矢車通り~オリジナル小説~

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拍手の向こう側(18)

浦戸シュウ小説目次

「拍手の向こう側」目次
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          18

 梅雨が明け、本格的な夏の日差しが照りつけてくるようになった。打ち水代わりにタオルを濡らして窓枠にかけておくのだが、一時間もしないうちに乾いてしまう。部員たちは首にも濡れタオルを巻いて、チクチクと針を動かし続ける。
 黒子になるための頭巾を作ってしまえば、衣装はすべて揃う。一山越えるという意識からか、本番まではまだ間があるというのに、演劇部には活気が満ちていた。
 今回の舞台の衣装は、ハンガーを三台並べてズラッとかけてある。舞台上の衣装は一人一着と黒子用のスモックだけなのだが、十人分ともなればそれなりの場所を取る。その横に長机を四つ固めた作業場所があり、今は六人が針を動かしている。そのほかに、長机を四つ固まりにした小道具の場所でこさくがだうらを助手にして何やら作っているし、ベニヤ板が五枚立てられた大道具の場所では、角浜がまみを伴って大きな物差しを使って下書きをしている。
 美園はみんなと一緒に針を動かしながら、今後の予定を頭のなかでおさらいした。一カ月後には小道具が全部揃い、さらに一カ月経つと大道具が揃うことになる。小さな達成感を味わいながら、次の段階に進んでいけるようにできている。
 無理にやろうやろうと騒がなくても、自分にとって楽しいことなら進んでやっていくのだ。美園は思い知った。衣装同好会を引っ張り込むのなら、まず衣装を作るところから始める。マンガ研究会から引き抜いてくるのなら、まずマンガを描くところから始める。自分になじみのあることから、徐々に慣れてもらえば、スムーズになじめるものなのだ。私が何かというと台本を欲しがるのと同じことだと、美園は気がついた。考えてみれば当たり前のことなのに、演劇を好きになってもらいたいと焦るあまり思いつかなかった。
 力を抜いたら、お腹がグーッと鳴った。時計を見るともう十二時を回っている。かこが来る三時半になる前に作業を終わらせておきたいが、すきっ腹をこのままにしておくわけにもいかない。第一、ちゃんと食べないと体を壊す。周りを見回したが、手を止めそうな気配はない。
「あの。昼だけど、どうする?」
 言ってから、ああ、ずいぶん、物を言うのが簡単になったと思った。言葉数も少ないし、声を出すのにもためらいがない。
「作業しながら食える物持ってるー」
 まみが弁当箱の包みを持ち上げて見せた。どうやら、全員お昼はあるらしい。
「じゃあ、食べようか」
 それぞれが食べ物を出す。食べ方ひとつもさまざまだ。
 ルイが食べ物を置く場所をまず片づけて、手のひらに乗るくらいの小さな弁当箱を出している。
 海は何も置いていない机にコンビニ弁当を持って移動した。
 角浜は大きな弁当箱に入った食事をたいらげると、さらにサンドイッチを持ち出した。
 まみは弁当に「海の物と山の物」を必ず入れているそうだ。
 なりんの弁当箱には果物しか入っておらず、ほかの人にデザートとして配って歩いている。
 りのの弁当は必ずらっきょうが入っているが、りのはまずお菓子を食べだすので、らっきょうまでたどり着かないこともよくある。
 なみっちの弁当入れは、広げると弁当の下に置くナプキンになっていて便利そうだ。
 こさくの弁当はおかずが大量にあり、食べきれないと言いながら、みんなにおかずを配って歩く。
 だうらは菓子パンをごはんだと言い張る。
 美園はおにぎり一つだ。
 一つとして、同じ弁当がない。
 ふと、気がついた。
 演出をするのに自分の頭の中にあるイメージを再現するように要求するのではなく、役者に好きなようにイメージしてもらってその中からよそのシーンと整合性が取れるように選んでいったらどうだろう?
 ここにいる十人の、それぞれの頭の中には、それぞれ違う『凍てついたパッション』があるかも知れない。それをうまく引き出して、まとまった形にすることができたら、どれほど自由で楽しい舞台になるだろう。演じているほうはもちろん、きっとお客さんもいろいろなアイデアが見られて楽しいだろう。
 美園ほどあからさまに『私の言う通りに演じて』と叫んだりしていないから目立たないけれど、かこの演出は美園と同じタイプだ。今はいいけれど、もっとみんなの台本に対する理解が深まれば、かこの思惑とは違う『こう演じたい』といった欲も出てくるかも知れない。
「美園ー」
 背中をドンっとどやされた。
 いつの間にか、かこが後ろに回っていたのだ。三時半に来るはずの人が、なぜ十二時半にいるのだろう? 頭が混乱した。
「何、ボーッとしてんだよ。おまえ、考え事してると、ホントに回りが見えないのな」
 顔を上げると、全員に注目されていた。いや、視線の向きからいって見ているのはかこだろうけれど、美園もみんなの視界に一緒に入ってしまっている。
「え? 私、三時間もボーッとしてました?」
「美園ってホントかわいいなあ。ちげえよ。私が三時間早く来たんだよ。衣装が完成する瞬間に立ち会いたくてさ。今日、できるんだよな? なみっち」
「できます」
 なみっちが嬉しそうに頬に両手を当てる。
「そうかそうか。じゃあ、飯食ったら、続きやろうな。私も手伝うから」
「あ、それは遠慮します。角浜くんのほう、お願いします」
「なんだよー。この前手伝ったとき、ちょっと下にあった布も一緒に縫い込んじゃっただけじゃんかよー。今度は気をつけるよー。衣装やりたいんだよ」
「ホントにくれぐれも気をつけてくださいね。布ならいいですけど、体まで一緒に縫い込んじゃわないように」
「おう」
 そのまま、かこが美園の隣に腰を下ろした。
「今、考えてたことなんですけど……」
 もっと役者のイメージを大切にして、と言おうとして、ふと、口をつぐんだ。今、考えたことだから、どうにもうまく言葉がまとまらない。それに、美園にはわからなかっただけで、かこはとっくにそんなことをしているかも知れない。
「ですけど?」
 かこが続きを促してくる。
「いえ、なんでもありません」
「そうかあ?」
 かこが疑わしそうに目を細めて美園を見たが、それ以上は追求してこなかった。