矢車通り~オリジナル小説~

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離れない(仮)17

     17
 
 着信音は純子の物だった。すぐに出る。スピーカーから出る音は、苦しそうな呼吸音だった。
「どこだ、純子」
「先生、ごめん。電話、しちゃった」
「いいから、純子、場所を言うんだ」
 肩を叩かれて振り向くと、『電話番号を教えろ』と書かれた紙が目に入った。受け取って、純子の電話番号と電話会社を書く。お巡りさんが、紙をひったくって走り去った。
「先生の言う通りだった。あたし、この子だけ逝かせられない。一緒に、逝くね」
 子どもが流れた? どこでかなんでか流産して、処置もせずにどこかにいるんだ。早く見つけないと失血死する。いや、もう瀕死と自分でわかったから電話してきたのか? なぜ、もっと早く掛けてこなかった? 疑問が頭の中を駆けめぐるがグッと堪えた。そんなことを訊いてる場合じゃない。
「先生は来ちゃダメだよ。あたしとこの子の分まで、生きて幸せになるんだからね」
「純子、場所を言え」
「先生の、お父さんの、言う通りだ。あたし、幸せになんか、なりたくないんだ。先生が困ること困ること、しちゃう。先生を、困らせたいわけじゃ、ないんだ。ただ、幸せだと怖いの。だって、あたし、幸せになる資格なんかないんだもの。資格もないのに、幸せになったら、きっとバチが当たる。先生に当たったら困るから、だから、さよなら」
 電話が切れた。急いで掛けなおしたが、もう掛からなかった。
 警察署の奥から、お巡りさんが走り出てきた。どこに居たのか、黒っぽい背広姿の男たちが四人、お巡りさんの後ろからやってくる。
「場所が特定できた。来い」
「はい」
 パトカーに乗せてもらって、純子の元に向かう。さっきの男たちを乗せた車が後ろから付いてきている。
「犯罪性が無ければ、純子さんを保護したら、すぐ、君に引き渡す。万が一、犯罪性があったら、一緒には帰れない。それは覚悟しといてくれ」
「はい」
 着いた場所は、繁華街のはずれのホテルだった。パトカーと乗用車が横付けすると、男たちが中へ入って行った。お巡りさんが外に向かって立つ。
「残念ながら、俺の持ち場はここだ。君は向こうに付いていきなさい。事情は話してあるから」
「はい」
 知ってる人がいなくなったことを心細く思いながら、男たちに付いていく。フロントは無人だったが、男たちが呼ぶとどこかから人が出てきた。マネージャーだろう。純子の人相を言いながら、男の一人がマネージャーを伴ってどこかへ消えた。
 出てきたときは、男は部屋番号を知っていた。みなでエレベーターに乗って部屋に向かう。男たちは手に白い手袋をはめはじめた。「いいと言うまで、不用意に物に触るんじゃないよ」と、僕は念を押された。
 部屋の前に着くと、マネージャーが合い鍵でドアを開けた。どやどやと男たちが踏み込む。僕も最後尾に続く。短い廊下を進み、ドアを開けて部屋に入ると、真ん中に純子が倒れていた。駆け寄ろうとする。男の一人に制止された。別の男が純子に近づく。首筋に手を当てて、ゆっくりとかぶりを振った。僕は制止を振り切って、純子に近寄ろうとした。思いがけないくらい強い力ではがい締めされる。
「現場を荒らしたら、犯人がわからなくなる。堪えろ」
「だ、だって、信じられない。本当に死んでるんですか?」
「手鏡を渡してやれ」
「え?」
「息をしていれば、鏡が曇るだろう? 口と鼻の前に鏡を当ててみろ。遺体に絶対に触るなよ」
 僕は言われた通りに手鏡を当て、息をしていないことを確認した。
「出ろ」
 男たちに促されて部屋の外に出ると、もう、制服の警官が立っていた。エレベーターに乗って階下まで行くと、入り口に駄洒落のお巡りさんがまだ立っていた。僕を認めて、ほかのお巡りさんと交代する。
「君はこのまま署にとんぼ返りだ。重要参考人だからね」
「疑われてるんですか? 僕が殺したって?」
「片っ端から疑うんだよ。君も、純子さんの両親も、君の両親も、純子さんのクラスメイトも、みんな疑われる。犯人が捕まるまでね」
「死刑にしてくれるんなら、僕が犯人ってことにしてくれてもいいです」
「それじゃ、浮かばれないよ。純子さんが」
 二人でパトカーに乗り込む。パトカーは発進する気配がない。お巡りさんは座席に沈み込んだままだ。
「可愛い子だったな」
 お巡りさんがぽつんとつぶやいた。
「僕を真剣に好きになってくれました」
 そんなに頼りなかったかなあ、純子。
 僕は心の中で純子に話しかけた。
 何かあって流産して、そのとき、救急車を呼べば、自分の命は助かったろうに、純子は呼ばなかった。最後の電話で、自分も逝くと言ったのだ。きっかけはどうあれ、これは自殺だ。
 そんなに、僕は頼りなかったか?
 純子の思い出が心の中にあふれてきた。僕は大声で泣きわめいた。
 パトカーはいつまでも発進しなかった。