矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

肝試し・後編(37枚)

 あれから七十年、俺の人生にも色々あった。二十歳になると兵隊検査を受け、問が悪いというのか中国との戦争が始まって、大陸へ持って行かれた。さんざん上官に殴られたり、弾の下を潜ってやっと敗戦となり、戻って見れば親父もおふくろもくたばっていた。それでも農地開放とやらで六反の田が俺の物となった。隣の村からあんまり見栄えのしない女を嫁に貰って、男女合せて五人の子をつくった。後はどうということもない百姓暮しを五十年続けて、女房にもさきに行かれ、今は長男夫婦の面倒になっている。それでも兵隊に出ていたので、お上から年金を僅かばかり貰っているから、贅沢をしなければまあまあの暮しだと思っている。
 孫は男一人。日本人のくせに毛唐のまねをして、髪の毛を茶色に染めている。ロックとか言うやかましい音楽を、二階の自分の部屋でがんがん鳴らしている。あんなものの何処が良いのか。
 ふと思い切って二階の孫に声を掛けた。
「おおい、爺さんはちょっとでかけようと思うが、付いてくるか」
 のっそりと階段を降りてくる孫は、よくもここまで育ったと感心するほ
ど背が高かった。昔風に言えば六尺をゆうに越えている。
「でかけてもここら辺は家ばっかりで面白くないよ。犬の糞を踏んずけるのが落ちだから止めとこう」
  成程言われてみればその通りである。都心から電車で一時間半という地の利もあって、すっかり東京のペットタウン化してしまい、昔の田園風景は見ようと思っても見られない。形だけはモダンだが、マッチ箱のような新興住宅が密集してしまった。
 かく言う俺の家も息子夫婦が住宅ローンを組んで、五年前に建てたものだが、大正生れには針の筵とまでは行かなくても、尻が落ち着かないものであった。
「おい純一。お前も車の免許を取ったと言ってたな。爺さんをドライブに連れていってくれないか」
 俺は急に胸騒ぎを覚えて何かに引かれるように言った。
「そりゃあいいけど何処へ行くんだい。親父の車を借りなきゃあいけないから、あんまり遠出はできないぜ」
 純一はのんびりした口調で言った。格好は今時の若者だが、ニュースでよく見るキレた高校生何て言うのは縁遠い気性のようで、それだけは儲け物だと思っている。
「それ程遠くじゃあないよ。隣の町に俺の子供の頃に知っていた人の墓がある。もうすぐお盆だし、もう一人はまだ生きているそうだから、見舞ってやろうと思い立ったんだ」
「ふうん。それならいいよ。ちょっと待っててね。親父にキーを借りて着替えをしてくるから」
 純一は素直にうなずいて、庭いじりをしている父親のほうへ行った。

                   ☆

 それから三十分後、俺と純一は借り出したクラウンを、青い稲の海が両側に広がる農道をゆっくりと走らせていた。
「爺さんの知合いというのはどんな人だったんだい」
 純一はハンドルを握って前方を見ながら問いた。
「それがちょっと分けありでな。もちろん俺の子供のころだから色っぽい話じゃあねえ。それより怖い話と言ったほうがいいかな」
 俺は気を持たせるように言った。純一はまだ高較生の癖に煙草を吸う。車内に煙が充満していたが、そんなことは気にも掛けないように聞いた。
「怖い話なら夏向きでいいじゃあないか。どんな話なのか向こうに付くまで退屈しのぎに話してくれよ」
 そういわれては話さない分けにも行かないので、八つの時の不思議な体験をかいつまんで話した。
「お祖父ちゃんの話が本当なら、そのおさよとかいう女の人を、火事のなかから助け出したのは何者だろうねえ。まさか梅次の亡霊と言うこともなかろうし。ところで墓参りをするって言ってたけど誰の墓なんだい」
 純一の疑問は当然であろう。かく言う俺もそれが分からないから、長い間心の隅にその晩の記憶を、おりのように溜めてきたのだ。大体あの晩拝み婆あの家が焼けたのに、村の連中や消防団は俺と権太郎が居なくなって山狩りや川の周りを捜索していたのだが、それに全く気が付かなかったという。明るくなってから消防団の若い衆が俺達五人を、拝み婆あの家の焼け跡に呆然と突っ立っているのを見付けたのだ。それから巡査に色々聞かれたが、本当のことは言えないので、俺と権太郎が肝試しをやろうと、山のなかに入ったところ道に迷ってしまい、元蔵親分に助けられたという筋書きを創ってごまかした。結局拝み婆あの荒屋が焼けたのは、灯明の不始末と言うことで片付いてしまった。
「おさよの墓に参ってやろと思ってな。結局おさよの病気は直らず、俺が兵隊に出ている間に川へはまって死んだそうだ。事故だったのか自殺なのか今となっては分からない。あの拝み婆あのところで火事にあってから十月十日で女の子を産んだよ」
 俺はもうもうと煙草の煙が篭った車内で、せき込みながら言った。純は一向に気にしない様子で、くわえ煙草のまま問い返した。
「その女の子の父親は誰なんだい」
「さあて、それも今になって詮索するのも馬鹿ばかしい気がするが、一番怪しいのはやっぱり二百三高地の梅次だろうな。おさよに通っていた回数は、あいつが一番多かったと大人共が話していたからな」
「その産まれた女の子はどうしたの」
 純一がぼそりと聞いた。
 実はそのことで一度、俺達の家族は崩壊の危機を迎えたことがある。というのはおさよの産んだ女の子は、俺の村では気味悪がって引き取り手がなかった。そこで村長が窮余の策として思いついたのが、いくばくかの持参金を付けて、隣村の子の居ない夫婦に養女にやることだった。
 後にその女の子を女房に貰ったのが俺と言うわけなのだ。なぜそんなややこしいことになったのか。ものの弾みとは怖いもので、復員してから俺は農地委員を引き受けた。権太郎も同じであった。
 農地委員というのはGHQの命令で、これまでの小作に地主の土地を配分する役目である。だから小作をやっていた者には頗る人気があったが、地主階級には毛虫のように嫌われた。
 そこで俺の嫁取り話に戻ると、おさよの娘の養女に行った先が、豪農という程でもないが、それでも二町歩の村畑を持っていた。俺と権太郎はどの程度小作に分けて、後を残すか何度も足を運んだ。先方の親父もGHQの命令だから仕方がないことは分かっていたが、それでも出来るだけ多く残そうと小細工をろうした。それが百姓根性というものであろう。親父はなかなか知恵の回る男で、俺と権太郎のどちらかに娘を嫁に貰ってくれと頼んだ。そうすれば俺達は小作の身分であったから、娘を嫁に貰えば結納替わりに田畑を付けてやろうというのだ。実質上は婿になるのだから、親父は目の黒いうちは、田畑を自分の自由にできると考えたらしい。
 しかし権太郎はその話はきっぱり断わった。どうも出征する前に約束していた女が居たのだ。その話が出てからすぐにどろんを決め込んだ。残るのは人の良い俺だけというわけだ。後は狸親父の思う壷にはまって、五反の一番痩せた田と、どう晶負目に見てもべっぴんとは言えない、おさよの産んだ娘を押し付けられてしまった。
 俺の長男がまだ高校生の時、何処にでも居る金棒引きが、母親の出生をしゃべってしまい、一時はぐれて東京に家出をしてしまったことがある。
 それを連れ戻してくれたのが、戦後の闇市で一族揚げた元蔵親分であった。親分は今は鬼籍に入ってしまったが、懐かしい想いでである。
 権太郎はどろんしてから四十年音信不通であったが、十年ほど前年賀状が来て隣町に戻っていることが分かった。駆け落ち同様に東京へ出たのだが、女に捨てられあちこちの建築現場を渡り歩いたらしいが、年には勝てず生活保護と年金で細々と暮していた。
「爺ちゃん、着いたよ。このお寺で良いんだね」
 純一の声で我に返った。見ると町に埋もれるように小さな寺があった。昔は田んぼの中の尼寺であったが、ご他聞に滴れず都市化の波で周りに住宅が建て込んでしまったのだ。おさよの墓はこの寺にある。羽振りの良かった元蔵親分が、男気で建ててやったものだ。
 車を降りて純一に声を掛けた。
「爺ちゃんはこれから墓参りをするが付いてくるかい」
「遠慮しとくよ。墓参りはどうも苦手でねえ。そこら辺をぐるっと回って三十分ぐらいで迎えに来るけどそれで良いかい」
 純一は運転席の窓から首をだしてそう言った。まあ仕方がなかろう。若い者に墓参りを強制したところでなんの易があろう。俺は黙ってうなずいた。クラウンは排気瓦斯の臭い匂を残して走り去った。
 俺は寺の前に、道を境えてある雑貨屋に入り、店番のついでに居眠りをしている婆さんを起こした。
「線香と花を一束くれ」
 婆さんは黙って、何年前に仕入れたか分からない線香と、枯れかけた花束を愛想の無い顔で突き出した。それでも千五百円請求するのだから、図々しいとは思ったが、仏のことで文句を言うのも大人気ないから、言うとおりに払って表へ出た。そして左右を確かめ道を渡って山門を潜った。
 さすがに寺の中は静寂な空気に包まれていた。木立を通って吹く風も涼しかった。おさよの墓に参るのは十年ぶりであったが、外界と違って寺の様子はちっとも変わっていない。それで案内も乞わずに庫裏の裏手の墓場へ直行した。おさよの墓はすぐ分かった。元蔵親分が一番羽振りの良い時に建ててやった墓だから、おさよには似つかわしくないくらい大きくて立派なものであった。戒名も院号付きの十文字という大袈裟なもので、知らない人が見たら、何処の大奥様のものであろうと首を捻る代物であった。
 おさよの墓に近付くと、年の頃二十五、六の妙齢の婦人がぬかずいて合掌しているのに気が付いた。なかなか上等の着物を看て白いパラソルを横に置いている。今時玄人でもこんな古風な格好をしている女は珍しい。まるで往年の小津安二郎の映画に出てくる女のようであった。
 女は俺に気が付く とすっと立ち上がった。そしてパラソルを拾いはすにさした。その姿がまた何とも言えない。顔も女優以上に垢抜けて奇麗であった。俺は年がいもなく震えが付いた。
「おさよさんのお知合いでございますか」
 女が鈴を振るような声で尋ねた。
「ええまあ、知合いと言えば知合いですがね。込み入った関係で一口じゃあ説明できませんよ」
 俺は汗をかいて手拭で額を拭いながら答えた。
「おほほほ、おさよさんの娘さんの旦那様でございましょう」
 女があまりずばりと言って退けたので、俺はびっくりして思わず奇声を上げてしまった。
「あんた、一体何者なんだい。まさか住いを追われた悪狐が化けてるんじゃあなかろうな」
 俺はそれだけ言うのがやっとだった。
「狐とはひどい。これこのとおり尻尾も生えちゃあいないでしょう」
 女はそういうとくるりと体を一回転して見せた。
「それだけじゃあまだ信用出来ねえなあ。神通力をもった古狐は、尻尾を隠すくらい朝飯前だというぞ」
 俺はいささか自棄ぎみになった。
「それじゃ聞きますけど、貴方は昭和三年の陰暦八月十日の夜のことを覚えおいでですか」
 女は意味ありげな徹笑みを浮かべて聞いた。
 俺はあの時のことは死んでも忘れない。あの夜に起こった不思議な事件が、その後の俺の人生に影響を与えたことは確かだ。おさよが学んだのもあの夜だろうし、その娘を嫁に買ったのも俺だ。
「だったら拝み婆あの家が焼けたのも覚えておいででしょう」
 女は俺の心を見透かしている。
「覚えているとも。しかし、村の連中や消防団が、家が燃えているのに気が付かなかったのがどうも解せねえ。それにあの炎の中から、おさよを救い出した奴が誰だったのか」
 俺はそこまで言って、思わず背中に氷を押し当てられたような気分になった。女の醸し出す雰囲気が、何か記憶の底に焼き付いているような気がしたが、やっとそれが浮び上がってきた。
「そうですよ。あの時おさよさんを救い出したのは私です」
 女は平然と言って退けた。
「こいつはお笑いだ。それが本当ならお前さんは、今八十以上の婆さんということになる。どうしても二十五六にしか見えねえ。ということは、お前さんは普通の人間じゃあねえと言うことになる。やっぱり狐か」
 俺はだんだん頭が混乱してきた。このままだと血圧が上がってぶっ倒れ昇天してしまいそうだ。まあ場所が墓地だから、お挑えというべきかも知れないが、俺は真実を知ってからでないと、行く所へ行けない気がした。
「こんなところで立ち話はお年寄りには身体に毒です。早く墓参を済ませてください。私が良いところへ御案内します」
 女はそう言った。語調は柔らかいが有無を言わせぬところがあった。俺はおさよの墓に線香と花を手向けると、合掌をして早々に女の後を追い掛けた。女は急ぐ様子もなく、ゆっくりとパラソルを回しながら境内を歩いた。そして山門を出ると、止めてあった赤いスポーツカーのところへ行き手招きした。俺は車のことはてんで詳しくはないが、左ハンドルの外車だから随分高いだろうなと思った。不思議なことは女の正体だけではない。
 確かに俺が寺に入る前にはこんな目立っ色の車は止まっていなかった。と言うことは、車がひとりでに走って迎えに釆たということになる。まだ無人走行の車が実用化されたという話は聞いていない。どこかに運転手が乗っているのかと、辺りをきょろきょろ見回したが、それらしい人間は見当たらなかった。よく考えてみれば、スポーツカーに運転手を頼む馬鹿も居ないであろう。
「早く乗って下さい」
 女は急き立てるように言って車のドアを開けた。俺は純一が戻ってくるのを待ちたかったが、それを口に出すと女を怖がっていると思われはしないかという、つまらない男の見栄がいて、ふらふらと車へ近付いた。
「こんな屋根のない車は初めてでね。どういう風に乗りゃあいいのかな」
 それが俺のせめてもの皮肉であった。
「どうぞ普通の車と同じ要領で乗ってください。屋根がないと不安なら幌を掛けます」
 女はそういうと運転席のボタンを押した。後ろから孔雀が羽を広げるように、ゆっくりと幌が起きてきた。その色も真っ赤であった。
 俺は度胸を決めると、二つしかない座席の右側へ滑り込んだ。女も着物の裾を優雅にさばいて運転席の人となった。
 車は軽快なエンジン音を響かせて発進した。
「さっき墓場で言った事が本当なら、あんたは普通の人間ではないという結論に達するがそれで良いのか」
 俺は強気なところを見せようと居丈高な調子で聞いた。
「それで良いんです。私は普通の地球人とは違うんですから」
女は見事なハンドルさばきで、国道を九十キロを出しながら言った。俺は何時パトカーが現われはしないかと、冷や冷やしながらバックミラーを覗き込んでいた。だから地球人という言葉を聞き漏らした。
「これから俺を何処へ連れていってくれるんだね」
「権太郎さんもまだご存命でしたね」
 女は俺の質問をはぐらかすように言った。だが俺もおさよの墓参りのついでに、権太郎を見舞ってやるつもりだった事を思い出した。
「うん、あれも色んな事をやって来たのだが、結局お上の世話になって、まだこの世にへばり付いているらしいよ」
「権太郎さんにも迎えを出しておきましたから、先方で会えますよ」
 嫌な言い方をすると思った。これは浄土からの迎えのようではないか。まあ俺も権太郎も年に不足はないのだから、本当に迎えが来ても文句は言えないとは思うが、こんな正体の分からない女に、何処へつれて行かれるか益々不安になった。
 車は何時の間にかインターチェンジを通って、東北自動車道を北へ向かつていた。拝み婆あが修行を積んだと言っていた恐山のことが脳裏をよぎった。車は快調に走り続けている。俺は何時の問にか睡魔におそわれ、深いねむりに落ちて行った。

                   ☆

 地球を周回する宇宙船があった。宇宙船といっても地球人の造ったごつごつしたものではなく、外壁は真珠色に輝いて、形は卵を少し引き伸ばしたようだ。中には計器らしいものはなく、間接照明で影のない光りが満ちていた。
 二人の宇宙人が、無重量状態でふわふわと浮遊しながら、会話を交わしている。その声は小鳥の鳴くように甲高かった。もちろん普通の人間ではその意味も分からないであろう。だからこれから書く宇宙人の会話は、日本語に翻訳したものだと思ってもらいたい。
「おい、A太郎よ。あの爺さんにはいたずらが過ぎたかな。何しろ八つの時からちらちらと俺達の存在をかいま見せたんだから。今またC子が人間の姿になってあんな車で恐山までドライブしてるんだ。これじゃあ爺さんびっくりこいて長生き出来ねえぞ」
 片方の宇宙人が、その大きな目をくるくると回しながら言った。
「確かにあの爺さんと、もう一人の権太郎という爺さんにゃあ、申し分けないことをした。でも人間という生物がどれだけ憎悪をうけて、生成り状態に陥るか調べてこいというのが、僕達三人に与えられた共同の卒業論文の課題だったんだから。うちの大学でも、あの教授の趣味の悪さは一番だろう。なあB助」
 もう一人の宇宙人が、空間を体を丸めてサッカーボールのように、宇宙船の後ろにある暗い穴に飛び込みながら言った。どうやらそこは地球風に言うとトイレだったらしい。
 「A太郎の奴、こと大学の授業の話になると、排泄したくなるんだから困ってしまう。おおい、あの爺さん達を恐山に連れて行って、C子は何をすると言ってた」
 B助は穴に向かって怒鳴り込んだ。
「さあてね。女のやることは俺達男には理解できん。教授の結論自体がナンセンスである。女子学生を宇宙船に同乗させるなんて、肝試しとしか言い様がないだろう。まあ恐山は日本でもUFOの目撃例が多いところだから、あの車を小型の宇宙船に切り替えてここへ来る気なんだろう」
 穴のなかからのA太郎の気張った声が響いた。
「おいおい、人間の爺いを二人もこの宇宙船に連れてくる気かよ。それでそのあとの始末はどうする気なんだ。ハリウッド映画の定版みたいに、俺達の星に連れていって動物園で飼う気かね」
 B助は呆れたように両手を広げて言った。やっと穴から這い出してきたA太郎は笑って言った。
「あのC子がそんな古臭いことをするかね。何しろ我が大学の創立以来の秀才と、教授連が太鼓判を押すほどの女だ。我々には想像の付かない考えがあるんだよ」
 A太郎は皮肉を交えて言った。
「その秀才が時代考証を間違えて、昭和二十年代の格好で地上に降りるんだから、教授連の目もあんまり宛にならないぞ」
 B助は辛辣であった。
 その時船内にコンピューターの合成音で警戒警報が流れた。
「物体が接近してきます。いかが処置いたしましょうか」
「おいおい、俺達の宇宙船は、人間のあらゆるセンサーで補足できないことになっているんだぜ。この馬鹿コンピュウターめ。先ず相手の正体を言え。それによって対処の方法が違ってくるんだ」
 B助は怒って、天井のコンピューター・ユニットを怒鳴りつけた。
「まあ、そう怒りなさんな。この宇宙船自体が建造されてから相対時間で二千年経っているんだ。地球のIBM社のスパコンの方がよっぽど性能が上なんだ。それで接近する物体は敵か味方か」
 A太郎は落ち着きはらって聞いた。
「はい、どうやらC子さんの上陸用ボートのようであります」
 コンピューターは、まるで一兵卒のような口調で答えた。
「俺達は軍人じゃあない。只の大学生だ。答え方に気を付けろ。おいA太郎。愈々おいでなすった。どうしよう」
 B助は取り乱して、そこらじゅうを跳ね回りながら言った。
「今更騒いだってどうなるもんでもないよ。C子にまかせよう」
 A太郎はいやに納まっている。さてはC子と裏取引したなと、B助が気が付いたときにはもう遅かった。C子のボートが母船にドッキングして、扉が開くとC子と俺が現われた。B助はてっきりしわだらけの老人が、二人現われると思っていたので二度びっくりであった。
「なによ。鳩が豆鉄砲をくらったみたいな顔をして。ははあ、私が人間の古いのを二匹捕まえてくると思ってたんでしょ。そうは問屋が卸さないわよ。相対性原理は知ってるでしょ。地球じゃあアインシュタインが発見したことになってるけど、私達の星じゃあ、それこそ相対時間で三千年も前見付かった古典科学の基礎常識よね。光りの速度に近い速さで飛ぶと、その乗り物の中の時間はゆっくり流れるというあれよ」
 C子はしゃべり出したら止まらない。
「ストップ。相対性原理の講義をしてもらわなくても、劣等生を任じている俺だって分かるよ。それとこの座敷わらし見たいな奴と、どう言う関係があるのか説明してもらおうじゃあないか」
 B助は気色ばんで尋ねた。側でA太郎がにやにや笑いながら成り行きを見守っている。
「さすがは劣等生、勘が悪いことね。つまり私はおさよさんの墓で会った爺さんをうまくたらし込んで、地球のスポーツカーに形を変えたボートに誘い込んだって分けよ。それから東北自動車道に乗って暫く走り、それこそ鈴木宗男じゃあないけど、熊しか通らないような山のなかで、ポートに姿を戻して上昇し、地球の外に出てハイパードライブで、百万光年先に行って戻ってきたらはいこのとおり、しわくちゃの爺さん変じて可愛い座敷わらしとござあい」
 調子に乗ったC子が長々と下手な口上を述べるのを、A太郎とB助はうんざり聞いていた。A太郎がおもむろに口を開き尋ねた。
「それでどうするんだい。時間を逆にして爺さんを子供に戻すことが、我々に与えられた卒業論文のテーマじゃあなかろう。我々の専攻は量子力学じゃあなくて、精神の働きは本当に脳で造られるものかだったはずだ。だから我々と体の構造が似て、文明が千年遅れたこの地球を研究対象に選んだのだ。そして百年地球の周囲を回りながら、人間には神秘的としか映らない現象を、色々と見せたり感じさせたりしてその反応を調べた」
 A太郎は教授の口調が乗り移ったかのように言った。だがC子はそれに動じない。
「へ理屈はもう沢山。結局精神というのは、シナップスに流れる微弱な電流の働きに過ぎないのよ。私は人間がなぜ宗教という不合理なものを捨て切れないのか、奇跡とか御利役とか言う形のない、科学では説明できないものに頼りたがるのか、その現象に興味をもったの。だから相対時間で百年、この坊やの村に人間には見えない姿で住み着いていたの。そうして仏教以前の土俗的な宗教を研究したの。そうしたら拝み婆あという存在を発見したの。あれは仏教と神道の混じった形態を取っているけど、実際は日本という靖家が成立するまえ、つまり卑弥呼の頃のシャーマンが原形なの。こんなことは柳田国男民俗学の本を、二、三冊読みゃあ分かることだけどね。次に興味をもったのが、明治からの日本人が古来からある神道や仏教をなぜ曖昧にしてしまったのかということ。特に戦後は日本には宗教は存在しないのと同じと言えるわね。仏教は軽視されて葬式のためにある様なものだし、神道は何かイベントの時に御払いをするだけじゃあないの。これじゃあ日本人のアイデンティティーなんて何処にあるのよ。そこで私はもう一歩掘り下げて考えた。キリスト教ユダヤ教イスラム教等一神教を信仰する欧米世界が、日本という国を骨抜きにするための陰謀だとね。彼らが一番恐れるのは、精神の不滅を否定する虚無主義なのよ。だからその総本山たる仏教が、自分の縄張りであるヨーロッパに広がるのを必死で防衛したという分けよ」
 A太郎とB助はお互いに顔を見合せた。
「おいB助。C子の言うことが分かるか。仏教を一神教を信じる連中が恐れるのはなんとなく分かるが、ユーラシア大陸にへばり付いたような島国のアイデンティティーを恐れる気持が理解できない。まあ地球の連中は文明的には千年遅れているのだから、個としての魂の滅亡の恐れを、宗教という形で紛らわしていることは分かるがね。それが民族同志の争いの種になるんだから皮肉なもんだ。我々みたいに個という概念を捨てれば、随分気が楽になると思うんだがそれには千年以上掛かるだろうなあ」
「A太郎君には私の考えが大体理解できていると思うわ。先ず人間はキリスト教ユダヤ教イスラム教等という一神教を捨てるべきなのよ。そして釈迦の教える宇宙観を受け入れるの。人間が宇宙の中心じゃあないという積極的な虚無主義に立ち、その上で自然を見直すの。そうすれば地球上の民族主義がどれほど愚かなものか、少しは理解できるようになると思うけど違うかしら。おさよさんに生成り状態になって貰って、富蔵の魂魄がいかにも乗り移ったように見せた私の実験は、半分成功して半分は失敗ね。だって二百三高地の梅次さんが、おさよさんの所へ通ってきてあんな嫌らしいことをするんだもん」
 A太郎はそれを聞いて吹き出した。しょせん人間より文明が千年先を行っていると言ったところで、男と女に別れている以上セックスの問題は難しい。それこそ釈迦に相談したいくらいだ。
「まあまあそう悲観したもんでもないよ。昭和三年八月十日の事件についての。C子の処理は見事なもんだった。あの晩二百三高地の梅次が、おさよの所で気張りすぎ、脳溢血を起こして腹上死したのは予想外で、俺達も随分慌てたもんだ。何しろ権太郎とこの坊やに目撃されていたもんな」
 A太郎はそう言って、八っに戻り宇宙船の無重量状態を楽しんでいる俺の方をちらっと見た。
「そうそう。二百三高地の梅次の死体を、空間スボイラーで四次元に吹き飛ばし、おさよの膣に冷凍保存していたA太郎の精子を、送り込んだお手並みはマジシャンも舌を巻く仕事ぶりだったからなあ」
 B助はからかうように言ってC子の顔を覗き込んだ。
「それからが大変だったのよ。おさよが権太郎とこの坊やを追い掛けて、山の中に追い込んだから村中の大騒ぎになってしまったのよ。元蔵親分の采の目を細工して負けるように仕組み、あの山道で出会うようにしておいて、私は拝み婆あの家の天井真に忍者のように潜んで、ころあいを待って火を付けたのよ」
 A太郎が俺の方へ空中を泳いできた。そしてそっと抱き取ると感無量という表情で顔を覗き込んだ。
「これが俺の子の婿か。何だか実感が湧かないな。大学の教授連中に知られたら即退学処分だろう。このことはくれぐれも内緒に頼むぞ。あの一件じゃあ、俺も村の連中の頭から、拝み婆あの家の焼けたことと、二百三高地が行方不明になってしまったことの、記憶を消したという功績があるんだからな」
「何が功績だい。お前の隠し子を地球に残して居ると分かったら、将来はあんまり明るくないぞ。口止め料は高く付から覚悟しろ。さてこの座敷わらしを宇宙船まで連れてきて、一体どうする気なんだ」
 B助は俺を穴の開くほど見詰めて言った。
「この坊やも、あの時の不思議な体験の本当の理由を知りたいだろうと思ってね。坊やと言うのは失礼か。もう地球の年令では八十才を越えているんだから。私達のいたずらのせいで、宇宙人の血が混じった女を妻にしたんだからねえ。それが良かったのか悪かったのか、人生を振り返って見る権利はあると思うの。私達の精神的価値観によれば、死んだら極楽とか地獄はなくて無なんだから、脳細胞が働いて意識を持っている内に、その権利を行使しなくちゃあ、生きてきた意味がないでしょう」
 C子の言うことはもっともなようで、どこかピンボケだと男二人は思うのだが、余りの迫力に反論できないのだ。
「分かったよ。それで、この坊やはこのまま俺達の星に連れ行く気じゃあ無かろうな」
 A太郎はそれだけ聞くのが精一杯だった。何しろ卒業論文を書くためにはるばる五億光年の空間を旅してきて、子供を連れて帰ったんじゃあお笑い草もいいところだ。
「勿論地球に帰すわよ。坊やこれだけは覚えて置きなさい。地球人類が自分たち仲間同志の殺しあいで滅びずに、文明を発展させて私達のように宇宙空間を自由に飛び回るためには、神の存在は外にあるんじゃなく、自分の脳の前頭葉で作り出しているものだと言うことをね。宗教という呪縛から逃れる努力を、怠らないようにすることを忘れずに子孫へ伝えなさい」
 C子はそれだけ言うと俺の顔にハンカチのような物をし当てた。そうすると良い匂がして俺は急に眠くなり、深い穴に吸い込まれるように意識を失った。

  ☆

「爺ちゃん、着いたよ。ここで良いんだろう。良い気持で寝ていたねえ」
 俺は純一の声で目が覚めた。気が付いてみるとクラウンの助手席に寝ていたのだ。目のまえにはおさよを葬った小さな尼寺がある。
 どうして妙な夢を見たんだろう。やっぱり俺の潜在意識の中に、八つの頃のあの晩の思い出が、強烈に焼き付いて居るのだろう。
「ああよく寝た。じゃあ爺ちゃんは墓参りをしてくるけど、お前も付いてくるか」
 俺は背伸びとあくびを一緒にしながら純一に声を掛けた。
「遠慮しとく。墓参りなんて苦手でね。三十分ほどしたら迎えに来るよ」
 純一は夢の中と同じ返事をして俺を降ろし、どこかへ走り去った。
 その寺のまえには夢で見たのと同じ小さな雑貨屋があり、婆さんが居眠りをしていた。
 俺は財布の中から千五百円を取り出し、線香と枯れかけた花束を注文した。婆さんは値段を良く知って居るなという、けげんな表情をしたが黙って品物を渡した。
 俺は国道を隔てた寺の山門の前で足を止めた。そしてあの夢を反すうした。夢だからその内容は突飛なものだったが、余りに鮮明であった。もしあれが実際に起きたことならどうしよう。まあこの年になって今更どうすることもできないか。だが純一の中に宇宙人の血が流れているのかと思うと、複雑な心境だ。
 今の日本は何か閉塞状態に陥っている。だから宇宙人の言ったように根本的な意識改革をしないと、ジリ貧でこのまま滅びてしまいそうだ。純一のような宇宙人との混血の若者がほかにも居てそれが集まり、日本を変えてくれればと、荒唐無稽なことを想像しながら山門を潜った。
 寺内の裏手にはおさよの墓があることは当然だったが、何となく俺の足は重かった。まだ夢の続きを見ているような、地面に足がつかないふわふわした気分で、漸くのこと庫裏を周って墓地の見えるところまで釆た。
 おさよの墓を見る勇気がなかなか湧いてこない。
 漸くのことでその他の墓より二倍も背の高い竿が目に入った。俺はゆっくり視線を降ろして行く。
 案の定墓のまえには白いパラソルを横において、ぬかずいている女が居た。その横に権太郎がこちらを向いて、懐かしそうに人懐つっこい笑いを浮かべて手を振っていた。
 権太郎は随分年取っていた。俺もお互い様ではあろうが、白髪がぽやんと頭の上に逆立って、体はまえ屈みになりステッキで支えていた。それでも看ている物は随分上等で、俺より裕福なようだ。とても年金暮しの人間には見えない。
 女に体を支えられて向こうから近付いてきた。
「健坊も元気そうで何よりだ。急に思い付いておさよの墓参りをする気になったのは、何かのお引き合わせかな」
 権太郎はそう言ってにやっと笑った。
「おいおい、この年になって健坊は止めてくれ。お前さんが参ったのなら同じこった。ここで手を合わせておくよ」
 俺はそう言って手を合わせながら、上目使いで女の顔を見た。パラソルの陰になってはいるが、夢で見たC子という宇宙人の女子大生に似ているような気がする。権太郎は、俺が女の顔を繁々と見詰めているのに気が付いて、言い訳するように言った。
「ああこの人か。俺の住んでいる町の日本舞踊のお師匠さんだ。何彼と俺のことを気にかけて、今日も車で送ってくださったんだよ」
 権太郎ほそう言ったが、俺がこの寺に入るとき山門の周りにそれらしい車は見えなかった。
「折角ここで出会ったんだから、このまま別れるのも惜しいな。その辺の小料理屋で旧交を暖めるか」
 あの大工の弟子の権太郎が、随分難しい言回しをするようになったものだと、俺はおかしくなった。
 山門を出て驚いた。そこには夢で見た赤いスポーツカーが止まっていて何時の間に戻ったのか、純一がそれを珍しそうに眺めていた。
「あっ、あれを御覧なさい」
 と、女が指差した。紺碧の空に真珠色の物体がふわふわと浮いていた。
                      終