矢車通り~オリジナル小説~

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あなたを見つめて(1)22枚

 空気が動いた。
 長倉由莉葉は背後を振り返った。小柄な吉田和子の頭上からかぶさるように、中年男が怒鳴りつけている。男の四角い顔は血が上って、赤くなっている。和子は耐えていた。由莉葉は男の視線を受け止めるようにして、和子と男の間に割り込んだ。男は反射的にまばたきした。由莉葉の方が体は細いが、背が高い。和子の一重まぶたのぼんやりした顔が一瞬にして、由莉葉の彫りの深いあでやかな顔に変わったので、とまどっているようだ。顔に掛かった、四角い眼鏡を直す。由莉葉は落ち着いたアルトの声で話しかけた。
「お客様、こちらのデモンストレーターが何か失礼をいたしましたでしょうか」
 由莉葉と和子は、小売店で試飲や試食を薦める仕事をしている。Tシャツにジーンズ、三角巾にエプロンといったいでたちだ。左手はトレーを持っている。ジュースが入った紙コップを乗せている。由莉葉は男にトレーを差し出した。
「こちらはイケスーの新製品『知恵から生まれたジュース』シリーズでございます。健康効果の高い食べ物があることは、みなさまご承知の通りです。イケスーでは夏に向かうこの季節、疲労回復に役立つグレープアンドバーモントミルクを発売いたしました」
「で、何がどう効くんだ?」男が口を開くとアルコールの匂いがした。由莉葉は頭の中でマニュアルをめくった。土日だけの短期アルバイトだ。商品知識は3日前に暗記した。由莉葉は市内では学力が高いとうわさの高校に通っている。二年生になってから、成績はトップクラスを保っている。知らないなどとはとても言えない。由莉葉のプライドが許さない。でも、思い出せない。由莉葉は肩越しに和子を見た。和子は横に首を振る。強引に次に行くことにした。
「こちらが梨のジュースでございまして、二日酔いに良く効きます」
 男は沈黙した。由莉葉の目を見つめる。由莉葉は失策をしたことに気がついた。酔っ払いに酔い覚ましなど薦めたら、お酒のせいで変ですよと言っているようなものだ。男はさっきより大きな声でまくしたてた。
「ごまかすな。それとも、そのジュースのことなら、きちんと説明出来るのか!」
 土曜日の夕方は一番人通りのある時間帯だ。なにごとかと足を止める人が増え、人垣が出来てきた。由莉葉はどう切り抜けるか、必死に考えた。今、売らなければ売り上げは三割減るだろう。
「お客様、何かございましたか?」
人垣からするりと背の高い男が抜けてきた。薄いブルーの作業服、スーパーマルトモの制服だ。売り場主任の木島要が来た。由莉葉は今日はもう仕事にならないと覚悟した。春から二ヶ月の間に、8軒の店を回った。お客ともめて、店に迷惑をかけたら、最悪の場合は帰される。その日のデモは失敗ということで、元締めの会社はペナルティーを払わされる。多くはただで別の日に別の子を派遣する。そうなれば、由莉葉にも罰金を払う義務が生じる。日給8000円から2000円引かれるのだ。店はお客の肩を持つ。6時の終業時間まであと2時間。主任とお客のダブル攻撃で責められるのだ。しかもここで不満を見せたり、逃げたり泣いたりしたら、もう次の仕事はもらえない。売り上げが落ちるのは目に見えているから、売り場主任も機嫌が悪くなり、しつこくねちねち怒られる。由莉葉は和子の手を握り締めた。二人だからなんとか耐えられるデモンストレーターの一番嫌な部分だ。
 木島はすうっと男の前に立った。由莉葉は木島の背中を見ることになってとまどった。
「こいつらなぁ、自分の売っとるジュースのことを知らんのだ。どういう教育をしてるんだ。ええ?」
「申し訳ございません。この者たちにはあとでよく注意しておきます。では、私から説明させていただいて、よろしゅうございますか?」木島は男がうなづくのを確かめて、先を続けた。
「まず、グレープアンドバーモントミルクでございますが。ぶどうに含まれる糖質は吸収が良くて、すみやかにエネルギーに代わります。さらにクエン酸を含むりんご酢を加えてあります。クエン酸は筋肉疲労物質である乳酸を取り除く作用があり、疲れを癒してくれます。次に梨のジュースですが、こちらは利尿作用があります。二日酔いはアルコールが分解されるときに生成されるアセトアルデヒドが体内に残っていると、気分がなくとなくすぐれないなど不快な症状が現われます。この物質を体から追い出してやれば、治るわけです」
 男はゆらゆらと体を動かしながら、木島の説明を聞いた。おもむろに積み上げてあったジュースを2つつかみきびすを返した。
「お味は見なくていいんですか」和子がトレーを掲げて進み出た。由莉葉は心の中で頭を抱えた。男はプラスチックのコップに注がれた、赤紫の白濁した液体を一瞥した。
「味はどうでもいいよ。効くんだろ?」
「でも飲んでもらえなかったら、ジュースが可哀想です」
「飲むって言ってるじゃないか!」
「お買い上げありがとうございます。ご指導ありがとうございました。以後気をつけます」由莉葉は急いで割り込んだ。笑顔で男を送り出す。後姿を見送りながら、和子に囁いた。
「場を収めるために、無理して買ってくれてるのは、わかってるでしょう」
「おじさんに悪いと思って」
「向こうだって引きたいのよ。ひとだかりになっちゃってるんだから。すんなり行かせるのが親切よ」
「わかった。ごめん」
 由莉葉と和子の後ろでは、今まで見ていた人たちが、商品に近づいていた。木島が中心になっている。
「本当ですよ。でもあんまり効くって言うと薬事法に引っかかるんで、みなさん、内緒にしといてくださいね。昔からの民間療法を科学的に裏付けて、商品として開発したってことです。5個398円なら安いんじゃないですかねぇ」
 木島の口が閉じると、人が動きだした。試飲カップに手を出す人、ジュースの種類を確かめる人。デモンストレーション終了の時間まで、人気が絶えず土曜日の分は完売した。

 売り場を片付けたあと、由莉葉と和子は木島を探した。終了の判子が要るのだ。通常スーパーにはバックヤードと呼ばれるスペースがある。店の事務を行う場所と、商品を保存したり、加工したりする場所だ。
 マルトモ北浜田店は駅と直結している四階建てのビルだ。この規模だと社員食堂や広い休憩所まで有る。木島は倉庫にいた。手には端末を持っている。在庫確認はデータをコンピューターに送るようになっているのだ。二人がカードを差し出すと、すぐに判子を押して返してきた。二人は次の言葉を待った。しばらく沈黙が続いたあと、木島は不思議そうに振り返った。
「まだ、何か?」
「さっき、あとで注意するっておっしゃってたので」和子が聞く。由莉葉はこの正直さを好ましく思っているが、この状況では子供っぽいような気がする。
「ああ、あれ? 真面目だねぇ、君たち。普通そそくさと帰るよ。怒られないうちに。そういう人たちに、言わなきゃいけないことなんてないよ。明日はびしっと決めてくれるんだろ?」
「はい」由莉葉と和子の声が揃い、木島は楽しそうに笑い出した。
「もう、5年くらい前の話になるけど、ぼくは大学生のときバスケットやってたんだ。上下関係にうるさいクラブでさ。当時はなんでいくつも違わないような奴らに、でかいつらされなきゃなんないんだと思ってたんだけど、社会に出てみると上下関係ばっかりで。あのとき鍛えられといて良かったと今では本当に感謝してるよ。君たち見てたら思い出しちゃったなぁ。当時は練習が終われば飲み会してたんだけど、これからどう?」
「お酒は飲めません」和子がきっぱりと言う。店の担当者に親しみを感じてもらえれば、デモの場所や商品の量など、便宜をはかってもらえることも多いなんてことは、かけらも考えていないのだろう。由莉葉はフォローした。
ファミリーレストランで、木島さんが退屈なさらないのでしたら、お付き合い出来ますが」
 その時、メロディーが流れ出した。木島は携帯電話を取り出して、ディスプレイに目を走らせた。由莉葉は木島に一礼して、帰ろうと和子をうながした。木島は未練ありげに由莉葉たちを見た。
「出会い系サイトで出会った子なんだけど、実際会ってみたらイメージが違うんで、もう断ろうと思ってるんだ。今日はダメだけど、そのうちファミレス行こうな」木島は笑顔で二人を見送った。
 翌日は昨日の宣伝が効いたのか、朝から順調な売り上げになった。10時開店だと11時ごろに少し手が空く。由莉葉と和子は早めにお昼にして、午後に備えることにした。朝9時半から午後6時までの拘束時間のうち、休憩は一時間半と決まっているだけで、何時にどのくらい取るかは指示されていない。お客さんが居れば、全然取れないこともある。店の方もデモンストレーターの裁量に任せてくれる。マルトモでは近くの売り場の人に「休憩を取る」の符丁である「三番行きます」と言えば良い。
 お昼は社員食堂で取るように指定されている。食券を買ってトレーを持ち、調理場の前に並ぶ。そこに置いてある料理を食券と引き換えに持っていくのだ。10人がけのテーブルが20もある。半分くらい埋まった感じだ。グループごとになんとなく距離がある。由莉葉と和子も他のグループから少し離れた、真ん中あたりに席を取った。由莉葉の位置から町沢頼子が見えた。大手洗剤メーカー「さおう」のマネキンだ。何かと口うるさいとデモ仲間ではうわさになっている。マネキンとは「招かれて勤務する」の略で、派遣社員といった位置付けだ。メーカーから雇われているので、いつも同じ商品で、同じ店を回っている。由莉葉たちとは日給からして違う。倍は貰えるはずだ。その代わり売り上げのノルマがあったり、簡単には休めなかったり、社会人として仕事をする厳しさも上だ。由莉葉は短期だからと言って自分の仕事の手を抜く気は全くない。同等に張り合うだけのことはしているつもりだ。そんなことも知らずになにかと難癖をつける頼子は好きになれない。
 今も頼子の向かいには、若い子が座っている。肩を震わせて泣いているようだ。由莉葉は目をそらした。何か楽しいことを考えよう。和子に向き直った。
「木島さんって親切だよね。商品に詳しいし。どこのお店でも店長さんって、全商品を把握してるし、どんな商品がどこにあるか知りつくしてるじゃない。店長さんみたいだよね」
「由莉葉、たぶん、商品を知りつくしちゃうような人が店長さんになるんじゃないかな」和子は一言ずつ確かめるように、ゆっくりと話した。
「ああ、そうか、逆か」
「由莉葉って頭いいのに、ときどきものすごーく間の抜けたこと言うんだよね」
「和子が鋭いんだって。先週のテリコの担当者覚えてる? デモなんて黙って来て、黙って売って、黙って帰ればいいんだ。店は関知しないなんて言っといて……」
「そこ!」木島の声が聞こえてきて、由莉葉は驚いてあたりを見回した。由莉葉の後二メートルあたりに木島がいた。
「よその店の悪口はやめてくれ。マルトモの社員食堂ではテリコの悪口がまかり通ってるなんて言われるのはまずいんだ」
由莉葉は唇を噛みしめた。ばつが悪くて口答えした。
「あら、木島さんは素敵だっていう話ですよ」
「そうかぁ」木島は斜に構えてみせてから、まっすぐに由莉葉を見た。
「これについては、よく説明してやらなきゃならんようだな。今日帰り待ってなさい。7時半に通用口ね」木島は一方的に約束して、行ってしまった。

 8時に三人はファミリーレストランに居た。木島の向かい合わせに由莉葉と和子が座っている。注文が終わって一息つくとおもむろに木島が言った。
「どうぞ」由莉葉と和子は何がなんだかわからない。黙っていたらさらに続いた。
「さっきの話の続きさ。店は関知しないなんて言っといて、それで?」
 由莉葉は迷った。本当に話を聞きたいのか、言えばとがめられるのか判断がつかない。和子を見るとまっすぐ木島を見ている。情報が足りなくて判断しきれないとき、和子はいつも正直に話す。由莉葉はあまりにもストレートに自分を出していく和子が、いつも心配でならない。長いつきあいのある由莉葉だからこそ、受け止められることがあるのに、和子の態度は相手によって変わるところが無い。今は由莉葉の言葉の続きを聞かれているから口を出さないが、和子なら正直に話すだろう。……では和子に一票。
「一時間毎に見回りに来るし、二時間毎に売上報告させるし、休憩はお昼を食べるのに30分くれただけだし、一日中監視されてるみたいで、本当に嫌だったんです。それでいて商品知識はろくになくって、新商品なんだから当たり前だろって態度で。言われてみれば、当たり前なんですが、最初に勝手にしろみたいなこと言っといて、それはないでしょうと思いました」
「やっぱりそういうの嫌? どうしてくれたら仕事しやすい?」
「一番欲しいのはやはり商品陳列のバックアップです。私たちは二人で仕事を取るのでかばいあえますが、普通は一人なので売り場を空けてバックに入るのは気がとがめます。特に売れているときは一秒も離れたくないというのが本音です」
「売れないからと嫌味を言われるのは困ります」和子が言い出した。「その日の天候や、お客様の流れ、よその店のセールなどでそもそも客足が少ないのに、私たちに文句を言われてもどうにもなりません。おたがいにつらいだけだと思います」
「ふーむ。そうだね」木島はいつのまにか手帳を取り出してメモを取っている。
「あの、木島さん? 私たちお説教されるんだと思っていたのですが」和子が真剣に聞く。
「ああ、あれ? 君たちをお茶に誘うための方便。君たち真面目だからああ言わないと来ないと思って。そりゃ、社員食堂の真ん中でよその店の話をはじめられちゃ、じゃーよそではうちのことを言ってるのかと思うから感じ悪いとは思う。でもさ、そうやってああだこうだ言いながら、いろんなこと覚えていくのが子供じゃない? あんまりめくじら立ててもね。仕事が終わったあとでこういうとこでしゃべる分にはどうでもいいよ」
「子供なんですか? 私たち」由莉葉はカチンと来て、木島に挑むような笑いを見せた。
「そういう反応、子供っぽいと思わない?」木島は微笑んで視線を返してくる。
 奇妙な緊張感がみなぎった。木島に子供だと思われると何か不都合なことでもあるだろうか。普通は「若い」というだけで男性から丁寧に扱われて損はない。「子供」という響きに「恋愛対象にならない」という含みを感じ取って、反発したのだと気がついた。「大人」として認めてもらいたい。でもそれは無理な相談だろう。木島は余裕しゃくしゃくで由莉葉の相手をしている。対等な恋人にはほど遠いだろう。
「10歳も年下じゃ、しかたないかぁ」由莉葉は笑いとばした。

 月曜日の放課後、由莉葉と和子はデモンストレーターの元締めの会社に向かった。由莉葉と和子は同じ高校で、同じクラス。学校は北武線の高見台駅にある。自宅は下って40分の池の下駅、会社は上って20分の下袋にある。仕事の場所はある程度選べるので二人は池の下から高見台の間で取るように気をつけている。仕事の交通費は請求できる。この区間なら定期を持っているので、まるもうけだ。仕事決めのために会社に行く交通費は「説明会に出た」という名目で支給されるが、給料をもらうための交通費はどこからも出ない。土日の仕事が終わると次の日に会社に行き、給料をもらいがてら次の仕事を決めるというサイクルなら無駄な交通費を出さなくて済む。
 事務所は雑居ビルの三階にあり、ワンフロアを使っている。入って左が社員スペースで、メーカーからの受注やクレーム処理などをこなしている。右手は仕事を紹介するためのレイアウトになっている。入って右の壁一面に四枚複写の仕事カードが、沿線別に並ぶ。真ん中奥は試飲コップやトレーなどの機材があり、仕事の内容に合わせて各自持っていく。左が会計と説明係の場所だ。まず会計を済ませて、由莉葉と和子は仕事カードを見にいった。
 いつもなら由莉葉がさっさと決め、和子が同じ店の仕事を探す。だが、今日の由莉葉はカードを見ながら放心していた。木島がいるマルトモ北浜田店のカードから目が離せないのだ。他に同じ店の仕事は無い。即座にやめるはずのカードだ。
 由莉葉は左後ろにいる和子の様子をうかがった。和子は左手を持ち上げて、耳の横に生えている髪を一束指にからめている。考え事をしているときの和子のくせだ。由莉葉の態度がいつもと違うので待つことにしたのだろう。由莉葉はこういうとき和子のやり方がありがたいと思う。由莉葉はいつも自分のペースでことを進めたがる。逆の立場だったら「どうしたの、どうしたいの」と問い詰めた挙句、「こうしなさい」とやってしまうだろう。
 和子とは小学校入学以来のつきあいだから、もう十年になる。付き合い始めの頃はペースが合わなくて、けんかばかりした。折り紙をしようと由莉葉が新聞広告を持ってくると、和子は裏が白い紙を選んでお絵かきをはじめたりする。和子が本を読んでいると由莉葉が外に引っ張り出して、かけっこやドッチボールをさせたりした。言い合いになって結局どちらかが帰ることも珍しくなかった。
 由莉葉が小学校の三年になったとき、父親が病気で亡くなった。専業主婦だった和子の母親は清掃の仕事に就き、由莉葉は学童保育に通うことになった。生活が一変して、今まで行き来していた友達と時間帯が合わなくなった。あとから仲間入りした由莉葉は学童保育で新しい友達を見つけるのが難しく、前の友達からも遠ざかってしまった。父親、友人と大事な人がいなくなって、由莉葉は落ち着きを無くしてしまった。学校ではいつもいらいらと命令するようになり、いつも誰かの近くにいたがった。(私から離れないで)としがみついた結果、由莉葉は誰からも疎まれるようになった。
 和子だけが、ずっと変わらなかった。学童保育は5時に終わる。家に帰っても7時までは一人だ。和子は由莉葉が帰宅する時間を見計らって、本を届けに来た。和子の門限は6時なのでほんの30分程度の時間だが、由莉葉と過ごした。土日はどちらかの家で過ごした。由莉葉が自分の意見を通そうとしても、和子は嫌だと思えばがんとして通さない。逆にいいと思えばとことん付き合ってくれる。
 時が経ち、由莉葉も落ち着いて人と接するようになった。もともとは面倒見の良い、社交的な性格だ。自分のことは自分でやらなければならなくなって、問題解決能力は伸びた。強引に我を通すようなところが無くなれば、誰も寄って来ないということはない。通常のつきあいに戻っていったが、由莉葉自身、本当に友人と呼べるのは、和子だけなのだ。
 由莉葉はカードから無理やり目を離した。二人で入れる別の店のカードを手に取った。和子は空想に夢中になっている間は何も目に入らない。しばらく待たなくてはならないかと、和子の様子を見てみたら目が合った。カードに住所や名前を書き込んで、二人で仕事決めのカウンターに向かう。女子社員が応対している。カードを出して、パイプ椅子に座ると、社員は手馴れた様子でパソコンにデータを入れた。
「あなたたち、メーカーさんからご指名が来てるわよ。イケスーのジュースだけど、やる?」
 イケスーと聞いて、由莉葉は血の気が引いた。おとといのトラブルが伝わっているのだろうか。でも、指名というのは……。
 パンの宣伝販売に行って二時間で完売した。同じメーカーの仕事を取り続けてアピールし、正社員になった。など伝説の先輩の話は聞いたことがある。メーカーに認められるにはそれなりに実績が必要だ。ろくにキャリアの無い高校生に指名が入るなんて、異例中の異例だろう。