矢車通り~オリジナル小説~

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拍手の向こう側(28)

浦戸シュウ小説目次

「拍手の向こう側」目次
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 美園はマンガ研究会が展示場所にする多目的室に入ると、角浜のほうへまっすぐに歩いていった。紙を折る作業をしている角浜に向かって、腰を折って頭を下げる。
「ごめんなさい。手伝わせてください」
「いや、こちらこそ。ごめん。あの紙の山を二つ折りにして欲しいんだ」
 角浜が教室の真ん中に積み上げてある紙を指さした。その周りでは演劇部のメンバーとマンガ研究会のメンバーが黙々と紙を折っている。
「残り全部で六千枚くらいだから、えーと、一人四百枚くらい。ページ別になっているから、混ぜないようにお願いします」
「はい」
 美園は紙束を掴んだ。まみを見る。まみの肩がピクッと上がる。でも、美園のほうを見ようとはしない。まみの隣に座る。てきぱきと折りはじめる。
「あたしは許してないんだかんね」
 まみが作業をしながら、美園にむかって話しかけてくる。
「角浜くんが困ってたら、助っ人に行くの当然じゃない」
「うん。それは悪かったと思ってる。つい、焦って」
「だーかーらー、何を焦る必要があるってーの。本番、もう、明日じゃん。ギリギリになって焦って練習したってしょうがない、とか言ってたじゃん。なんか美園ってさあ。言うこととやることがちぐはぐなんだよね」
 やっと、美園は何がまずかったのか理解した。言っても理解されないから、言うまでもないことだから、言わなくてもわかるはずだから、と、言わずに済ましてきたことがたくさんある。もし、相手が美園とまったく同じことを考える人間ならば、言う必要はない。でも、違う人間だから、ちゃんと説明しないといけなかったのだ。
「それは。こんなに、みんなが、だらだらしちゃうなんて、夢にも思わなかったから。私の知ってる本番前ってのは、もっと違うの。もう、役者がみんなピリピリ緊張しちゃって、ちょっとした物音でも飛び上がるような、そんな状態になるのよ」
「緊張したっていいことないもん。あたしたちだってねえ。舞台はちっちゃいけど、人前で演じる苦労はしてきたんだよ。美園って、ホント、なんでも自分だけわかってると思ってんだよね。あたしたちだってわかるよ。わかるからリラックスしてるんじゃん。美園みたいにピリピリしてたら、出せる力も出せないよ」
「リラックスにもほどがあるでしょ」
「美園がそんなだから、演劇部がつまんない部になるんじゃんよ。いい加減、気づけっての」
「そう言えば、五分に一回は笑いが起こるようなクラブだったら、すぐに十人くらい集まるって、クラスで言われたって言ってたよね」
 隣に座った海が合いの手を入れてくる。
「それじゃ、笑いすぎー。落語研究会か、漫才研究会だったらいいけどー」
「んだねえ」などと言いながら、クスクスと周りで笑いが起こる。
「もう、どうして、真面目な話が続かないのよ」
 いつもだったら愛想笑いをするところなのだけれど、美園は遠慮なく思ったことをそのまま口にする。
 うん? というように、まみが顔を傾けた。いつもと違うと感じ取ったのか、背筋を伸ばして態勢を立て直してくる。
「緊張ってのは、なんか、他人を責めるから、嫌なんだよ。あたしは。例えば、この作業だってさ。折り目正しく付けないと意味ないでしょ? だから、きちんと端と端が合うように、緊張して合わせていくわけだけどー。そんな風にやっていって、合わなかったら『ドジ、バカ、マヌケ』って言われそうじゃん」
「折り目が罵るの?」
「うん。そう」
 どう感想を言ったものか、あきれた、とも、バカバカしい、とも、微笑ましい、とも思う。強いて、一つにまとめれば。
「なんか、可愛いこと考えるんだね」
「そー? でもさー。ここの端と、こっちの端は、恋人同士なんだと思うとねー」
「うん」
「寄り添いたいだろうなーって気持ちがわかるから、こうスッと合わせられるんだよねー」
「変。まみって変」
 美園は笑った。しばらく考えてから言葉を続ける。
「ああ、つまり、できるかどうかわからないことをうまくやろうとしたら緊張しちゃうけど、うまくできるもんなんだと思ってれば自然とうまくいくと、そういうこと?」
 「んーんー」と唸りながら、まみが手を動かしていく。やがて、美園のほうへ顔を向けてきた。
「やっぱ、あったまいいなあ。美園。そういうこと。そんなふうにまとめて説明できなかった。あたし」
「実は、私も、まみと話してると、あたまいいなあと思ってたり」
「へ?」
「みんなの気持ちが引き立つようなことを、スルッと口に出すから。すごいなあって」
「慣れだよ慣れ」
「うーん。慣れてもできないこともあるけどね」
「まー、ひとそれぞれ、得意なことは違うからー」
「そうね」
 美園はどうやらまみと仲直りできたらしい。ホッとしながら黙々と作業を続けた。ちらちらと周りの様子を見る。みんな作業に没頭している。
 あれ? 
 気がついたことがあったが、我慢して、と考えたところで苦笑した。いまさら、何を我慢するんだろう。この作業が終わらなければ、演劇部の公演も無いのだ。
「角浜くん」
 軽く声をかける。
「おう」
「これ、折ったあと、どうするの?」
「四十枚まとめて、表紙と裏表紙を付けて、ホチキスと製本テープでとめるんだけど」
「それで完成ね?」
「ああ」
「じゃあ、手分けしよう」
「え?」
 角浜が顔を上げた。折った紙を積み上げているから、作業量は一目でわかる。紙折りが得意な人とそうでない人では高さが倍も違っている。
「それぞれ得意なことが違うから、自分に合ってることをしてもらったほうが早く終わるよ」
「あ、でも」
 角浜を始め、マンガ研究会の人たちは、もじもじしている。
「これ、終わらないと、演劇部の公演もできないんだから、しっかりして」
「終わるまでつきあってくれるんだ」
「当たり前でしょ」
「当たり前だろ」
 部員たちが口々に同意する。
「じゃあ、えーと」
 角浜がみんなの配置を得意な作業に切り換えていく。
 下校時間まで、あと一時間。明日の登校時間は九時からと決まっているから、文化祭の開始までに取れる時間は二時間。今から半分の紙を折りはじめて、四十ページ、三百部の製本。
 とにかく作るのだ。
 美園はさらに作業のスピードを上げた。