矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

続・肝試し(3)39枚

「我らに何をさせる気じゃ」
 時光が憮然とした表情で聞いた。
「なあに、それほど難しい芸当は要求はしないよ。私が合図したらいかにも悪役面で、おまささんをあの百姓家の方へ追い掛けておくれ」
「おいおい、そんなことをしたら、我らが立て篭もっている連中に、飛び道具で狙い撃ちされるんじゃあないのか」
 時光は頭の中に、自分達がレーザーガンで撃たれ、黒焦げになって転がっている姿が浮かび、ぞっと背筋を寒くしながら言った。
「まあ多少の危険はあるかもしれないけれど、私達が持っているような武器は彼等には無いと思う。火薬で弾丸を発射する鉄砲と言う武器だから、出来るだけ姿勢を低くすれば、当たる確立は少ないと思うよ。じゃあそろそろ始めるか」
 メリーは自分だけが分かっていて命令を下した。おまさは赤ん坊を抱いて、百姓家へ向かって走り出した。そして叫んだ。
「助けてえっ」
「何をぐずぐずしているんだい。打ち合わせどうりに出来るだけ恐い顔をして、 追い掛けてもらおうか」
 メリーは男達を急き立てて言った。言われた男共は、何がなんだかさっぱり分からないまま、おまさの後を追い掛けた。
「声が足りないよ。もっと悪党らしく叫んで叫んで……」
 メリーが後ろからかなきり声を上げた。男共は仕方なく、腹に力の入らないまるで雄牛が、下痢をして居るような情けない声を上げて、しぶしぶおまさの後を追った。案の定百姓家からは、ポンポンと乾いた銃声がして、弾が飛んでくる。
時光の頭の上三センチの所を、ビューンと風を切って通り過ぎた。
「うへい。何だってこんな目に会わなきゃあならないのだ」
 時光は泥亀のように首をちじめて言った。其の間におまさは赤ん坊共々、百姓家に潜り込んだ。
「作戦終了。一応ここまではうまく行ったね。皆引き上げていいよ」
 メリーが満足げに微笑みながら叫んだ。だが男共はそれ所ではない。ビヤダル等は樽の栓が抜けて漏らしてしまった。
「これだけの命を張る値打ちがあったのかな。おまさをあの家に送り込んで、これからどうする気なのだ」
 時光はさすがに戦国の武将だから、落ち着いた様子でメリーの潜んでいた茂みまで帰ってくると、皮肉の混じった質問をぶつけた。
「細工は隆々仕上げをごろうじ。あの赤ん坊にちょっと細工をしたからね」
 メリーはそう言いながら、懐から携帯電話のような妙な物を取り出した。そしてスイッチを入れた。暫くするとそのスピーカーから、何やら妙な言葉が飛び出してきた。勿論時光や一休には、その意味する所は分からない。英語だからだ。それに混じって赤ん坊の泣く声も聞こえる。
「中の連中が話して居るのは何処の国の言葉だ。そして何と言って居る」
 時光はメリーに聞いた。
「日本から遠く離れた英国と言う国の言葉だよ。勿論話している連中は、アメリカ合衆国と言って、今から三百年後に英国から独立した。今の時代には陰も形も無い国の、軍隊の将校だけどね。話の内容は、急に飛び込んできたおまささんと赤ん坊の取り扱いを、どうするか大分弱って居るようだよ。そこがこっちの付け目なんだけど、レディファーストも困ったもんだ。偽善者め」
 メリーはそう言って舌打ちをした。当然時光にはメリーの言う事の半分も理解出来ない。だが孫子の兵法にも、敵の意表を突くものを送り込んで、混乱させる遣り方が書いてある。メリーの兵法の才能を侮れないと思った。
「それで姐さん。これからどういう作戦に出る気なんだ」
 時光が本気になってメリーに聞いた。
 その時携帯無線のスピーカーから、おまさのけたたましい叫びが飛び出してきた。
「ネエチャン、助けてえっ」
 其の声を聞いたメリーは、待っていたかのように茂みを飛び出した。そして一目散に百姓家へ走った。分けの分からぬまま、男四人も後へ続いた。
「それで中へ入ったら、あの曲者はどうするのじゃ。斬って捨てるのか」
 走りながら時光が大声で聞いた。
「まあ、その時の様子にもよるけどね。成るべくなら生かして捕まえたいよ。色々尋問もしたいしね」
 メリーはそう答えると、素早く百姓家のくぐり戸を開けて、レーザーガンを腰だめに構え飛び込んだ。後に続く時光は抜刀しており、一休は何時の間にか長刀を振りかぶっていた。バットとビヤダルもへっぴり腰で付いてきた。
 中の様子は暗くて、暫く目が慣れるまで分からなかった。それでも其処がかなり広い土間であることは、足の感触で知れた。
「おい、おまささん無事かい」
 メリーが辺りに気を配りながら声をかけた。すると奥の暗闇に人の動く気配がした。メリーはそっちへレーザーガンの銃口を向けた。
「あたいだよ。撃たないでおくれ」
 おまさの声がした。やがて赤ん坊を抱いたおまさが、暗闇から浮き出すように現れた。赤ん坊の泣き声が急に大きくなった。
「分かった分かった。で、ヤンキー二人はどうしたい。私の作戦がうまく行ったら、そこいらへ伸びているはずなんだけどね」
 メリーはそう言いながら、やっと暗さになれた目で辺りを眺め回した。
「赤ん坊に何か仕掛けたのか」
 時光も油断なく身構え、同じく辺りをねめ回しながらメリーに問い掛けた。
「ちょっとした細工をね。赤ん坊の懐に小型催眠弾を入れておいたんだ。案の定赤ん坊に手を焼いてあやしたのが運の尽き。時限装置が働いて催眠ガスを吹き出し、そこらで白河夜船だろうよ」
 メリーは自慢げに鼻を蠢かしたが、そう目論見どおりにうまく行くとは限らない。それが証拠に奥の暗がりの中から、自動小銃を構えた例の二人がぬっと現れた。メリーは慌ててレーザーガンを構え直そうとしたが、一瞬早く自動小銃の銃声が聞こえ、足下の土間に土煙があがった。
「其処を動くな。今度妙な行動をとろうとしたら、遠慮無く射殺するからそう心得ておけ」
 ヤンキーの一人が勝ち誇ったように叫んだ。そしてメリーに近づくと、レーザーガンを取り上げた。
「どうして赤ん坊に催眠弾が仕掛けてあると分かったんだい」
 メリーはそれでもあんまりがっかりした様子も無く、あっけらかんとヤンキーに問い掛けた。
「我々を見くびってもらっては困るな。アメリカ陸軍の精鋭部隊に属する人間だ。あんな子供だましの罠にはまるはずが無い」
 ヤンキーは銃を構えて、ゆっくり後すざりしながら言った。
「ふふふふふ。でもやっぱりエイリアンの私達に近付いているのは、あんまり気持ちが良くないようだね。何時体が軟体動物のように変形して触手を伸ばし、絞め殺すかもしれないと思っているんだろう」
 メリーはからかうようにそう言った。どうも図星を指されたとみえ、軍人の二人は、どきっとした表情になって顔を見合わせた。
「安心おし。私達はお前さん達の国の、安手のコミックに出てくるエイリアンとは物が違うんだ。宇宙に通じる共通の常識に従えば、軟体動物はこんなに高度な知能は持てないんだよ。目は二つ手足は二本づつでないと宇宙船を造って、こうして他の惑星にまで進出する事は難しいのさ」
 メリーは落ち着いた様子で、宇宙生物学の講義を始めた。ヤンキーはうんざりした表情で手を振った。
「よせよせ、こんな所で生物学の授業は始まらん。それより命乞いをした方がいいぜ。ただしそれには見かえりが結構高く付くがな」
 勝ち誇ったように、ヤンキーの軍人は高笑いとともに言い放った。
「見返りというのはどんなことだい。あたしの体がご所望と言うんじゃあなかろうね」
 メリーは其の高笑いを軽蔑するように、鼻を鳴らして言った。
「ちえっ、ヨセヤイ。いくらこっちが好き者でも、エイリアンを抱こうとは思わないよ。変な病気を貰ったら大変だ。見返りというのは、お前達の母船の設計図だよ」
 軍人はまだ薄笑いを浮かべながら言った。
「ふん。やっぱりそう来たか。私達の宇宙船の構造を調べて,人殺しの道具を開発する魂胆が見え見えだよ。軍隊なんて新兵器を開発しては、次の戦争を企む組織と決まってるんだ。もっとも地球ばっかりではないけどね。かくいう私達の世界の軍隊も、同じ事を企てていると思うね。それが証拠に私達大学生を研究と言う名目で、こうして地球へ送り込んでいるんだから……。このくらいで雌雄を決しようではないか。睨み合ってもきりがないからね」
 メリーはそう言うと何やら不気味な微笑みを浮かべた。
「戯言を言うな。お前達の武器は取り上げた。雌雄はとっくに決まっている。これ以上つべこべ言わずに、命が欲しいなら設計図を渡せ」
 軍人は二人共、むかっ腹を立てて、自動小銃銃口をメリー達に向けた。
「軍人の一番戒める所は何処だか覚えているかい」
 メリーは慌てず騒がず、相変わらずの微笑をたたえて言った。
「そんなこと分かっている。情況を冷静沈着に判断して行動する、これが軍人の本分だ」
 それを言う一人の方は、メリーが余り落ち着き払っておるので、薄気味悪そうにもう一人の賛同を求めた。
「頭じゃあ分かっているらしい。だけどあんた達、赤ん坊のおむつの中まで調べたかい。恐らく臭いから調べなかったろう。それがあんた達の負けの原因だよ。それっ、みんな逃げよう」
 メリーはそう叫ぶと、百姓家を一目散に走り出た。後の連中は何がなんだか分からなかったが、とにかくメリーに続いた。一番後ろの時光がやっと其の家を走り出た一瞬、轟音とともに其の百姓家は爆発を起こし、紅蓮の炎を上げて燃え出した。爆風が皆のからだを吹き飛ばし、おまさ等はころころと転がって、数十メートル離れた井出にはまり込んだほどだ。メリーは素早く駆け付けて、おまさを井出の中から引っ張り上げてやった。
「うわあっ、ひどい目に会った。それにしても可哀相に、あの赤ん坊のおむつの中に、あんな物を仕掛けられて、今ごろは昇天しているよ。南無阿弥陀仏……」
 おまさは濡れ鼠になって、燃え盛る家を眺めながら念仏を唱えた。
「勿論あの赤ん坊は可哀相な事をしたけど、ああでもしないと相手はヤンキーの猛者だからね。まともに白兵戦を挑んだら、こっちに勝ち目はなかったよ」
 メリーは言い訳するようでもなく、平然と言ってのけた。時光はこの女の冷酷さを改めて思い知らされ、背筋が冷たくなる思いがした。百姓家は炎を上げて燃え盛り、火の粉がバラバラと降ってくる。
「いかん。このまま居ると火傷をするぞ。逃げた方が良いのではないか」
 一休は衣の袖で丸い頭を覆いながら叫んだ。
「そりゃあそうだ。火傷は御免被りたいよ。とくにあたいみたいな女の子はね」
 おまさは濡れ鼠の着物を脱いで、スッポンポンになって、平気な顔で一休の言葉に賛同した。おまさと言うのも相当な玉である。
「皆逃げろ」
 時光が号令をかけると、それを切っ掛けに其の場に居た連中は、一散に引野廓の方角へ走り出した。其の後ろからどうっと言う、百姓家の燃え落ちる轟音がした。

 それから二日ばかり後。ここは地球の周回軌道をめぐる、三人乗りの宇宙船の中、但し乗り込んでいるのは一人増えていた。其の一人というのはおまさであった。物珍しげに無重量の宇宙船の中を、ふわふわと漂いながら窓の外を見ている。其処にはとてつもなく大きくて青い球体があった。勿論地球である。
「へえっ。あれがあたい達が住んでいた世界なんだ。あたいの住んでいた因幡国の八上郡は、どの見当になるんだい」
 おまさは無邪気に尋ねて、窓から目を離さない。
「今はアメリカの上だから、もう三十分くらい経たないと、日本の上を通らないよ。その時が来たら教えてあげるから、もう少し待ちなさい」
 メリーは嫌に優しい調子で言った。バットとビヤダルは、薄気味悪いと言った表情で、お互いに顔を見合わせた。大体何のためにこんな厄介者を宇宙船に乗せたのか、メリーの魂胆が分からない。おまさは無重量状態が面白いらしく、宇宙船の中をあちこっちと飛び回っている。沢山あるスイッチをいじらなければよいがとそれが案じられる。
「おい、メリー。あの雌河童をこの宇宙船に乗せた理由を聞こうじゃないか。返事次第じゃあ追放処分にするぞ。この原始的な地球に、置いてけぼりになるのが嫌なら正直に答えろ」         
 バットが高圧的な態度でメリーに詰め寄った。メリーはまるで燕が空中でひらりと返るように、バットの臭い腋臭から逃れ、おまさの側によって抱きしめながら、からからと笑った。
「はははっ。バット、お前さんに私を追放する権限があるとは驚いたねえ。そんな大学の規則は無かった筈だよ。でも、このおまさちゃんを宇宙船に乗せたわけが知りたけりゃあ教えてやろう。人間と言う種族にたいする肝試しだよ」
「肝試しっ、何だそりゃあ……」
 バットとビヤダルは悲鳴に近い叫びを上げた。確かに宇宙船の船長はメリーと言う事になっている。下手な事を言って、薮から蛇をだしたくないと後悔が頭をかすめた。しかしメリーはその事には触れず、おまさの顔を覗き込みながら言った。
「ようく見てごらん。どんな種族でも子供のうちは無邪気で可愛いもんだ。それが大人になると、やれ権力欲だとか、物欲にけがされて醜くなっちまう。地球人だけじゃあないよ。私達だって同じことさ。悲しいけどねえ。ただこの地球はまだ若い。これから文明の進みかた次第じゃあ、私達の惑星みたいな、醜いことにはならない可能性があると思ってね」
 メリーは何だか哲学者のような事を言い出した。まあバットもビヤダルも、大学のやり方には疑問を抱いている。メリーが続けて言った。
「なぜ私達はこの地球と言う銀河系でも辺境の、文明の発達していない原始的な惑星へ送り込まれたと思うの」
「それは大学の授業の一環だろう。原始的な惑星を観察する事で、自分達が生きている意味を理解するためだと、教授は言っていた」
 ビヤダルがふわふわ、まるでアドバルーンのように浮遊しながら、甲高い声で言った。
「あんた、お目出度いわねえ。それを真に受けているの。表向きにはそういうことだけど、あたし達は国立大学の学生よ。国がそんなことに予算を割くと思っているの。裏があるのよ。陰険な裏がね」
 メリーは何もかも悟りきっている哲人のように言った。
「裏と言うとどういう裏なんだい」
 今度は細長い風船を飛ばしたように、バットがそこいらじゅう、宇宙船の中を飛び回りながら言った。
「卑しくも大学生と言う肩書きを背負ってるんだから、頭を使ってみなさいよ」
 メリーは度し難い連中だと、舌打ちしながら言った。
「そう言ったって、俺達をこんな辺境の惑星に送り込んで、政府にゃあどんなメリットがあるんだろうねえ」
 バットとビヤダルは、やっと興奮が納まったとみえ、宇宙船のコンソールパネルの脇に並んで声を揃えて聞いた。
「政府は私達の星が、温暖化と人口爆発で、何れは何処かの原始的な惑星に、移住しなければならないと思っているのよ。そこで大学生の実習と言う名目で、私達をこの地球に送り込み、移住に適しているか調べさせていると言う訳なのよ。私達にしてみれば、とんだ迷惑なんだけどね。国立大学でおまけに奨学金を貰っているとなりゃあ、文句も言えない立場なのよね」
 メリーはぼやくように言うと、大きな溜め息を吐いた。
「しかし、俺達はそんな事は知らないよ。お前さん、何処からそんな事を仕入れたんだい」
 バットが呆れて、その細い身体をぶるぶる震わせながら聞いた。
「あたしだって最初から知ってた分けじゃあないわよ。ひょんなことから教授とややこしい仲になってね。ベットの上の話で知ったと言うお粗末よ」
 さすがのメリーも、この時ばかりは顔を火照らせて言った。
「おいおい、あの禿げ頭とそんな仲になっていたのか。お前さんも随分趣味が悪い女だよ。そうするとこの地球は、政府の基準に照らし侵略の条件に合っているのかい」
 バットはまだ震えながら聞いた。
「それがどうもね。先住民族、つまり地球人の民度が良く分からないのよ。二十一世紀には、巡航ミサイル何ていうハイテク兵器を開発して、自分の気に入らない独裁国家に撃ち込んでいる。この矛盾をどう解釈すればいいのか、悩んでいるのよ」
メリーがその細くてしなやかな身体をくねらせ、宇宙船の中を浮遊しながら言った。
「別に悩む必要はないと思うがね。どんなハイテク兵器を持っていたって、同じ人間と言う種族どうしが、殺し合いを遣っているようじゃあ、先の見込みが無いねえ。そんな先住民に遠慮する事はない。滅ぼしてしまえば話は簡単だ」
 ビヤダルはそのまるい顔に、残忍な笑みを浮かべて言った。
「ちょっと待ってよ。其の論理は可笑しいじゃあない。それでいくと私達も、地球人と同じレベルの、野蛮な種族だとみとめる事になる。かといって政府の方針は変わらない。其処が悩ましい所なのよね」
 メリーは浮遊しながらおまさを見つめている。おまさはまた無邪気な様子で、宇宙船の窓から地球を覗いていたが、振り返るとメリーに質問をした。
「お姉ちゃん。もうそろそろあたいの居た、大八州の形が見えてくるんじゃあない」
「そうだね。大八州とは古臭い呼び方だけど、おまさちゃんの時代ではそう呼んでいたのか。あそこに見える何といったらいいか、そうだ、竜の落し子みたいな形の島が見えるだろう。あれが日本列島だよ。そして因幡国はちょうど竜の落し子の背中辺りだよ」
 メリーの説明は的確とは言えなかったが、おまさは其の大陸にへばりついた、小さな四つの島をじっと眺めて居た。そしてぽつりと呟いた。
「あんな小さな所で、やれ天下統一とか言って、人殺しを遣っているのが、何だか馬鹿馬鹿しくなって来るね。あたいも親の仇だと目黒伝之助を呪ったのが、今となりゃあ空しいね」   
 それを聞いてメリーは、何だか頭の後ろをガツンと殴られた気がした。
「そうだ。おい、バットとビヤダル……。私は決心したよ。だけどお前さん達を道連れにする気はないから、嫌だったらここで別れよう。緊急脱出用の艀を貰うよ」
 ビヤダルはそれを聞いて、丸い身体をいやが上にも弾ませて、宇宙船の中を飛び回りながら叫んだ。
「おいバット。緊急事態だ。亜空間通信で我々の母星に連絡しろ。メリーがとち狂って何をしでかすか分からない。すぐに救助隊を派遣しろとな」
 バットの方は少し冷静で、悠然と空間を浮遊しながらビヤダルを窘めた。
「落ち着けビヤダル。今から救助隊を呼んだって、メリーを止める事は出来ないよ。それより我々三人が、この地球に派遣されたのも何かの悪縁だ。こうなったら最後まで、一蓮托生と行こうじゃあないか」
「さすがにバットは男だねえ。まあ格好からして雄のシンボルだから当たり前か。さてそうと決まったら行くよ」
 メリーは最後まで軽口を叩くと、宇宙船のコントロールパネルの操縦桿を前に倒した。宇宙船は見る見る高度を下げ、大気圏に突入すると熱して真っ赤に色を変え、後ろに炎を引いて地球へ突っ込んでゆく。と、ふっとかき消すように其の姿が見えなくなった。
 次に現れたのは、時代も所も分からない、とにかく硝煙と轟音が響く戦場であった。
 宇宙船は両軍が撃ち合っている其のど真ん中に現れたので、戦いは一時中断した。どうやら鉄橋を守ろうとしている側と、それを奪還しようとしている軍の真ん中だった。宇宙船は幅三百メートル程の川の真ん中にぽっかり浮かんで、まるで桃太郎のおとぎ話の、大きな桃のように見えた。敵味方が唖然とするはずである。暫くの静寂が訪れた。
「ここは何時頃の何処なんだい」
 ビヤダルが宇宙船の窓から外を覗きながら言った。
「コントロールパネルの表示を見りゃあ分かるだろう」
 メリーは愛想のないつっけんどんな 調子で言った。
「ええと、二千三年三月と出ているぞ。場所はイラクか」
 バットが無表情に、計器に出ている数字を読み上げた。
「馬鹿馬鹿しい。人間の歴史で最もくだらない戦争を見に来たのか。アメリカの父っちゃん坊やと、ならず者の喧嘩だぜ」
 ビヤダルが吐き捨てるように言った。
「だから良いんじゃないの。戦争はどんな大義名分を付けたって、殺し合いに違いないんだから……。おまささん、これからこの船を三百メートル程高度を上げて、地上の様子をよおく見ておきなさい。あんたの時代とは六百年未来の戦争が、どんなに残酷で下らないものかをね」
 メリーはおまさに向かって、そう言いながら宇宙船を上昇させた。宇宙船が巨大なシャボン玉のように、ユーフラテス川の上に浮かぶと、どちらからとも無く、対空火器が火を吹いた。宇宙船はそんな物をものともせず、スピードを上げて砂漠の上を飛行した。下には砂煙を上げて疾走する巨大な自走砲の姿があった。そして累々と転がる兵の屍も手に取るように見えた。後ろから黒い怪鳥のようなヘリコプターが追跡してくる。ダダダッと言う機関銃の発射音がして、弾が宇宙船に命中した。だが宇宙船は、それをまるで吸い取り紙がインクを吸収するように飲み込んだ。
「アパッチか。ふんっ、対戦車用のヘリコプターが、あたし達を撃墜出来るとでも思っているの」
 メリーは鼻であしらうように言うと、コントロールパネルのボタンを押した。宇宙船の後部から強烈な光が発射され、ヘリコプターを包んだ。そしてヘリコプターは空中で蒸発した。恐らく乗っていたパイロットは、自分の身に何が起こったか分からないまま昇天したことであろう。
「次は戦闘機でも飛んできたら厄介な事になるぜ。大体こんなくだらない所へ遣ってきた理由は何だ」
 バットはメリーの行動が理解出来ないので、腹立たしそうに言った。
 案の定宇宙船の上空に、アメリカ空軍ご自慢のステルス戦闘機の、黒い不気味な巨大なエイのような姿が現れた。
「ふんっ。たかがレーダーに写らないぐらいで威張るんじゃあないよ。行きがけの駄賃に地獄へ送ってやるか」
 メリーはそう言うとさっきと同じボタンを押した。当然光線が発射され、ステルス戦闘機もアパッチと同じ運命をたどって蒸発した。
「もういい加減に殺生はやめろよ。我々がこんな所に現れるのが不自然なんだよ。目的があるなら、それを早く果たして退散しようぜ」
 ビヤダルも泣きそうな声で言った。
「其の目的が分からないから、こうして血生臭い戦場の上空を、ワルキューレのように、うろうろと飛んでいるんじゃあないの。お二人さんも少しは私に協力して頂戴」
 メリーは益々ヒステリックに叫んだ。
「其の目的を話さないから、我々としても協力の仕様が無いんだ。大体何を探しているんだ。まさかバベルの塔と言うんじゃあなかろう。確かにここはメソポタニア文明発生地だが、時代が五千年違うぜ」
 バットが半分やけっぱちに言った。だがメリーの目的は、其のバベルの塔其の物であった。
 地上には砂煙を上げて、アメリカ陸軍第三師団の戦車隊が、バグダット目指して進軍している。

 地球は太陽の巨大な膨張と共に、其の青い姿を滅ぼしてゆく。これがキリスト教ユダヤ教の説くハルマゲドンであろう。
 其の姿をメリーとバットとビヤダル、そしておまさの乗った宇宙船がはるか五光年離れた空間からじっと見詰めている。
「はあ、あれが地球の最後だよ。よおく見ておきなさい。どんな文明でも太陽の爆発にはかなわない。私があの黒い箱を、バベルの塔の中心に置いて来てから、相対時間で一週間も経たないと言うのに、あなた方の地球は滅んでしまった。むなしいもんだね。でも地球の代表として私は貴方を選んだ。これから地球人としての肝試しが始まるんだよ。さて帰還するか」
「どうして地球を爆発させてしまったの。貴方にそんな権限があると言うの」
 おまさはメリーを非難するように見上げて言った。
「そんな権限は、この宇宙に存在する生命には誰にも無い。だけどね。あの権力闘争と物欲に侵されて、戦争の絶えない人類には未来がない。だから太陽をノバ化させて人類もろとも葬って、この太陽系も消滅させてしまおうと言う分けなのさ。あの黒い箱をバベルの塔に置いて来たのも、太陽をノバ化させる触媒のようなものだよ。さて、我々の星へ帰還するか」
 メリーはそう言うと、宇宙船を母星の方へ向けて、ワープ航法に移った。
 おまさは言葉では表現出来ないが、なんとなく違和感を感じた。人間として同胞が一人も居なくなったと言う淋しさを感じ、何だか見世物小屋に出される、天竺渡りの孔雀にされたような気分がした。

 メリー達が母星へ着いたのは、相対時間で十分ほどであったろう。だが其の空間座標にはそれらしい星はなかった。ただ大小の岩石の固まりが、リング状に漂っているだけである。その中心に恒星の最終段階である重い物体が、黒い無気味な姿で静かに浮かんでいる。恐らくもう少し質量があれば、ブラックホールになっていた事であろう。
「どうした事だ。おれ達の母星が無くなっている」
 バットとビヤダルは其の恒星を見て悲鳴を上げた。メリーもさすがに予想していなかった惨状を見て、言葉を発する事は出来ない。
 其の理由が分からないのだ。メリー達は自分の生まれた星があった空間を、ただ意味も無く浮遊していた。おまさがぽつりと呟いた。
「お姉ちゃん達も、あたいと同じ身の上になっちまったね」

 一休と時光は、引野廓の中にある草庵の縁側にどっかりと座って、横に濁り酒の入った銚子を置き、折りからの中秋の名月を眺めている。引野廓の真向かいに千代川を隔てて在る、高津藁村の後ろの低い山の頂から、大きな真ん丸い月がぬっと顔を出した。
「ほほう、なかなか風流な光景ですな。殺伐とした世の中ですが、月だけは変わらぬものと見えまする」
 時光はそう言いながら、銚子の濁り酒を椀に注いで一口飲み干した。一休も同じく椀を取り上げ、黙って時光の方へ差し出した。
「おお、これは気が付きませんで……」
 時光は恐縮のていで、一休が差し出した椀に酒を注いだ。一休は黙ってそれをいっきに呷った。
般若湯は良いものでござるよ。こんな美味いものを大っぴらに飲めぬ坊主と言う商売も、端で見ておるほど楽ではないな」
 一休は一息に酒を呷って、ふうっと息を吐きながら言った。
「成る程。しかしながら僧侶と言う者は、仏に仕えるのが本分でござろう。酒臭うてはありがたみも薄いと申すものでござる」
 時光は苦笑しながら言った。
「時光殿。そなたは本当に、この世に神仏があると信じられておるのか」
 一休はさらに酒を催促するように、また椀を差し出しながら聞いた。
「異な事を聞くものか な。一休殿には僧侶でありながら、仏を信じておられぬのか」
 時光は意外な事を一休が言い出したので、ちょっと当惑気味な顔で聞き返した。「そのとおりじゃ。愚僧は仏などは信じておらぬ。大体人間が生まれて何万年経つかは知らぬが、仏を実際見た者が居るのかな。時光殿。そなた見たことがおありか」
「さあて、そう言われても困るな。仏と言うのは釈迦の説かれたもので、今からざっと二千年まえ天竺で産れたものでござろう。それが千年ほど前、唐から日本の国に伝わったと心得ておる。何万年も前から仏が存在すると言うのは、ちと話が食い違いますな」
「愚僧が言う仏とは宗教の事じゃ。それなら人間が裸で腰蓑を巻いて,山や野原を駆け回って餌を捜しておった頃からあるじゃろう」
「成る程、宗教なら其の頃から有ったとも言えますな」
「詰まり愚僧の言いたいのは、おおよそ宗教などというものは、人間の自然に対する畏怖の念を形に表そうと、後の連中が何やかやとへ理屈で練り上げたのが、今の仏教や神道外国のもろもろの宗教なのじゃ」
 其処まで一休がへ理屈をならべた時、時光が何を見たのか、空の一点を指差して叫んだ。
「御坊、仏は信じぬと申されたが、あれがそれではござるまいかな」
 時光の指差した方角には、霊石山という少し小高い山が有った。今其の真上に、満月より明るい光球が浮んで、燦然と輝いている。そして段々とこちらへ近付いてくる。
「ややっ、あの連中また舞い戻ってきおったか」
 一休はそう叫ぶと縁側から庭に飛び降りて、小手をかざして其の光球を見詰めている。やがてその光球は千代川の上をかすめるように飛んで、大森にある腓菜神社の境内へよろめくように着陸した。
「どうやらおまさが戻って来たようじゃな。出迎えてやらねばなるまい」
 一休はそう言うと衣の裾を絡げて腓菜神社の方角へ走り出した。時光も仕方なく後を追った。
 腓菜神社の境内には、あの宇宙船が満身創痍の状態で機体を横たえている。そしてドアが開くとメリー、バット、ビヤダル、そしておまさがよろよろと這い出すように降りて来た。
「おい、どうした。お前さん達の星へ帰ったのではないのか」
 時光が呆れたような表情をして聞いた。宇宙船は何者かの攻撃を受けたらしく、エンジン部分から炎を吹いている。それが神社の森の樹木に燃え移る恐れがあるので、時光は四人の者を素早く非難させようとした。其の頃には引野廓の郎党も駆け付けていたので、四人の者を担ぎ上げると、まるで祭りの御輿のようにワッショイワッショイと掛け声をかけながら、廓の方へ戻って行った。其の後ろの腓菜神社の森が、宇宙船の爆発で紅蓮の炎に染まったのは、それから間もなくであった。
「お前さん達、故郷の星へ帰ると、おまさを攫うように空へ飛んで行ったが、また戻ってきて、しかもあの乗り物まで爆発するとは、一体何が有ったんだ。おかげで腓菜神社はほれあのとおり、森もろとも焼けているではないか」
 廓にもどって、四人に気付けの水を飲ませながら一休が詰問した。
「話せば長い事ながら……」
 バットがか細い声でそう言いかけた時、一休が大声で怒鳴った。
「喝っ。こんな忙しいときに長い話は聞いてはおれん。手短に致せ」
 するとメリーは茶碗の水を飲み干して、半ば焼け気味に叫んだ。
「短くいやああたし達の故郷の星が、敵の侵略を受けて粉々に砕け散っていたと言う訳なのさ」
「それなら分かる。だがお前さん達の星は、我々の世界よりずうっと文化が進歩していると、自慢をしていたではないか。そんな高い文明を持った星が簡単に粉々にされるとはな」
 一休は皮肉混じりに言いながら、燃えている腓菜神社の方を眺めた。
「上には上が居ると言う事か。今の私にゃあそれくらいしか言えないよ」
 メリーは珍しく弱気な調子で言った。
 時光は其の状況に、不吉な物を感じた。この連中の乗り物があれほど痛んでいると言う事は、誰か知らないが敵に追われて、ようやくここまで落ち延びて来たと言う事だ。当然其の敵が着いて来るはずだ。どんなすごい奴か知れない。山名や尼子の比ではなかろう。因幡国どころではない。日本国中、いや世界中がその強大な敵に踏みにじられるかもしれない。しかし、今の地球の状態では、その強大な敵を退ける事は不可能であろう。
「時光の殿様。其の心配はないと思うよ」
 おまさは時光の顔を見上げながら、心の底を見透かしたように、そのつぶらな瞳を輝かせて言った。
「どうしてその方に左様な事が見えるのじゃ」
「簡単だよ。あたいが奴等をおっぱってくれる」
 おまさは決然と言い放った。そして腓菜神社の燃える炎をきっと見詰めた。
 このおまさが後年どのような人物になるか、今ここにいる人間には想像も付かなかった。

 江戸の初めである。ここ京都四条河原には、女歌舞伎の一座が大変な評判を取っていた。むろん其の頭は出雲の阿国であった。
 今しもその出雲の阿国を訪ねて来た深編笠の武士が有った。武士はやんやの喝采を上げている群衆を避けるように、小屋の裏手に回り、垂れた筵をかき上げて楽屋へ入った。女達が鏡の前へ座り、脂粉を塗り紅を差している。
「許せよ。おまさはいるか」
武士は笠を取りながら聞いた。年の頃三十余りの色の浅黒い、目鼻立ちの整った偉丈夫であった。
「まあ、これは寛治郎様。こんなむさい所へ良くおいでくださいました」
 一人の老婆が泳ぐように出迎えながら言った。
「いや何、ちょうど二条城へ上様を訪ねるついでじゃ。おまさの顔が急に見とうなってな。かくは邪魔をしたと言う次第じゃ。息災でおるか」
 寛治郎と呼ばれた武士は、其の老婆を懐かしそうに見詰めながら声をかけた。
「はい、もう年は忘れましたが、何とか若い方にお世話になり、息だけはしております」
 老婆は歯の無い洞窟のような口で笑いながら言った。
「それは頂上。阿国に聞いているのだが、おまさには何やら摩訶不思議な神通力が供わっておると申す。そこで頼みがある。このたび秀瀬公の遺児が薩摩に落ち延び、謀反を企てていると言う知らせが隠密から有って、如何致したものかと上様から相談を受けておる。そなたの神通力で何とかならんものかな」
 寛治郎は、楽屋の筵の上にどっかと胡座をかきながら言った。
「私には蝦蟇に化けるような神通力はございません。ただ子供の頃不思議な経験を致しましてね。それから遠くの出来事がおぼろげながら分かるのでございますよ。これをテレキネシスと言うそうです。暫くお待ち下さい」
 おまさはそう言うと奥の方へ引き取った。舞台がはねたと見え、阿国が踊り子数人と共に、暖簾を跳ね上げ楽屋へ戻って来た。阿国は噂通りの美形であった。しかし、とっくに墓に入った時光が見たら仰天したことであろう。何とその顔は、八上郡へ闖入して目黒伝之助の首をとったり、腓菜神社を焼いたり、散々騒動を起こしてさ、宇宙人のメリーだったからである。怒った時光は足利将軍に願い出て、宇宙人三人とおまさを因幡から放逐したのであった。京へ上ってからの消息は、時光の預かり知る所ではなかった。それからざっと百年後、京の四条河原に忽然と現れた女歌舞伎の阿国が、あのメリーだと知ったら、石の下の時光はくしゃみをする事であろう。              
 一方訪ねて来た寛治郎と言う武士は、徳川家の裏で所大名の動静を探る、吹上お花畑の頭目であった。
「これは寛治郎様。よう御出でくださいました。今日はどんな御用でございましょうか」
 阿国はこぼれるような微笑みを浮かべて尋ねた。
「うん。邪魔をするようじゃが、薩摩に不穏な動きが聞こえるので、おまさに千里眼を使って様子を探って貰おうと思ってな」
 寛治郎はそう言って苦笑した。お花畑衆の頭目が、百を超える老婆に陰陽師の真似を頼むのだから、いささか面映ゆいのであろう。その時おまさがよろよろとした足取りで奥から現れた。遠くを見ると言う事は、よほど精根を使うものなのであろう。顔色は蒼白になり、唇は桑実色に変わって、今にも其処へ倒れそうな様子であった。寛治郎は思わず駆け寄って、おまさの身体を抱きかかえた。
千里眼がこのように体力を使うものとは知らなんだ。無理を言って赦してくれ」
 おまさは苦しい息の下で、それでも笑みを見せると次のように言った。
「なあに、御心配には及びません。私も最早百を超えておりますゆえ、何時あの世に呼ばれても悔いはございません。それより寛治郎様のお役に立てれば本望でございます。ところで薩摩の事でございますが、少々厄介な仕儀になっております。と言うのは秀頼公の男子で、国松君と申されるお方が、今年十四歳に成長なされ、天草四郎と名乗って、九州中国の浪人やキリシタンの百姓を糾合して、原城へ立て篭もり、幕府に反旗を翻そうと成されております」
 おまさはそこまで言うと、精根尽き果てたと見え、寛治郎の腕の中でがっくりと息絶えた。
 阿国はおまさの身体を抱き取り、楽屋の隅の筵の上へ寝かせ、舞台衣装を羽織ってやった。
 その時のっそりと楽屋へ入って来た者があった。格好から見て旅の武芸者には違いはないが、相当の年齢らしい。
阿国殿、また少々金子を用立ててもらえまいか。肥後の熊本に居る養子に為替を頼めばよいのだが、それでは遅いのでな」
 武芸者は頼みにくそうに、総髪の頭をぼりぼりと掻きながら言った。足下にフケが雪のように落ちた。
「これは武蔵様、いくら御用立てすれば宜しいのでございます。今おまささんが亡くなられ、取り込んでおりますゆえ、たんとは用意出来ませんが、これで宜しゅうございましょうか」
 阿国はそう言うと、鏡の下から紙入れを取りだし、中から慶長小判三枚を出して武芸者に手渡した。
「相すまん。おまさ殿が左様な事になっておるなら遠慮したのだが、ちょっと厄介な相手と揉め事を起こしてな。これで十分じゃ。有り難く拝借致す。ではこれで……」
 そう言うとかの武芸者は、小判を押し頂いて小屋をさっさと出て行った。寛治郎は後ろ姿を見おくりながら阿国に聞いた。
「あれが宮本武蔵か。お前の所に金の無心に来るとは、何やらだらしがないのう。佐々木小次郎船島で倒した頃の精彩は見えんんな。柳生宗徳殿の目は確かであったわい。将軍家御指南番に推挙せいでよかった。さて、九州の騒動をどう収めたものか」
 阿国はおまさの弔いの支度を若い女達に言い付けながら、その間に寛治郎の悩みに答えた。
徳川幕府の政権を揺るがす一大事でございますからね。これから私と御一緒に参られるお暇がございましょうか」
「二条城に家光公が上洛しておられるのは、其方も存じておろう。これから謁見せねばならぬのじゃが、すこしの間ならつきあってもよいぞ」
 寛治郎は阿国にそう答えた。ただ者ではないと見抜いたからである。河原者に身をやつしてはいるが、目の配りといい、所作といい、 さっき金を無心した宮本武蔵より、よほど肝が据わっていると見えた。
「何、お手間はとらせません。こう御出でくださいませ」
 阿国はそういって寛治郎の先に立って小屋を出て、四条大橋のたもとの一寸した船小屋へ案内した。中へ入るとさすが豪胆な寛治郎も驚いた。そこには球形の今まで見たことも無いような、からくりが鎮座していたからである。そして二人の船頭の風体をした男達が出迎えた。
「出発の用意は出来ているんだろうね」
 阿国がその男達に横柄な口調で聞いた。それがバットとビヤダルであることは寛治郎は知る由も無い。
「いつでも出発出来るがね。今度は何処へ行こうと言うんだい。お前さんに付き合っていると、それこそ四次元の世界にでも行きかねない」
 バットは相変わらずぼそぼそとぼやいた。
「心配しなさんな。四次元じゃあない。九州だよ」
 阿国は何の屈託の無い様子で微笑むとそう言 ってのけた。驚いたのは寛治郎である。京都から九州までは、早馬を飛ばしても五日はかかると言うのに、阿国は東山に遊山にでも行くような按配で言ったからである。
「おいおい、鞍馬山の天狗ではあるまいし、空でも飛んで参ると申すのか」
 寛治郎は、そのげじげじ眉の下の、団栗のような目を剥いて阿国に問うた。
「はい、その通りでございます。私は天狗ではございませんから、羽団扇は持っておりません。その代わり空を飛ぶからくりを所持しております。目の前に有るのがそれでございます。さあ、お乗り下さいませ」
 阿国はそう言うと、懐からなにやら取り出して、目の前の球体に向けた。その球体の一部が口を開いて、中から奇妙な光が射している。ここで後ろを見せては、日頃から鬼寛の渾名を奉られている名が泣くと、寛治郎は戦国武士の意地を通して、自ら先にたち肩をいからせて入り口をくぐった。阿国と二人の男も、その球体に吸い込まれるように入った。入り口がすっと閉まり、球体がうなりを上げて振動を始めると、やがてのこと、すっと掻き消すように其の場から消えた。
 それを物陰に隠れて見ていた者がある。阿国に路銀を無心していた宮本武蔵であった。さすがの武蔵も目の前から物が消える、中には四人の人間が入っているのを目撃しては驚かざるをえない。
「うわあっ、あの阿国という女、九尾の狐であったか。この金も馬の糞か、それとも木の葉かも知れんぞ」
 そういうと懐から巾着を取り出し、中身を改めはじめた。
 この時武蔵は、数年の後肥後熊本の細川家の客分として天草の乱に参戦し、功名を急いで石垣から落ち、鬼寛に救われる事になろうとは夢にも思はなかった。
「金は本物であったか。まずは一安心……」
 武蔵はそう言うと、何処の空へと旅立って行った。これも一つの肝試しではあろう。         

              終り