矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

稲妻お雪 壱の六

「とんでもない買い物をしたと悔やんでござる」
 三太夫は滅多に見せぬ弱みを直江だけには、あからさまにしていった。
「ふふふっ、さすがの三太夫も小娘一匹に手を焼いているのか。だかそう悲観したものでもないぞ。早晩かの娘を使う大仕事が舞い込むかも知れんからな」  
 直江はそういって三太夫を見た。歳は親子ほど違う二人だが、謙信をはさんで不思議な信頼がうまれていた。
「大仕事とはいかな事でござる」
 三太夫は勢い込んでとうた。このところ武田との戦も休みの状態で、乱波の出番は少ない。
「まあ、慌てるな。この話は大殿とみどもが密かに画策しておる、天下取りの一端なのじゃ。まだ他の重臣にも諮ってはおらぬ。お前さんを信用しておるから明かすのだ」 
 三太夫は嬉しかった。乱波という軽輩を信頼してくれる謙信と直江の心根が。この二人の為なら命を投げ出しても構わぬという気持ちになった。
「したが御家老。大殿に天下を取るお気持ちがあるので御座ろうか。今の世にあって、天下に対し無欲な大名も珍らしいいと、諸国のもっぱらの評判で御座るが」
 三太夫の問いに直江は大きく頷いた。 
「その心配は最もじゃ。諸国どころか我が家中の若い者の中にでさえ、殿の無欲降りに不満を持つ輩がおるからの」
 直江はそういって、信介の入れた渋茶を一口啜った。
「で、大殿の命とはいかなることで御座る」
 三太夫は膝を乗り出した。
「まあそう慌てるな。その話の前にその方の買い物を見せてくれ。出し惜しみするな」
 直江は本気ともからかいとも、区別のつかぬ薄笑いを浮かべていった。
「御家老もお人の悪い。あのような代物を見て笑い者になさるとは」
 三太夫はむっとした表情をした。
「怒るな。真面目な話じゃ。そのお雪を連れて三河へ行って貰いたい」 
 そういう直江の顔は厳しいものに変わっている。三太夫は只事では無いと直感した。
三河で御座るか。して徳川家康の首をかいてまいれとでも?」
 三太夫は大物の名前を聞いて、緊張のあまり、わざとおどけたようにいった。
「ちと違うから難儀だぞよ。首を狙うのは乱波としては当たり前の仕事であろう。ところが今回は徳川殿に与力をして貰いたいのじゃ」
 直江は意外な事を命じた。三太夫は素早く頭を回転させた。

稲妻お雪 壱の伍

「これは酷い。これでも春日山ではいい男で通っておりますぞ」
 善介はいかにも不足げにいった。
「オジサンよ。鏡を見たこと無いの。猪がせんぶりを舐めたような顔してさ。大方どっかの白首に鼻毛を読まれてやに下がってるんだろ。この助平野郎」 
 お雪の毒舌がますます冴えわたる。
「このあまっ、いわせておけばいいたい放題。どういう育ち方をしたのだ。その分には捨て置かんぞ」
 さすがに温和な善介も怒って脇差の柄に手をかけた。
「どの分に捨て置く気だい。親に売られたこのお雪。さんざん地獄を見て来たから、もう怖いものは無い。さあ、すっぱりやってくれ。切って赤くなけりゃあお代はいらないよ」
 善介は本当に怒ったとみえ、きらっと脇差を鞘走らせた。 
「待った善介。腹も立つであろうが、ここは辛抱してくれ。金を惜しんでいうわけも無いといえば嘘になる。だがな。お雪のこの根性。磨いてやれば一人前の女乱波になると思うのだがな」
 三太夫は慌てて善介に説得を試みた。
 三太夫の言い分には八分の利があるので、善介もようやく矛を収めたが、それからが主としての三太夫には、気苦労が増えた。 
 お雪はのほほんとして只飯を食らい、善介はそれを横目で睨むという、いたって居心地の悪い毎日が三月ほど続いた。
 ある春の夕刻、ふらりと城代の直江勝助が、三太夫の屋敷のしおり戸を潜ったのだ。これは異例なことであった。どだい乱波などというものは、侍扱いしては貰えない。いわば使い捨てのちり紙といったところだ。
 三太夫の場合は少し事情が違っていた。上杉家の遠縁で鎌倉時代から、九代続くれっきとした系図があった。従って謙信の信頼も厚かった。だから小さいながら屋敷も与えられ、士分として扱われでいた。
「どうじゃな」
 直江が声をかけた。丁度昼寝の夢から覚めた三太夫は、寝ぼけ眼を擦りながらいらえた。
「はあ、なかなか」
 何がなかなかなのか、他人にはわかるまい。直江はにっと笑って座敷に上がってきた。
「近頃なにやら面白い買い物をしたと聞くが」
 太刀をわきに置いて、円座にすわりながらぐるりと部屋の中を直江は見をした。
「はあ、お耳に入りましたか」
 三太夫は頭をかいた。
「その買い物が見たいな」
 さらに追い打ちをかけた。

稲妻お雪 壱の四

 善介は驚いて叫んだ。
「まった。旦那は気が短くていけないよ。それでよく乱波が務まるねえ。分かったよ。首が飛ぶのは嫌だから、この娘は預かるよ。その代わりこっちにも条件がある」
 江戸時代の主従ではない。利害が合わなければ、何時でもはいさよならである。
「なんじゃ。条件とは」
 三太夫は気味が悪いといった顔できいた。
「この娘が育って小町の半分でもよい。美女に育ったらわしの嫁にくれ」 
 善介は本気のようであった。
 三太夫は呆れていたが、太刀を膝にしばし考え込んだ。
「ふうむ、善介。お前幾つになった」
「旦那と二つ違いだ」 
「すると二十五というところか。わしが三だからな。あと十年たっても三十路半ば、しかしそれまで待てるのか」 
 善介は真面目な顔でこたえた。
「待つよ。旦那がどれ程出世なさるか知らないが、大殿様がて天下をとりなされば、旦那もたとえ小さくとも城持ち大名だ。そうなった時晴れてわしも士分になって、この娘と祝言じゃ。はははっ」
 善介は白い歯を見せ豪快に笑った。
 三太夫は善介の暢気な性格を羨ましいと思う一方、そう簡単に事が運べば、我ら乱波の仕事はいらぬと複雑な気もであった。そもそも大殿は天下を取ろうという野心が無い、といえば言い過ぎかも知らぬが淡泊であった。 何時までも管領職に拘って、甲斐の蛸入道と川中島で小競り合いをつづけている。尾張の小童は本願寺のクソ坊主退治に、鉄張りの軍船で頑張っているのにと、家臣の血の気の多い若侍は切歯扼腕している。
「オジサン、あたいを嫁にするって。笑わせちゃいけないよ」 
 お雪がいつの間にか大きな小袖を何とか身体に巻き付け、まるで鬼灯の化け物のような格好でいった。
「ほう、お前はこの善介では亭主に不足なのか」
 三太夫は太刀を腰に戻しながら聞いた。
「ああ厭だね。こんな狒狒親父」
「おい善介。とうとう霏々親父に出世したらしいぞ。目出度いな。」
 さっき善介に笑われたのを、これで少しは溜飲が下りたとばかり、三太夫は大笑いしていった。

稲妻お雪 壱の参

 善介はお雪の身体を布で拭いてやりながらいった。
「御家老様だって本当の事をいうとはかぎるまい」
 三太夫はこれを聞いて、煙に噎せた
「おいおい、貴様は何故そう頑固なんだ。小野小町確かに色々な書物にあるのは確かだ。小埜家とうのも古代から続く名門だ。でもその中に小町という女がおった確たる証拠はないのだ」
「ならば何でおりもせぬ女が絶世の美女に化けたんだ」
 善介はなおもすっぼんの様に食い下がる。
「もう勘弁しろよ。女は若い時は綺麗だが、歳をを取れば醜くなる。それをよおく承知で買えという古人の戒めじゃろう」 
 三太夫はややくさっていった。
「おじさん達、何を下らねえ事を喋ってるんだい。折角高いおあしをは払って、あたいを買ったたんだろう。寒いよ。あたいが風邪をひいてくたばったら、それこそ大損だよ。何とかしておくれよ」
 お雪が絹を裂くように叫んだ。  
 三太夫はその声に慌てて、市でお雪と一緒に買って来た包を善助に放って命じた。
「その中に着物がある。着せてやれ」
 なるほど、包をといてみると赤い小袖が出てきた。
 善介はそれを見て思わず噴き出していった。
「旦那、そりゃどっかの女郎から貰って来た小袖ですか。この子には大き過ぎますよ」
「おいおい、善介。子供は時期に育つものだ。古着を買うなんて無駄はしないのがわしの流儀。これで包んでおけば風邪はひかんであろう」
 三太夫は納得のしかねる屁理屈をこねた。
「そんなものでございますか。おい小娘。諦めてこれを着なさい」
 善介はそういってまだ娘というには程遠い、平べったい子の胸を包んでやりりながらいった。
「悪いけど仕方がないか。買われた身だもんね。野垂れ死にするよりはねえ」
 そういうのを聞いて主従は、あんぐり口をあけて顔を見合わせた。 
 その言い草があまりに大人びて、生意気に聞こえたからだ。さらに悪口は続く。
「どうせもう二三年もたたちゃあ、霏々親父とおねんねだろ。小町の姐さんにゃあかなわねえだろうが、あたいも顔にゃあ自信があるんでね」
 善介は三太夫に近づき、脇を突いて行った。
「旦那、とんでもない買い物をなさったねえ。わしはこんな阿婆擦れを飼うつもりはないからな」 
 三太夫も聊か驚いたが、弱みを見せたら寝首を掻かれかねないのが乱世の習いである。
「主の命は絶対じゃ。貴様がこの娘を飼うのが嫌というなら仕方がない。そのそっ首を落とすからこれへ出せ」
 三太夫は太刀の柄に手をかけた。

稲妻お雪 壱の弐

 お雪を家へ連れ帰り、小者に言いつけて、身体に巻き付けていたぼろ布をはぎ、頭から湯を浴びせた。まるでいもを洗うような扱いであった。
「案外上玉かも知れませんぞ」と、小者が糸瓜でごしごしお雪を洗いながら言った。
 なる程、垢の固まりのようお雪の身体は、名前負けせずに白かった。
「越後だからのう。小野小町の子孫かもな」
 三太夫はにやりと笑った。
小野小町でござるか」
 小者は首をかしげながら、まだお雪を洗っている。
 三太夫は上杉の殿から拝領した南蛮渡来の煙草に火を付け、ぷかりと煙を吐きながらいった。
「善介、おまえは小野小町がどんなものか知っていて、お雪を洗っておるのか」
 善介と呼ばれた小者はむっとした表情をしていらえた。
「あれ旦那。小者だと思ってあんまり俺を馬鹿にしねえ方が身の為さあね」
 三太夫は煙管の雁首を煙草盆に叩き付けながら、善介をからかうように聞いた。
「ではどんなものだ」 
陸奥のうまれで、そりゃあ別嬪だったと聞いたがの」
 善介はお雪の洗濯板のような胸をごしごし擦りながらいらえた。
「まあ、間違ってはおらんがの。小野小町が美女だったかは請け合えかねるぞ」
 三太夫は煙を器用に輪に吐きながらいった。 善介は、いかにも不満げに言った。
「じゃあそういう旦那は本物をを見たのか」
 三太夫はそら来たなと内心苦笑した。この男は主人を平気で罵倒する。
 しかしそれでいて何処か憎めぬひょうきんな処があった。
「ふむ、そう切り口上にいわれても困るがの。御家老の直江様から聞いた処によると、小野小町は琵琶法師や猿楽師がでっち上げたものらしいな」
 直江の名を出して何とかこの場をを誤魔化そうとしたが、どっこいそうは問屋がおろさない。

稲妻お雪 壱の壱

 応仁の乱からが戦国とすると、もう随分経っている。
 信長は本願寺に手を焼いて、鉄張りの軍船を建造していると風の便りに聞こえて来る。
 遠く離れた越後では、上杉の殿が管領職に責任を感じて、武田の入道と、川中島で小競り合いを繰り返している。
 そんな時代の話である。
 謙信の使っている乱波に三太夫という男が居る。この男、よほど謙信に気に入られているとみえ、乱波にしては破格の与力並みの禄を貰っている。
 お雪というのは三太夫の下のくの一である。  
 三太夫はお雪を春日山城下の市でひろった。勿論道に落ちていたわけではない。
 人買いの手から金十匁を払って買った。そんな気まぐれを何故起こしたのか、自分にも定かではない。
 泥人形のような、しかも十にもみたない幼女を性の捌け口に使う程、変態ではない事を彼の名誉のために言っておこう。
 幼い日に亡くした妹の事がふと脳裏を過ったのだ
 三太夫は妹の面影だけでお雪を買ったわけではない。将来女乱波として使えるという打算もあった。
 乱波は目立ち過ぎてはやりにくい。敵対する国に潜入しなければならない。その為には何にでも姿を変える必要がある。百姓・武士・はては僧侶か傀儡子にいたるまで、千差万別である。問題は男には絶対化けられないものが有ることだ。
 いつの世にも男色はある。戦国武将の中で男色出ない者を探すのが困難なほどであった。
 織田信長がその典型であろう。
 しかし乱波の場合遊女に化け、敵の中核へ潜入する事がある。
 さすがに男ではこの芸当は出来ない。
 くノ一とはそういうものと、割り切っていた。

公徳心

 こんな言葉を使うのはもう古い人間でごさんしょうかねえ。
 でもスカイツリーの根元を拝見して、ふっとこの言葉が頭を過ったんでござんす。
 いくら世界一を自慢したって人間があれじゃあねえ。 
 立ち小便は夜店を冷やかす時の隠語だけにしてもらいてえや。