやろうってことになったんだ」
「ほう。マンガ」
 角浜が身を乗りだしてきた。
「それで、角浜に手伝ってもらいたいんだよ。文化祭当日も出てもらいたいんだけど」
「ああ。マンガ研究会は作品の展示をするって決まってるから、店番の時間を調整してもらえば、演劇部の本番にも行ける。大丈夫。それで俺は何をすればいいんだ? 力仕事なら得意だ」
「うん。そういうこともしてもらえるとありがたい」
「ほかのこと?」
 まみは胸に抱えていた紙を広げた。『凍てついたパッション』の特大ピンナップだ。
「このマンガ知ってる? 角浜くん」
「ああ。知ってる知ってる。主役の神父がとぼけてて面白いよ」
「その神父。角浜くんにそっくりだと思わない?」
「いや。そんなこと考えたことがない……」
「ほら。顔の輪郭、そっくりでしょ? 四角張っててさ。図太い眉毛とか、大きな団子鼻とか、唇が分厚いところとか。体格だって、身長百九十二センチ、体重八十二キロって、おんなじなんだよ」
「な、なんで体重なんか知って……」
「体型だって、筋肉隆々の、どっちかっていうと、運動部系でしょ。髪型はちょっと違うけど、それはカット次第で同じにできるし」
「ま、待った。待った」
 みるみるうちに角浜の顔が赤くなっていく。
「に、西宮さん? そんなこと見てたの?」
「うん。このキャラ、あたし、大、大、大好きなんだ。一年前の入学式のときに角浜くんを見かけてから、わあ、似てるなあと思って、ずーっと、似てるなあって思って。いやもう、ホントにそっくり。そんで、この役、角浜くんにやってもらいたいんだけど」
 角浜の顔がひきつったように、ピクピクと動き出した。
「無茶だよ。いきなり主役だなんて。人前に立つようなことはしたことないんだ。第一、恥ずかしいよ」
「お。そうか。じゃあ、角浜、舞台、いけるかも」
 輪乃森が間に入ってくる。
「ま、まさか」
「舞台に立つのが恥ずかしいとか思ってる奴のほうが、実際に立ったときは輝いていたりするんだって聞いたことある」
「本当か?」
 角浜が疑わしそうに叫んだ。
「本当本当」
「言われれば言われるほど、本当に聞こえないんだが」
「でも、そっくりっていうのは本当だよ。あたし、角浜くんがこのキャラのコスチュームを着ているところをどうしても見てみたいんだ。きっとかっこいいだろうなあって思う」
「か、かっこいい? 西宮さんの美意識、ちょっとズレてるんじゃ」
「えー? 角浜くんが自覚してないだけだよ。絶対、かっこいいって。決まるって。舞台はあたしも一緒に出るから、アクションだけしてくれれば、ほかのことは全部フォローするから」
 自分だって初舞台のくせに、と、さすがに心の中で突っ込みが入ったが、もう一押しでやる気になってくれそうなのだ。チャンスを逃すわけにはいかない。まみは押しまくった。
 考える気になったのか、角浜が腕を組んで下を向いた。
 輪乃森が軽く足を開いて、手を下ろしリラックスした。待ちの姿勢だろう。
 まみはピンナップを畳んで、胸に抱きしめた。
 角浜が上を向いた。目はキョロキョロと動いている。考えてくれているようだ。輪乃森とまみは静かに待った。
 しばらくして、角浜がまみに視線を向けてきた。
「コスチュームを着て、立っていることしかできない」
「それで十分だよ」
 まみは請け負った。
「マンガ同好会と兼ねるから、用事が重なったら、向こうを優先する」
「おっけー」
 輪乃森が微笑む。
「わかった。引き受けよう」
「ありがとうっ!」
 まみと輪乃森は同時に声を上げた。