矢車通り~オリジナル小説~

はてなダイアリーから移行させました。

掌編

出会うべくして(11枚)

俺の名前は鈴木太郎。28歳。独身。オス。第1156回どか食い選手権のチャンピオンだ。今も俺は必死で箸を動かしている。あと少しで皿をからにすることができる。ちらりと向かいの皿を見る。まだ半分も食べてはいない。勝利は目前だ。ラストスパート。俺…

もうひとつの「ハマナスの実、月の夢」(改稿版)11枚

許可申請の手続きは十五分で終わる。三つある申請窓口は処理の速さゆえにいつも空いている。小田切はそのつもりで今日のスケジュールを組んでいた。午前中に品物を確かめる。午後三時に宇宙輸出局に出向き、提出してあった書類を受け取って帰る。そのあと輸…

Experiment−実験−(改稿版)11枚

ギリィはエアロックの前に立った。十五年の間使われたことのない内扉は、ゆっくり開こうとしている。ギリィは左後ろにいる人型ロボット、マームを振り返った。レンズの目。集音機仕様の耳。スピーカー型の口。玩具のような顔にはどこか愛嬌がある。 「ギリィ…

雪の中で(5枚)

彼女が住む町は雪が降らないところだった。 彼女が5歳の年、1月の空に灰のようなものが舞った。灰は羽毛になり積もった。彼女はいつもの遊び場に行った。普段は2、3歳年上の子供に占領されている滑り台に誰もいない。彼女は歓声を上げて走り寄った。階段…

束の間の休息

携帯電話のディスプレイには神田春子と出ている。予定通り。それでも通話ボタンを押すのに十秒かかった。 「夕べ、隆正の背広から待ち合わせのメモを見つけたの」春子の声だ。 「紀美代の字だったわ。ホテルの名前」 春子は今なんとか声を絞り出しているのだ…

仲間探し

ドアを開けようとした、おれの手が止まった。 「順調です。医者の手が必要な出産なんて7人に1人なんですよ。6人は医者なんていなくても平気なんです。女性はつくづく丈夫だと思いますよ。出産に耐えられるんですから。男だったらショック死しかねませんよ…

義父母

山本詩保は軽い足取りで2階に上がった。廊下の突き当たりが義父母の寝室だ。10畳の部屋にベットが二つ並んでいる。入って右手はクローゼット、左手に義母・知佳子の鏡台がある。義母は今、詩保の息子で、生後6ヶ月の一義をお風呂に入れている。洗顔クリ…

ひとときだけは……

私がそのニュースを聞いたのは、会社の昼休みに女子社員で集まってお弁当を食べているときだった。 「長期ドラマのロケ地がこの町に選ばれたんですって、聞いた? 水原さん」 「柳勇馬主演の近代ものってうわさよね、伏見さん」私はとっさに話を合わせるため…

頼れない夫

「お茶もないのかい?」姑の古橋かなえが口を尖らせた。甲高い姑の声が、笹井しぐれの耳につく。 「いつも言ってるだろう。私の好きなお茶を切らすなって」しぐれはうつむいて、姑から表情が見えなくなるようにした。(一ヶ月に一度来るかく来ないかの客に合…

お・い・で

息子よ。 君をそう呼んでも構わないだろうか。 私は今までずっと楽しく暮らしてきた。例えば、草を掻き分けて坂を登る。小高い丘を登りきると、急に視界が開けてくる。右手には大きな平原が、左手には小川が流れている。水面をのぞけば、岩魚が泳いでいる。…